絶望という名の刺客

___それはと或る一つの…鳴る筈の無い電話の着信によって敦達の世界が一変した。

「…はァ…、うッ、迂闊…だったか…あ゙ッゲホッ」
「小娘…未だ喋る余力があったか」

紫琴が苦しみに喘いでいるのは彼女の細い首に着物という衣に包まれた女子の腕が掛かっているからか…。

「清水…さ、ん」

敦の嘆き声が遠くから聞こえるような錯覚に陥る程の強力な腕力で首元を掴まれている。
その腕力は女子とは到底思えない。
徐々に薄れて行く意識の中、抵抗しようと足掻くもその手は僅かに届かない。
たった一人の刺客に成す術なく朽果てる虎と業人。
その光景を見た和服を纏った女剣士は紅色で染まった唇を歪ませ滑稽だと云うばかりに嘲笑う。

この様な惨劇が起こる前触れは遡ること数十分前___。

鏡花の初任務が失敗に終わり落ち込んでいるところを敦たちが慰めていた頃であった。
そして、彼女の手には先程敦が買い与え代物が。

鏡花が一人で館内に侵入した後、如何やらお目当の判事にも危害を加えてしまったという失態を犯してしまい結果、依頼者から可哀想なくらい激昂を喰らった。

何とか事無きを得た一向は颯爽と裁判所から離れた。敦は私用で場を離れ現在は鏡花と紫琴の二人で赤銅の柱付近のベンチで腰を落ち着かせていた。しかし、正直この状況は拙いと内心冷や汗を掻く紫琴。当然、理由は彼女の左隣に腰掛ける少女が纏う雰囲気にある訳だが。
出会った当初から感情は表に出さない子だとは思ってはいたが…端から見ても誰も彼もが分かる程に気を落としている姿を見て当然、子供慣れしていない紫琴はこういう場合如何いった風に慰めればいいのか戸惑っていた。

「そ、そんなに自分を責めないで下さい、ね?失敗なんて人間幾らでも」

云って後悔。宥める心算が逆に失敗を指摘して追い詰めている。嗚呼…子供相手に何て事を…と今度は紫琴が正に意気消沈という言の葉が当て嵌るかの様にへなへなと椅子に座り込む姿とその落ち込み具合に敦も如何いう風に声をかけたら良いのか既に分からなくなっている。

いや…そこで落ち込まれても。

彼女は単に純真、異国用語で譬えるならばナイーブな心の持ち主の様だ。
しかし、己の言動に後悔するのはとても誠実で結構な事だが任務に失敗した所謂当事者よりも遥かに消沈の度合いが桁違いなのは気の所為だろうか。
負のオーラがこちらの身体までも蝕む勢いだ。ここは本人には断られたが先程自腹で購入したを彼女の分も買い求めて来るべきか。
鏡花の手に握られているそれを一瞥してそう算段したがここで一つ問題が生じる。薄好焼(クレープ)()

「(清水さん、物で解決する人じゃなさそうだな…)」

外見や普段の様子からして物欲すら皆無だと社員全員口を揃えて証言するくらいだから事実なのだろう。
そして、彼女の様子からしてこれは今に始まった事ではないことが見受けられる。
そんな憶測でふと脳裏を過ぎったのは己の直の上司であり己を拾ってくれた恩人。
若しも今転換して己の立場が彼だったのならば…。

「(この場合、太宰さんなら何て声を掛けるンだろう)」

彼らの親密度は己が社にやって来てくる前から既に判り切っている。彼なら、彼女に対する最善策を思いつくだろうに…。その彼は今彼女によって己の携帯にも彼の連絡に対する連絡拒否を行っている為今頃はお留守番ワンコと化しているのかもしれない。
何故今に限って居ないのだ!
彼へと縋る気持ちが何時の間にか彼への怒気を生み出していることに気づき慌てて荒ぶる心を押し沈めた。
しまった…、事の関わりのない人間を知らずに巻き込もうとしていた。と、そう云った意味では彼もまた意気消沈という語句に当て嵌まる心情だろう。
そんな事を自嘲気味で思い浮かべているとふと己に視線が刺さるのを感じ顔を其方に向ければ案の定不思議、や違和感を示している何処か困惑気味な視線という矢が刺さっていた。一つは深海を漂わす幼くも大きく開いた碧眼、一方は無限に広がる大地に光が差し込んだかの様な赤銅色。
静止された世界と思わせる程彼女等は己を一点だけを見つめて微動だにしない。
その所為か如何したのかと簡潔な言葉を口に出そうとしてもあまりにも凝然とした視線だからか途端に緊張感が押し寄せ表情筋が発達しないものだから上手く口に出せない。口内に鉛でも詰めたか?

「あ、あの…何か僕、その…、変でし、た?」
「いえ…中島君は座らないのかと、思っただけです。あ、…済みません、不躾でしたね」

自然と出てきた謝罪の言葉に慌てて否定する敦。否、寧ろ伝えてくれて感謝したい。あの儘だとずっと敦は立っていただろう。彼女の気遣いに感謝しつつ鏡花の右隣に腰掛ける敦。
そして再び再開される会話。やはり此処での話題は先刻の依頼の件だろう。
鏡花の不祥事は如何やら判事の友人で探偵社社長の福沢が話を付けてくれたらしい。
彼の顔の広さには毎度驚かされる。一体どんな情報網(ネットワーク)()かは知られていないが商事社経営者だけには止まらず政治や法に関わりを持つ者たちまでとはここまで来ると最早拍子抜けだ。
ふと、敦が目に映ったのは鏡花の首から掛けている携帯情報ツール。
彼はそれを指摘すると大切な物だから…と返されそれに対して返答し難い。
敦同様異能が制御出来ない彼女にとっても周囲の人間にとってもその小型機は実に脅威である。
しかし、若しもその異能が制御できたとして、戦略として扱うことが出来た場合は十分な戦力になるだろう。
そのことを敦が提言した瞬間、鏡花は珍しく声を荒げ顔を歪ませ身を震わせた。
彼女を見た紫琴も目を見開き言葉失った。

「鏡花ちゃん?」
「駄目…夜叉はもぅ、二度と…」

携帯を握りしめ震えた声で儚げに呟く鏡花の肩に手を置こうとする紫琴。
そんな彼女を拒否するかの様にこれ以上鏡花への提言を牽制するかのように―――、

prrrrr....♪ prrrrr....♪ prrrrr....♪

恐怖の無機質な音色が広場一体に響き渡る。
先刻、持ち主の彼女は携帯のプログラムは業者によって変換したと云っていたから第三者は携帯越しから夜叉に命令は出来ない。
そんな時応答しなかった着信音が突然に途絶えた。つまり、その着信に応えた者が居る。
夜叉に命令する人物はこの中には居ない。
可能性として考えうる最大の理由は…

「同じ…系統の、異能力者?」

紫琴の呟きと同時に小型端末機から艶やかな女子の声が聞こえ、正体不明のその女子は携帯越しで残酷な命を口にした。



ーーーー「夜叉白雪よ、鏡花に嘘の世界を教える者共に罰を与えよ」
その瞬間から、彼らの命運は絶望へと直進して行ったのだ。


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