藍の円盤前スグリと同校生

藍の円盤配信前の情報のみ
これの続き

「もう、あたしじゃ無理なの」

 ごめん、とゼイユちゃんは呟いた。「あたしじゃもう、スグを止められない」


 頑張るところを見ていてほしいとスグリくんはナマエに言った。だから、言われたとおりできるだけ応援しに行くようにした。
 その宣言通り、ぐんぐんとバトルの腕を伸ばしていったスグリくんは、今ではこの学園の頂点にまで上り詰めている。もともとコツコツと努力をする人だったけれど、それが何かのきっかけでここまで変わるなんてまるで魔法のようだとさえ思う。
 いや、魔法なんてきれいなものではないのかもしれない。人が変わってしまったかのように勝利を追い求め強さに執着していくその姿はまるで呪いを受けたようだ。

 いつか、ゼイユちゃんから教えてもらったキタカミの言い伝えを思い出す。鬼に顔を覗き込まれたら魂を抜き取られ二度と帰ってはこられない。
 遠い東の地で囚われたとき、帰ってこないのは身体ではなく心なのかもしれない。


 チャンピオンの座についたスグリくんは、どうしてかナマエを傍に置きたがった。四天王やリーグ部の人たちとは友達という関係ではなさそうだったので、最初は単に親しい友人として招いてくれていたのかもしれない。それだけのはずだった。バトルがあれば声をかけてくれて、見に行った際はバトルの振り返りを一緒に行ったりポケモンたちの世話を手伝ったり。
 そのうち、ふとした質問をスグリ以外にすることを嫌がるようになった。授業でわからないこと、バトルのコツ、育成の悩み。「もっとおれのこと頼ってよ」というのがスグリくんの主張で、まあ確かにチャンピオンに訊けるのはすごくラッキーだなあなんて思っていた。得意な科目について友達から質問されて嬉しいということはナマエでも身に覚えがあったので。

 違和感がなかった、といえば嘘になる。でも、そんなに深刻に考えなかったのはスグリくんと一緒にいられることに喜んでしまったナマエの落ち度だ。

 リーグ部以外で友達と話していると、スグリくんが声を掛けてくることが増えた。「ナマエ、ちょっといい?」と言われれば会話は止まるし、「ごめん、ナマエ借りてく」と言われればみんながどうぞどうぞとナマエを差し出した。ちょっとだけ、スグリくんはみんなから畏れられていたことも要因の一つだったのだと思う。その結果、ナマエのほうが「今日はチャンピオンは大丈夫なの?」と問われるようになるまで時間はかからなかった。

「スグ、あんたナマエに迷惑かけるんじゃないわよ」
「……ねえちゃんには、関係ない」

 ゼイユちゃんはそんな姿を見る度にスグリくんを叱っていたが、たぶんあまり効果はなかったと思う。
 やがてほとんどの時間をスグリくんと過ごすようになっていたナマエを連れ出すのはゼイユちゃんのみになっていった。


「ごめん、ナマエ」
「どうしてゼイユちゃんが謝るの?」
「あたしが!あたしがスグをなんとかしなきゃいけなかった!そうしたらナマエもきっと、こんなことにはならなかったのに……!」

 気が強くて傍若無人とも思われがちなゼイユちゃんだが、それは自尊心が高いからだけじゃなくてとても身内想いだからなのだということをナマエはよく知っている。楽しいことは共有したいし、悪いことからは守ってあげたい。それは彼女なりのわがままでもあり、だからこそスグリくんはよく振り回されていたしきっとナマエもその対象に入っていた。
 でも、それが『スグリからナマエを守る』に変わってしまったのはいつからだったのだろう。

「スグがなんかしたらあたしに言いなさいよ。こうしてやるんだから」と笑っていたゼイユちゃんが、こうしてナマエを息抜きに連れ出すたびに項垂れていることがなんだかとても寂しかった。

 今日もこうして、スグリくんが先生に呼ばれている間を見つけて部室の外へと連れ出してくれたゼイユちゃんは、いつにもまして元気がないように見えた。いつもは凛とした美しい顔が曇っていて、それを晴らすための手立ても言葉も見つからなくてただただ心苦しい。

「ゼイユちゃん、疲れてるんじゃない?無理しちゃだめだよ」
「あたしのことはいいのよ。そんなことよりナマエは?大丈夫なの?」
「うん。なにもないよ」

 ほ、と息を吐くゼイユちゃんに申し訳なさが募る。
 スグリくんはきっと、ナマエが本気で否定すればすぐに放してくれるだろうから。そうしないのは純粋に、スグリくんが望み努力して作り上げたこの状況をナマエ自身が壊したくなかったから。それに、もし否定してナマエまでスグリの世界から弾き出されてしまったらという恐怖もあった。

「ナマエ」

 びくり、とゼイユちゃんの肩が揺れた。振り返れば、いつの間にかスグリくんがすぐ近くに立っている。いつからか上げられるようになった前髪のおかげで見えるようになった瞳は昏いままでゼイユちゃんを見つめていた。

「ねえちゃん、ナマエになにしてるの」
「た、ただ話してただけじゃない!友達と話して何が悪いのよ!」
「……ナマエ、こっちさ来て」

 返事を返す間もなく手を引かれ、つんのめりそうになるのをなんとか堪える。そのまま立ち去ると思っていたスグリくんは、数歩でぴたりと止まった。ああそうだ、と無理矢理にトーンを上げた声。

「さっき、決まったって。交換留学の件」
「な、なにが」
「来るって。よかったね」
「……!」

 振り返りもせず告げられた言葉に、背後でゼイユちゃんが息を吞んだのが分かった。それに対してスグリくんはよかったねという言葉のわりに嬉しそうでも楽しそうでもなくて、表情は見えないけれどたぶんあの沈んだ目をしているのだろう。
 今度こそ用はなくなったとばかりに歩き出したスグリくんに手を引かれ、必死で足を動かしながらちらとゼイユちゃんを振り返る。彼女は相変わらず蒼白な顔のまま両手を握りしめていたが、その姿はどこか祈りを捧げているかのようにも見えた。

「ハルト……」

 またその名前だ。スグリくんが嫌がり、ゼイユちゃんが縋る人。遠いキタカミの地で、ナマエの友達を変えてしまった人。
 ああどうか、と会ったこともないその人物に思いを馳せる。本当に物語の主人公だというのならばどうか。どうか、この二人にかけられた呪いを解いてハッピーエンドまで導いてはくれないだろうか。