投獄
Imprisonment

___ポートマフィア。
それは、この街の暗部の大半を占める非合法組織。
また、この組織は無数の密輸業社を所持している。故に、人を殺める、掻っ攫うなど__この組織にとっては朝飯前だ。
そして、そんな暗部の中枢の組織本部にあるビルディングのさらに暗部。
地下牢だ。
そんな仄かに明かりが灯る程度の明るさの中、男は予備電灯などを一切持たずに足を進めていた。
途中ですれ違う監視官の部下の挨拶なんて一切目も向けず、只々前を向いて歩いている。

男の眼に映る情景は或る者の己に対しての怯んだ顔を…。
男の頭は或る者の表情、一つ一つの動作がインプットされている。
男は記憶力が良い。
故に、この男の身体、脳、神経が彼女を求めている。

そして、云った様にここは本部の地下。
仄かな明かりの灯火を受けるも、奥行きがある為か最奥まで眺めることは不可能だ。

此処は___地下牢はポートマフィアが敵対とする組織の刺客や兵を捕らえては死ぬ程辛い拷問を受けさせる謂わば監獄。
今日もまた耳を澄ませば響きの良い嘆きの声が聞こえるだろうか。

などと至極残酷な考えながらもも足を進めれば行き着いた先は一つの座敷牢。

「やあ、おはよう」

この薄暗い空間には決してそぐわない呑気で気長な挨拶。
端から見れば、男が誰も居ない鉄格子に挨拶している友達の居ない可哀想な子なんて思う人間も居るのではないだろうか。

しかし、彼は知っている。
この暗い所に一人で溢れんばかりの怒りや憎しみを押し堪えている少女が居るということを…
理由は簡単。
何故なら___彼が閉じ込めたのだ。この窮屈な空間に。

「おはよう紫琴。今日はいい天気だよ」

男の名は太宰。
泣く子も黙る非合法組織・ポートマフィアが一隅。そして最年少幹部と云われており部下からも一目置かれた存在なのだ

「…」

女の名は紫琴。否、下の名前はというのが正しいが。
そして、まだ齢が15足らずだ。
まさか高が15年間生きていただけで何も罰当たりなことはしていないというのにこの仕打ち。
自分が何をした?

何故この様な仕打ちを受けねばならない?

母親は…自分のせいで死んだのか?

そうやって投獄されてから自虐的な自問自答をするようになった。

「無視なんて酷いねェ。ま、そういう君も愛嬌があって好い。その強情さが何時まで続くのか見ものだな。あと……何度も云うけど、あまり其れ(枷)壊さないでくれる?幾ら腐る程あるとはいえ、こうも何度も壊されるとこちらもこちらで大変でねェ。決して安いものではないのだよ」

そう云って指すのは彼女の側に粉々になって散らばった枷の【破片】。それを見て溜息を吐く太宰に紫琴はしれっと答えた

「では、組織の為にもその枷を大切になさって下さい。肝心な時に無いと困りますからね」
「それは駄目だよ。そうすれば君は必ず逃げ出す」
「……逃げません」

「うーん、残念。流石にそこまで君を信用していないので故にその発言は信用ならないのだよ。それに、あまりそういった事を軽々しく口にしないほうが良いと思うよ?」

どういう意味だろうか。
彼の云っている発言の意図が解せない。
紫琴が困惑している中、太宰は屈ませていた長い脚を伸ばし立ち上がった。

「却説、私はそろそろ行くよ。…もう少し屯っていたいけれどそうとなれば中也が煩いからね」
「……そうですか」

寧ろありがたい。
この状況で一人に自問自答を続けることよりも誰かと話す方が苦痛だ。
何せ己は檻の中。相手は檻の外。
どうしても外の空気への飢えというものが発生する。

「君の為に忠告しておくよ。これから私以外の人間と干渉しないこと。話し掛けても無視するんだ。部下だったら、そうだな…私に報告してくれ。部下のせいは私の監督不行届きだからね」

まただ。
何故だ。何故この男は__眼は何物にも代え難いどす黒い狂気に包まれているのだろうか。
如何して部下を殺したというのに、己にこの様な事を___、優しく接するのか分からなかった。

少女に対する慈愛、独占、支配。
それら全てを瞳に宿し、少女を本気で手篭めにしようとしている。飲み込もうとしている。

この男は_____危険だ。

「紫琴?返事は?」

返事を促す太宰。
一番簡潔に収拾がつくのはこのまま躾けられた飼い犬の様に大きく頷き謂わば遠回しに脅迫と云えるこの忠告を受け実行すること。

しかし、もし万一破ればという仮定も立てなければ自分の身に何が起こるか分からない。
殺す___なんてこの男がするわけが無い。
自惚れる様な自分では無いがここ15年の生を歩んできた中でこんなにも異性から慈愛を受けたことは無かった。
故にこの男は自分に執心だ。
もし、彼の部下が自分を殺そうとなれば、彼はその部下を躊躇せずに殺めるだろう。
加えて、男は頭脳にも長けている。
上層部から怪しまれたといえど饒舌な為幾らでも架空を創れる。

「では…此方からも忠告を」
「?何だい」

如何やら聞き入れてくれるらしい。
一呼吸をおいて口を開く。

「…此方は誰からの指示もお受けしません。
しかしながら、今此方は囚われの身。自由は利かないので貴方に従ったほうが得策でしょう…
ですが、此方は人を殺める音、嘆く声はこの齢には苦でしかありません。此方は幾度もこの空間にて沢山の方の嘆き声を耳にしました」
「だから此処から出してくれ……と?それは随分都合の良い話だね。それにそう思っているのは何も君だけではないのだよ。捕らえられている者全てが恐怖に怯えている」

それは分かっている。
ここには不貞を働いた組織の者ですらここに収容されている。

しかし、此の儘では己の神経が張り詰めて何時しか糸の様にぷつんと切れてしまう。

「紫琴、私はこれでもポートマフィアの一隅で幹部だ。何時でも君を処刑にできる。しかし、何故そうしないのか分かるかな?」

そうして不意に聞こえた檻の開錠の音。
まさかと思い顔を上げると格子越しではなく目と鼻の先に太宰が居た。
驚愕で思わず後退しようとしたが自分がいる場所は檻の隅。逃げ場がない

それでも構わず太宰は紫琴に近づき壁に手を添えた。
顔を近づけられ反射的に逸らすが逆に太宰は逸らされた状態で顔を近づけ耳に口をつけた。

「紫琴、今逃げようとしただろう?」

低い声の一言一言が耳を通って脳を刺激する。
紫琴はその事を必死に否定する様に首を振る。

「……立場上君を逃すことはできない。だが、君が私の云うことを聞くのなら…此処から出してもいい」

逃すことはできないというのに、この牢獄から出すということか?一体如何いう意味だろう。
紫琴は太宰が云っていることに疑念を抱いていた。

「紫琴、初めて会った時に云った筈。君が好きだ、愛していると。私はね、堪忍深いのだが君が他の者から与えられた食事や世話をされるのを見ていられるほど心が広くない。だから、或る好い事を思いついたのだよ……」

何故か嫌な予感しかしない。
脳が全身の筋肉に命令している。

逃げろ、と。

だが、この状況下では脳に逆らうことしかできない。
この男は、本当に自分を手篭めにしようとしている。

「紫琴、私の部屋へおいで。私と一緒に居よう。そうすれば、君に危害は加えられないし誰にも見つからないよ」

ほら、矢張り。
この男は自分を傍に置いておくことで優越感を感じている。
愛しい異性が傍に居て嬉しくない筈がないのだから。
だが、彼は自分の母親を殺した張本人。


「あの…此方は」
「却説、善は急げだ。早速私の部屋に君の空間(スペース)を用意させよう。嗚呼でも、首領の耳に入ったらかなり面倒だな。どう言い訳をつけようか」

完全に置いていかれている。
首領と云ったか…まあ、一大組織ならばその頂点に立つ者が居るのは当然だろう。

紫琴が困惑している中、太宰は一人で悶々と考え或る一つの方法に行き着く。

「紫琴、私は君を愛しているんだ。だから、」

唐突に云われ少々驚いたが、嫌な予感がするのが拭えない。
まだ、何かあるのかと聞こうとした時、太宰は彼女に向けて蕩けるような笑みを向けた。

その瞬間、紫琴に鈍器で殴られたような衝撃が訪れた。
そのはぐらかすような卑しい笑みに意識が持っていかれたのだろう。
不意をつかれた。

意識が混濁している中、不意に太宰が視界に入った。

「 」
太宰は紫琴を見つめ口を開いたが混濁している紫琴には視覚も聴覚も発達していない為全く聞き取れなかったし、どういう表情をしていたかなども 見て取れなかったが大凡の見当がつく。

嘸かし、幸せそうに微笑んでいるのだろう。

意識が完全に途切れるまで機能していたのは皮膚感覚だけで誰かが身体を持ち上げていることしか判らなかった。

前にもこの様な事があったような気がする。

なんて呑気な事を思い、そのまま意識が途切れたのだった。


「私はね、君を得る為なら手段を選ばないのだよ」
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