花津月を重ねて

※1年生終盤、2年に進級する直前
浅春のみぎりの後日談のつもり(一応単発でも読めます)





「ふぅ、……おわったぁー」

気の抜けた呟きのあとパシッと軽く交わされたハイタッチは、本日の任務完了の合図だ。
今日は運良く棘と華鈴のペア任務で、北関東の山中、古びた廃校に来ていた。

「しゃけ。めんたぃ、ッゲホ…っぐ」
「棘!! …結構喉やられちゃったね…。ごめん、あたしがもっと動き止められてれば…」
「ぉがか…」

今回の呪霊は準1級相当。階級でいえば単独任務として宛てがわれる案件だが、周囲の下級呪霊を巻き込み操るという非常に厄介な術式が観測されていたため術師2人体制の派遣だった。
いざ現場に来れば操られている呪霊の数は膨れていたので結果としてその判断は正しかった訳だが、準1級の棘と2級の華鈴、2人がかりでも厄介で。
強敵というより、じりじりと気力を削られる相手だったなと棘は振り返る。

のど薬を飲み干して口許を拭うと、苦しげに眉を寄せた華鈴と目が合った。
優しい彼女は棘が喉を傷めたことを自分の責任だと思っているのだろう。
揺れる視線を受け止めて、心配ないよ、と伝える。

「おかか。いくら、こんぶ」

華鈴のせいじゃない。はっきりと言い切って彼女の頭を撫でる。
でも…、と尚言い募ろうとする彼女に、撫でていた手を手刀に変えて落としてやった。

「ぁだっ!?」
「おーかーかーーー!こんぶっ!」
「うう…わかったよぅ…」
「ツナ」

実際、彼女の術式のおかげでふたりとも負傷は無いに等しいのだ。
自分の喉がダメージを負うのは同等級以上の呪霊であれば致し方ないことである。多少咳き込むくらいは日常茶飯事だが、やけに落ち込んでいるのが気になった。
先程までの戦闘で精神面が疲労したのは彼女も同じということか。

戦闘後に気分が落ち込むことは間々あれど、彼女が自身を責めるのも、それでつらい気持ちになるのも嫌だ、と思う。
――ただ、自分の立場に置き換えればきっと同じことを考えるだろうから、強く止めることはできないけれど。


ふたりで凝った肩をほぐしながら歩き出したところで、そういえば、と思い出して華鈴を引き止める。
戦闘中、校庭の隅に1本だけ咲く桜の木を見つけたのだ。廃校の一面褪せた色合いの中で、その一箇所だけピンク色だったのがやけに印象に残っていた。
周囲に呪霊の気配もなく、時間が特別押しているわけでもない。数分間桜を眺めることくらい許されるだろう。
勝手にそう判断して、不思議そうな顔の彼女の腕を引く。

お互い多忙故にふたり揃って外出できる日が少ない中、任務とはいえこうして一緒にいられることが素直に嬉しい。
日々の働きぶりに免じて、この貴重な機会を有効活用することくらい見逃してほしいと思った。


「わ……、すごい、綺麗…」

桜の木は近寄ると意外にも大きかった。
枝の真下に立って見上げれば、帳のせいで薄暗い空にぼんやりと光を反射する花弁が映えて、まるで夜桜だ。

「しかも満開だね。超ナイスタイミング」
「ツナマヨ!」
「ふふ、日ごろの行い〜?棘いたずらばっかしてるじゃん」
「おかかー」

交わす会話が楽しい。他愛もないことでくすくすと笑い合える。
その簡単な事柄が、どうしてこうも幸せなのか。理由なんて分かり切っている。


ふたりで頭上を眺めていると、ぽつり、華鈴の声が落ちる。

「来年も見れるかな」

誰に言うでもないその言葉は、きっと彼女の唇から無意識に零れ落ちたものだ。
だからこそ、込められた意味に胸の奥が締めつけられて、思わず彼女を腕に閉じ込めた。

「わっ… 棘?」
「…」
「珍しいね、外でぎゅーなんて。どうかした?」
「…おかか」

なんでもないと言いながら、なんでもなくないことなんて彼女には筒抜けだろうに、それでも言い出せなかった。
思い出すのは先日、教室前で盗み聞いてしまった五条と華鈴の話。

――大人になっても同じように

彼女のその願いを叶えたい。
けれどそれを破らぬ約束として誓うことはできない。
多分これは、生きている限りずっと続くジレンマになるのだろう。たとえ実際に大人になっても。

先を切望しながら約束はできない
――その生き方だけは、変わらないことが約束されている。とんだ皮肉だ。

それでも、彼女の隣で、この花の季節を何度も重ねて生きたい。


小さな身体を抱き込んで、彼女と自分、ふたりに言い聞かせるように声に出す。

「いくら。…ツナ、こんぶ」
「そうだね…きっと見れるよね」
「…しゃけ」
「…今年は1本だけだけど、来年はたくさん咲いてるところがいいね。桜並木のトンネルとか、お花見できる公園とか」
「しゃけしゃけ!」

ぎゅぅっと腕の力を強めて抱きしめ合う。
華鈴の顔にかかった髪を耳にかけると、視線がするりと結ばれた。
亜麻色の瞳がいつものあたたかさを取り戻して、想いを伝えてくれる。

来年も再来年も、ずっと一緒に見ようね。
声に出さない祈りを交わして、そっと桜色を塞ぐ。
触れるだけの淡い口付け。
それなのに離れがたくて、ゆるく唇を合わせたままでいた。


優しく風が吹いて、はらはらと桜が散る。
落ちてくる花弁に促されて、名残惜しいけれど身体を離した。

「そろそろ行こっか」

頷きを返すと、華鈴が補助監督に電話をかけてくれる。
耳に心地よい少し高めの、しかし先程より硬質な仕事用の声。
その報告を聞きながら徐に彼女の手を取ると、大きな瞳がぱちりと瞬いた。
そのまま歩き出せば、いたずらな笑みを浮かべた口許が、ばか、と形を作った。

電話を続ける華鈴と並んで歩いていく。
待ち合わせ場所まではまだ距離があるから、この小指を解く必要はなさそうだ。




「今年のが散らないうちに、みんなのこと、お花見に誘ってみようかな…」
「しゃーけ!」



次の春を絶対と言葉にできないからこそ、結び目の跡がつかない程度のゆるさで小指を結ぶ。