彼の異能
His talents
____度々思う。
何故何時も目覚めるときは必ず気絶させられた後なのか。
太宰とか云う変人と遭って間もないというのにこれまで2回気絶させられた。
よくもまあ己の愛欲が為にこの様な粗末な扱いをさせられたものだ。
迷惑だ。非常に。
そう思っている間にも徐々に意識が覚醒していくこの脳内。
そうして完全に覚醒した脳内で先ず思ったことは、またお決まりな訳だが…。
此処は一体何処だろうか。
只、屋内という事だけは判る。
それに、面積が広く、少しばかし高級感が漂うこの一室の家具類は何か執務を行う為の並びの様にも見える。
そして日差しが直接的ではなく、何かを隔てた越しに当てられそれが窓だということに気付く。
久し振りの日光。
もう二度と日が当てられぬと覚悟はしていたが、思ってもいなかった展開だ。
「(あの人は…居ない?)」
紫琴が''あの人''と呼ぶのはバス内のテロ事件で偶然居合わせた包帯を無駄に身体に巻きつける男のこと。
紫琴は彼とは初対面だったが彼は以前に彼女と遭ったのか或いは見掛けたのか判らない。
だが、理論的に例え只すれ違った異性にあれ程の愛欲をぶつけるのは極稀に見る希少種に値するだろう。
そして彼女は自分に隠すことなく注いでくる彼なりの愛情に恐れている。
現に、今でも太宰が居ないを好い事に如何やって
晦まそうか算段している訳だが…此処がどこかも判らないこの状況に右往左往している。
暫くそうしていると、不意に視線が窓に移る。
窓から覗けば県外ではなければ多少なりとも場所が特定出来るやもしれない。
そう考えた紫琴は早速その窓辺に近づく。
意識が戻った直後な為多少のふらつきは見れるが何とか辿り着けた。
しかし、窓辺を眺めた後の第一声は驚愕の色に染まっていた。
「う…嘘」
紫琴が目にした光景。
それは窓の外を見れば街が広がっており至る所には人々の住まいや店舗、建ち並ぶビルディング。そしてそのもっと先には無限に広がる蒼く光る海。
そこで、驚いたのがそれらの【大きさ】だ。
人々が住まう家々は一見人間としての立場、目線からして見れば大きいと誰しもが思うだろう。
しかし、今の目線からして見て如何だろう。
まるで人形遊びに使うハウスのように人の手で掴める様に小さいのだ。
加えて、何故かここから見ると住まいの屋根しか見えない。可笑しな話だ。
極め付けは、ビルディング。
普通ならば人はビルディングを【平行】に眺めることなどほぼ不可能に等しい。地に降りたのならば変な話だが、先ずは垂直に首を折るしか術はない。
此処まで考えれば例え意識が混濁していた紫琴と雖(いえど)も理解できただろう。
そう。此処は小さなビルディングを上から眺められ尚且つ住まいが玩具の様に見える場所。
ビルの中だ。
つまり、此処は直接的なポートマフィアに関わるビルディング。
そして、ここは執務室。
誰の執務室など此処に連れてきた人間を想像すれば検討よりも確信がつく。
詰まり、今彼女に逃げ道はない。
しかし、捕まってはいけないのだ。あの男にだけは。
嗚呼…男に復讐する復讐者と成り変わるつもりがあの男に恐怖心を抱くようになって逃亡者と成り果ててしまったのは何時のことだろうか。
「如何しようっ、窓からは逃げられない…。か、隠し扉っ。何処かに隠し扉はっ」
そう右往左往している内に何処かでバタンとゆっくり扉が閉まっていく音がした。
その音が耳に入った瞬間、ピタッと紫琴の今までの動きが静止した。
分かっているのだ。その扉の音が自分の直ぐ後ろでしたことは。
分かっているのだ。後ろを振り返ればあの男が熱に浮かされたような笑みを浮かべていることは。
分かっていても振り返るのが、あの男の歪な愛情の表わしとする笑顔を見るのが恐ろしくてつい目の前の窓ガラスを見てしまった。
ガラスに映っていたのは男の愛情の恐怖に怯えている自分の顔と閉じた扉に寄り掛かり心底面白そうに紫琴をじっと見つめていた太宰だった。
▽
トン…トンと絨毯越しに聞こえる革靴の音。
そして徐々に怯える小鹿と化した彼女に近づいて行く狼と化した男。
この時ほど時間を止まってくれと非科学的な事を望んでしまうのは只の悪足掻きだろうか。
「ねえ紫琴、…間違っていたら謝るよ。今…逃げようとしたね。此処から…私から」
ほぼ確信めいた【一応質問】に必死に首を横に振る。
振ると云っても、男に対する恐怖で痙攣しているようにも見えるが。
これでこの男にも自分自身にも嘘を吐いたのは何回目だろう。
自分に向けて汚物でも見たかのように心中で睨め付ける。
何時から人に嘘を吐く術を習得したのか。
今は亡き愛しき母より幼き頃から教わった。
"嘘つきは泥棒の始まり"だと。
詰まりは嘘を吐いてしまっては己の行く道を違えるということだろう。
しかし、学問所にて新しく学んだのだ。
"嘘も方便''だと。
要は、嘘を吐くことは邪であるが時には嘘も必要だということ。
正直、二つの真っ当な意見があると困る。
どれか一つに統一してくれなければなどと愚痴り少し昔のことを蘇らせていたときにふと思った。
この場合は、"嘘も方便"を使うべきだと。
しかし、彼にとっては彼女が嘘を吐こうが吐かまいが最早関係ないのだった。
「嗚呼、そうそう。実はね君が此処に来るまで隠し扉があったのだけれどそれを塞いだのだよ。本当は万一のことを思って森さんに頼んだのだけれど私と君には必要ないからね」
嗚呼…何だ。全て見透かされているではないか。
自分の浅知恵を見透かすなど彼にとっては朝飯前なのだ。
「貴方…正気ですか」
「うん。正気だからこんなに頭も回るのだろう?御蔭で君の逃げる術を封じれたよ」
再び近づく太宰に本格的に脳内に警報が鳴り響く。
「こ、来ないでっ」
恐らくこの15年間生きてきた中で一番声を上げた瞬間だったであろう制止の声は当然太宰も予測していなかったようで思わず足が止まった。
「こっ、これ以上ち、近づいたら…貴方を…こ、殺します」
声だけでなく腕を伸ばし掌を太宰に向ければそこに纏うは暗黒に色付いた文の数々。
それを見た大抵の人間は怯むのだが当の太宰はさして驚きも怯みもせずただ一言を口にした。
「殺す?…君が、私を?」
何だ。何なんだ。この男の顔は。自分が殺されるかもしれないとたった今警告した筈なのにも関わらずこんなにも余裕なのだろうか。
まるで、"何を馬鹿なことを"と云って小馬鹿にしたようや口振りだ。
要件が終わったと見かねた太宰は止めていた足をまた動かし始めた。
「く、来るなっ!幾ら貴方が此方を愛していようとも此方がその愛に応える日は絶対にありません!」
そう口にして太宰を睨み付けても当の太宰は然程変わらない反応だった。
しかし、紫琴はしかと見た。
完全に太宰の目の色具合が変わった瞬間を。
そうして暫く止まった太宰を不思議そうに見れば太宰は何かを考えているようには見えなかったが何処か悲しみを帯びた瞳をしていたが、それも一瞬で正確に見れることは不可能だった。
「良いよ。君が私を愛していなくとも」
ゆっくりとじりじりと近づく太宰の目は完全に捕食者のそれだ。
紫琴の異能を間近で見たはずなのにまるで構い無しだ。
「…私が君の分まで愛せば善い」
そう云った時には既に彼は目の前に居た。
唐突はことで思わず手を引っ込めたくなったが唯一の【脅しの武器】として捨てるわけにはいかない。
太宰は只一言を笑顔で云った。
「君では私を殺せない」
その後は何が起きたのかよく分からなかった。
そう云った彼は唯一の【脅しの武器】である腕強いては手に自分の指を絡ませてぎゅっと握ってそのまま引っ張り、腕の中に閉じ込めた。
太宰は心底幸せそうに大切に彼女を抱いていたが、腕の中にいる囚われの彼女は驚愕と恐怖と困惑が入り混じりどうにかなってしまいそうだった。
何が起きた。
唯一の【脅しの武器】がまるで包み込まれたかと思わせればそれは消え失せ紫琴が生身の人間となった瞬間に身体ごと包み込まれた様な錯覚に陥った。
「な、なにを…」
「嗚呼、まだ云っていなかったね。私の異能【人間失格】はあらゆる異能力を無効化することができるんだ。譬え…人殺しの為の異能でもね」
聞いたことない。そんな異能。
まあ彼女自身、異能力については色々と無知な部分があったという反省点もある。
しかし、異能が封じられる。
これほどまでに屈辱と羞恥を味わったことがあるだろうか。
詰まり、異能力に頼っている人間は必ずこういう者によって足元をすくわれるのだ。
「それでは……貴方の前で異能は全て無力ということですね」
「…そう。だから異能でしか人を殺めることが出来なくて生身で人を殺す術を知らない君には私どころか他の人々を殺すことは出来ない」
全て事実だ。
自分の手で人を殺めたことがない小娘は異能力によって彼の部下を抹殺した。
だってそうではないか。
15という齢で自分の手を穢す者なんてほぼいないだろう。
「此方は…貴方を許さない」
「私は愛しているよ」
自分自身の心中にある憎悪を込めて彼を睨み付ければ彼は自分自身の心中にある彼女への愛でそれを包み込んだ。
何て悲しきことかな。
自分の人生は呪われているのだろうか。否、そうでなくては寧ろ困る。
仮に若しもこの男と共に生きるなどとそんな末路を迎えるくらいなら自分の首を掻き切ってやる。