第二夜 箱庭虚妄
今宵もまた私の部屋には煉獄様がいらっしゃっている。さて今日はどのようにして煉獄様をもてなそうか。
「煉獄様。なにかわっちにできることはありんしょうか」
「俺のことは気にしてくれるな!なまえさんは日頃の疲れを取られるといい!」
初めこそ煉獄様の粋な気遣いに甘えてゆっくりと夜を過ごせて頂いたのだが、こうも毎晩続くと流石に肩身が狭い。馴染みの客を断ってまでひと月煉獄様にお仕えする上に、花魁としての私の矜持もある。どうにか煉獄様にも楽しんで頂きたい。
「わっちも花魁でありんす。いつまでも煉獄様のお言葉に甘えさせて頂くわけにはいきんせん」
これでは花魁の面目も丸潰れだと煉獄様に告げると彼は困ったように腕を組んだ。
これほどまでに私を拒否する理由は一体何なんだろうか。煉獄様から見られて私はまるで魅力がないのだろうか。今宵こそはと念入りに支度を整えて煉獄様を迎え入れているというのに、これではあまりにも自分自身が惨めである。
縋る想いで煉獄様の膝に手を添える。
「いつまでも黙っていることはできそうにもないな」
「黙って…?」
「うむ。俺がここ吉原へ来ることになった理由だ」
こちらを見やった煉獄様のお顔があまりにも綺麗で意味を吞む。格子窓から差し込む月光に照らされたそのお姿は黄金の獅子のようであった。
「決して誰にも口外しないと誓ってくれるだろうか」
「勿論でありんす。わっちは約束を違えることはしんせん」
煉獄様は大きく頷くと静かに口を開いた。
煉獄様から聞かされたお話はにわかには信じ難いものであった。鬼殺隊という組織に属しておられるという煉獄様は人間を喰らう鬼を討伐するためにこの吉原へいらっしゃったというのだ。なんでも鬼の出没情報が寄せられたらしい。物心がつく頃より吉原に身を置く私でさえも、そのような鬼が存在しているだなんて聞いたことも見たこともなかった。ただ思い返せば突然遊女が消えたりだとか、遊女の変死体が見つかったりだとか、そのような話は何度か聞いたことがあった。消えたのは足抜けだろう、死体が見つかったのはこの先の将来を憂いた遊女が自決しただとばかり思っていた。しかし煉獄様に鬼の存在を教えられた今それらは鬼の仕業であったのかもしれないと背筋が凍る。
恐怖に顔を青くさせる私に煉獄様は優しい声音で話を続けられる。
「心配するな!俺が来たからにはこれ以上誰一人として犠牲者は出させない!」
「しかし、もし煉獄様がいらっしゃらない日中に鬼が襲ってきたら…」
「鬼の弱点は陽光だ。奴らが日中に事を起こすことは決してないだろう!」
煉獄様は立ち上がれると格子窓へ近づき、妖しげな灯りがあちらこちらに燈る吉原を見渡された。それに続くように私も彼の隣へと歩みよる。
いつもの見慣れた風景だ。しかし煉獄様からお話を伺った手前、その風景はいつも以上に不気味に見える。この吉原遊郭のどこかに人間を喰らう恐ろしい鬼が存在しているかもしれないのだ。
「煉獄様はどうして鬼殺隊になられたのでありんすか」
「む!それは俺が代々炎柱を務める家系に生まれてきたからだ!」
「炎柱…。それはさぞご立派なご家系でありんしょうね」
鬼殺隊のことは何一つわからないが、煉獄様の振舞いや口振りから恐らく彼が鬼殺隊の中でも優れた隊士であることに間違いないだろう。遊郭では帯刀が禁じられているため、登楼される際は刀を預けなくてならない。こればかりはどうすることもできないが、事情を知ったからには有事の際、煉獄様がすぐに動かれることができるよう私も心得ておかねばならない。
煉獄様が吉原にいらっしゃる事情を知ることができ、安堵すると共に少しだけ寂しさを覚える。彼は私でなくてもよかったのだ、と。ちくりと痛む胸を隠すように夜空に浮かぶ月を見上げる。今宵はいっとう月が美しい。煉獄様は下戸でいらっしゃるが全く飲めないというわけではないだろう。月見酒でもどうかと提案しようとすると彼がまっすぐに私を見つめ、思いがけない質問を投げかけてきた。
「なまえさんは何故遊郭に身を置いていらっしゃるのか」
「それは野暮な質問でありんすね」
「気を悪くしたのならすまない。だが俺も君のことが知りたい」
会話を遮るように煉獄様から顔を背けるが彼もすぐに折れるような人ではない。じっとその確固たる意志を孕んだ眼で私を見つめ続ける。
二人の間に沈黙が流れる。
やがて、やや大袈裟に私が息を漏らし、その沈黙を破った。
「幼い頃に両親に売られたのでありんす」
「実の両親にか」
「そうでありんす。貧しい家庭でありんしたので、わっちを売って少しでも家庭の足しにしたのではないでありんしょうか」
両親の顔はおぼろげにしか覚えていない。実の娘を女衒に売り飛ばすくらいだ。ろくな親であるはずない。
重たい着物を翻して格子窓から離れると丁寧に敷かれた布団の上に腰を下ろす。黄金の刺繍があしらわれた豪華な布団は今日もその役目を果たすことはなさそうだ。しばらく布団の刺繍を指でなぞって遊んでいたが、いつまで経ってもこちらへ来ることはず、じっと格子窓の側に立たずむ煉獄様は罰が悪そうに眉根を寄せておられた。
「煉獄様が気を悪くされる必要はございんせん。わっちは自分なりに納得して花魁になったのでありんす」
「だが…」
「いつものように笑っておくんなんし。わっちは煉獄様には笑って頂きとうありんす」
煉獄様は静かに私の元へといらっしゃるとまるで羽根のようにふわりと腰を下ろされた。そして私の頬に自身の手を添えられた。初めて触れてくださった喜びに胸が温かくなる。たくさん鍛錬を積まれたのだろう。添えられた掌は硬く、逞しいものであった。
「君が、望むことはないのか」
添えられた掌の温度を甘受している私に投げかけられた問いに困ったように僅かに眉を寄せる。
望みはずっと一つだけ。決して叶うことはない儚くて脆い望みだ。
「いつか。いつかこの籠の中から飛び立つことでありんす」