To you the reward of love
___清水紫琴、激務のすえ無事帰宅。
疲れた。
そう思ったのは何時振りだろう。
そう思わせる様な任務を課せられたのは何時振りだろう。
否、全てが久しい感じがした。
入社当初の頃と比べれば明らかに激減したであろう。
でなければ、こんな不慣れな任務を終えた新人ような疲れは出ないし、社員寮の部屋へ続く階段を登ることがこんなにも辛くはなかった。
___あの男が己の任務を妨げ始めるようになった迄は。
その訳とは、あまりにも常識とは掛け離れたものなのだが、【彼】にとって凡人である我々の常識は【非常識】であり我々にとっての非常識は【常識】という些か迷惑な彼のポリシーが原因である。
常識人であるならば、任務の途中で清らかな川の流れを見ては衝動の侭に飛び込み任務放棄はしないし、見ず知らずの初老が所有する畑を耕せば埋まっていたというサイコホラー的な物語は生み出せない。
明らかに自分の人生は変わってしまった、そう思っていた矢先の激務だ。
これ以上【任務】と異常人と化した【恋人】に振り回されて人生を棒に振りたく無い。
とはいえ、これまでの生で役に立った或いは何かを成し遂げたというような事は一切せず、只々軟禁状態にされていたのだが折角の人生初めての就職なのだからそこは真面目にやりたい。
そんな意気を買った社長、福沢から貰ったのはと或る民間女性からの依頼だった。
"最近、帰宅途中で誰かに付けられているような"という相談。
所謂ストーカー被害にあっている可能性があるという事だ。
そしてその依頼とはその被害にあった女性の護衛、及びストーキング疑惑が掛けられている男を確保すること。
女性絡みの依頼であったら女性が一番であろうという考えから福沢が紫琴を抜擢したのだ。
久しぶりの任務に胸を踊らせる紫琴だったが、女性絡みとはいえ相手はストーキング疑惑の男だ。
詰まりはこの男が黙っていなかった。
「駄目だよ。紫琴に危ない真似はさせない。その依頼は私がやる」
一体何処まで邪魔をすれば気が済むのだろうかこの男は。
そういう意味を込めて恨めしそうに太宰を睨む紫琴。
暫くの口論の末、半端強引に太宰を払い除け依頼先に向かった紫琴。
▽そして今に至る。
真逆あれ程までに男がしぶといとは計算外だったようだ。
紫琴が依頼女性の変装をして夜、指示通りの帰宅路を歩いていれば、依頼にあったストーキング疑惑の男が姿を現した。
女性にかなり執着していたようで、凶器を携えながら脅して来た。
完全に似ていたわけでは無いものの、異常な程のの執着心を持っている人物を紫琴は心当たりがあったのか然して動揺などはしなかった。
それよりも中々の粘着質執着愛と手強さに苦戦したが男を確保出来て任務は遂行したのだが心身共にダメージを受けた。
その所為で、室内に入れば倒れ込むように横になった紫琴。
嗚呼…己の戦果を讃えてくれる人物は居ないのだろうか。
と、少し残念に思いながらもその侭瞳を瞼で蓋をした。
夕飯の仕度は後でいいだろう。
同棲者は今頃川の中(にんむちゅう)だ。
愛の褒美を君に
To you the reward of love
「…。…
紫琴…
紫琴」
誰かが己の名を呼ぶ声がする。
否、呼び起こしているのか。
そうだとしても頭を撫でながら呼び起こすとは少し矛盾した動作だ。
揺するならまだしもこれでは再び睡魔が襲って理性を喰らい尽くそうとするではないか。
それにしてもかなり熟睡していたのかあれからどれ位経過しただろう。
声の主は同棲者であろうという仮説を立てて睡魔に苦戦しながらも考えた。
太宰が帰宅しているという事はもう日は完全に堕ちているということか。
若しくはお得意の任務放棄か。
何方にせよ、同棲者の帰宅ならば迎い入れなければ
と紫琴は深い水底に沈水していた理性を奮い起した。
瞼という蓋を開けたらまず一番に視界を占領したのは太宰の顔だったことに内心驚いたが、その穏やか過ぎる表情に全てを持って行かれた。
「ん…太宰君。おかえりなさい」
「ただいま、紫琴。嗚呼…可愛い奥さんの迎えが無くて少し寂しく思ったが無防備な君の寝姿を見ていたら寂しさなんて全て吹き飛んだよ。…疲れたのかい?」
いつの間にか掛けられていた毛布に彼はかなり前に帰宅していたのだと予想できた。
そして、紫琴が疲労して寝こけてしまったという理由も彼にはお見通しだったらしい。
「…そうです。男性がかなり粘着質の強い方だったので少し手間取りました」
「矢張り私に任せておけば善かったのに…そんな男に紫琴の手が触れたなんて、想像しただけで吐きそうだ」
太宰のその独占欲が過ぎる態度と反応は昔から変わらない。
そんな彼に"大袈裟ですよ''と苦笑いして宥める紫琴。
ふと、頭を過ったとある考えに彼女は一瞬戸惑った様子を見せるが思い切って行動に移した。
「太宰君」
「ん?何だい」
「…怒らないで下さいね」
その言葉の意図が理解できなかったのか、太宰は"何を"と疑問を口にしようとしたがその言葉は喉まで出かかったもののその侭吐き出されずに逆流しながら戻って行った。
状況を説明するとしたら、今現在、太宰に力一杯引っ付いているのは紫琴である。
彼女は自称夫と云う太宰とは異なりこの様な不慣れな行動には遠慮している部分はあった。
それに加え、自分は決して積極的な人間ではないし尚且つ、太宰本人が自分が積極的な行動を取ることをあまり好ましく思っていないのではという予想から控えていたのだが、どうか今回は見逃してほしい。
何せ初めての一人での任務。そして太宰という一人の男とは別の成人男性の身体に触れたこと。
それらの経験をする前、彼女は幾分不安に思っていたのだろう。
これ迄の任務には必ず太宰という人間が寄り添っていた。
つまり、今の自分は太宰が居なければ出来ることが限られているということだ。
それはいけない。
彼にこれ以上迷惑を掛けぬ為にも己を強くせねば。
その意思が逆にプレッシャーとなり彼女の重みとなってしまったのだろう。
彼女に何か思いがあるのだと察した太宰は突然の出来事にも然して動揺せずに至って冷静な物腰で彼女に問いかけた。
「…如何したんだい?紫琴にしては随分大胆な行動だが」
「この様な行いが好ましくないのでしたら慎みます」
「否、寧ろ大歓迎だよ。何時もはこんな事が無いから新鮮だ。紫琴にもこんな甘えたな一面があると思うとつい顔が最大限に緩む実感がするよ」
甘え…か。
紫琴は太宰の胸部に顔を寄せ付けながらふと考えた。
確かに幼少の頃から自分から甘えに行く様な友達も居らず、況してやそういうことをさせる様な知人すらも居なかった。
かと云い、母親に甘えるといっても母子家庭で母親は勤務で常に家を空けていた。
だからこういう事をさせてくれる唯一無二の存在。
そんな彼が愛おしくて。
「…大好きです」
「うん。…それは私が君を襲っていいという許可かな」
「仮にそうなるとしても返り討ちにして差し上げますよ」
いつもと変わらない調子の太宰だが紫琴に分かる。
そんな事はしないと。
だが、かと云い何時もとは異なる太宰を見るのも良いが些か気分が悪い。
だから今この空間を紫琴はとても幸福に思っている。
この侭時間が止まってくれれば…何ていう世迷言を云う心算はないが、今はこの時間をゆっくり脳から足の爪先までの至る所に染み渡るように彼らは堪能したであろう。
「…夕飯如何しましょう」
「善いよ。私は紫琴さえ傍に居てくれれば夕飯なんて不要だよ」
__果たして、甘えたなのは彼女が彼か何方なのだろうか。