加州清光は愛を欲す


(…あ、呼ばれてる)


ふわり、と、“意識”というものが浮き上がる。
それまでなかった“なにか”が、もがくように内側から湧き出る。
初めての感覚に戸惑いつつも、どこか身が震えるような感覚に陥った。


(あぁ…“生まれる”んだ)


何も感じなかった、ただ在り、使われるだけだった場所から、強い力で引き上げられるような感覚。
それと同時に外から押し入ってくる、数多の情報。
刀剣、過去、審神者、歴史修正主義者、戦い…そして、新しい主。
この、引きずられそうになるほど強い力の持ち主が、“俺”の新しい主。
いったい、どんな人なんだろう。
どきどきと高鳴る“胸”を押さえて、そっと意識を覚醒させる。

さぁ、よろしく、主―――





「ふあーっ、ふあーっ、ふあーっ、ふあーっ」





「…え?」





その機能を発揮させた聴覚が真っ先に拾ったのは、予想した厳格な男の声ではなく。
騒がしくも耳にやわらかい、赤子の泣き声だった。


ぱちりと目を開ければ、視覚が情報を手に入れる。
体の右側が冷たくて、背中側が熱く感じるような奇妙な部屋の中、さらに目の前の床に無造作に置かれた籠の中。

それは、居た。


「え?赤ちゃん?あれ?主は?」

「目覚めたか、加州清光」


きょろきょろと主の姿を探して、耳に飛び込んできた低い声。
望んだ色の声にこれだ!とそちらを振り返って、やっぱり赤子しかいないその場所に、ますますわけがわからなくなった。
え、まさかこの赤ちゃんから聞こえてきた声じゃないよね?
ありえてほしくない予想に頬を引きつらせてそこから目をそらせずにいれば、「まずは食事を与えてやれ」と再び声。
けど、それは泣き止んでいない赤子の声とかぶっていて、ますます声の出所に首をひねった。
食事、って何のこと?そもそも誰がしゃべってるの?
何かしようにも状況がつかめなさ過ぎてどうしたらいいのかわからず、ただ漫然と泣き続ける赤子を見る。
当然、放置された赤子は徐々に泣き声を強めていくのだけど、加州は近づくことすらできないでいた。


「(本当に、赤子なんて関わったこともないんだし。どうしろっていうの?)」


まんじりともしない時間。

何の前触れもなく、ひょい、と体を動かしたものがいた。

赤と青の隈取がされた、小さな狐。
その大きさは加州の脛ほどまでしかない。
正直置物かと思っていたから、変なところにあるなぁとは思っていたけれど。
思わぬものが動いたことで、呆然としながらも視線はそれの動きを追う。
その小さな狐は、とことこと白い四角いものの前まで歩くと、くるりと加州を振り返った。


「これの中にある」

「お前かよ!」


可愛らしいといえる外見に似合わない、成人した男の声が今度は狐のほうから聞こえてくる。
これもこれで普通じゃないってば、と思っていれば、狐はこてりと首をかしげて口を開いた。


「お前の主はそこの赤子だ」

「いや、違・・・って、はぁ!?何ソレ!」

「主を飢え死にさせたくなければ食事を与えてやれ」


淡々と告げられる信じられない言葉たちに、パニックも手伝って声が荒くなる。
ていうか、おかしい。どう考えたっておかしい!


「なんなのお前!」

「政府の関係者だ。審神者でないものはこの領域に入れないため、通信子機“こんのすけ”を介してお前と話している」

「な、なんで赤ちゃんが主なの!?」

「率直に言えば、人手不足だ。その赤子には素質があった」

「人手不足ぅ!?そんなことで…!」


言葉がそこで途切れたのは、淡々と返される言葉に反論が思いつかなかったからじゃない。
赤子の泣き声が、いっそう激しくなったからだ。
その瞬間、目を閉じていた手伝いの式神たちが、いっせいに動き出す。
それに目を見開きながらも、どこか冷静にその理由を理解した。
力を注がれたのだ。
加州は赤子が激しく泣き出すのと同時、あの引きずられるような感覚が体によみがえったのを感じていた。
式神たちも、それと同じなのだろう。
働け、存在意義を証明しろ、と。


「―――。―――?」


だが、この式神たちにできることは少ない。
何か作ろうにも資材を渡されないため、注がれ続ける力に応えることができないのだ。
式神たちはしばらくじっと待っていたが、そのうちパニックでも起こしたかのように部屋中を走り回り始めた。
ひとつひとつは小さな体躯でも、数が集まればその勢いたるや。
部屋の中は、まるで小さな竜巻でも入ってきたかのような惨状に変わり果てた。


「ちょっ、ちょっと!これ止めてよ!」

「赤子のため、力の制御はできない。どうやら泣けば力が籠もるらしい」


鍛刀や刀装を作る際はうまく使え、とさらりと言う狐に一層の困惑が募る。
どういうことなの?主が赤ちゃんなのはいいとして、いやよくないけど、とにかく一度納得したとして!


「慣れるまでは出陣は見送ろう。最初は刀を作ること。戦力をそろえてからでかまわない。まず当面の目標はそれを死なせないことだ」

「だから待てってば!何で俺がそんなことしなくちゃならないの?お前やればいいじゃん!」

「人型でないとできないことのほうが多い。それに、一日の中で“こんのすけ”をそちらとつなげられる時間は限られている」

「あぁもう・・・!」


とにかく、今の当面の課題はこの赤子を泣き止ませることらしい。
ばたばたと忙しなく走り回る式神たちをかいくぐって狐の元にたどり着き、指示を受けながらどうやら箱らしいそれの蓋を開けた。
中にあったものは見たこともないものばかりで、「これが哺乳瓶だ。抱き上げてこの部分を口に咥えさせろ」という狐の指示にとにかく従う。
ほんのり温かいそれに奇妙な気分になりながら今度は赤子の元へ向かい、未だ泣き続けるそれに手を差し伸べた。


「うわっ、何コレぐにゃんぐにゃん!?」

「首と膝裏に手を差し入れ、膝の上でできるだけ体に寄せて支えろ。片腕は頭を支え、反対の手で哺乳瓶を持て」

「むっ無理無理!こんな生き物触れない!横にしたまま飲めないの!?」

「頭が低すぎる。うまく飲み込めず、溺れて死ぬぞ」

「うっ…!」


淡々と言われる言葉に恐怖を覚えて、もう一度赤子を見る。
さっき脇に手を差し入れたから驚いたのか、赤子はきょとんと目を丸くして泣き止んでいる。
なんだそれ、じゃあもういいんじゃないの。
そう思ったのもつかの間、またくしゃりと顔にしわを作ったかと思えば、赤子の口から「ふぁぁ」と泣き声未満が聞こえてきた。


「うわあああ…!わかったよ!やるってば!」


首の後ろと、膝裏で…!
手に触れる感じたこともない柔らかい感触と、思ったより重たい感覚を恐る恐る持ち上げて、膝の上に引き寄せる。


「え、これでどうすんの」

「哺乳瓶を口元へやれば…」

「いやいやいや!無理無理無理!不安定すぎるって!落とす!!」

「…もっと体を引き寄せろ」

「はああああ…!?うわっ、わ、わかったって!」


抗議しようにも胸元からそれこそ抗議の声が聞こえてくれば、そちらに集中せざるを得なくなって。
体全体のバランスを後ろにやって何とか赤子を支えれば、ようやく右手が自由になった。
近くにおいてあったほにゅうびんというものの形状からして、きっと咥えるのはこっちだ。
半ばやけになって赤子にそれをずい、と差し出せば、あ、と待ってましたとばかりにかぱりと開いた小さな口。
それにほっとしてそのまま少し進めれば、それはかぽんと吸い付いてくる。
思った以上に勢いよく手が引かれる感覚に、「うわ、うわ、」と変な声を出してしまった。
赤子から目を逸らせない加州をよそに、一人(一匹)頷く狐。


「何とかなりそうだな。では次にオムツの替え方だが…」

「まだあるの!?」

「赤子は弱い。感染症にかかっても医者も連れてこれん。そうならないために…」

「ああもうわかったから!でもせめてもうちょっと後にしてくれる?いろいろいっぱいいっぱいで頭がこんがらがっちゃうってば」


当然の要求をしたつもりだった。
あれやこれやといっぺんに言われても、パンクするだけだ。
けれど、尻尾をぽてんと床に落とした狐から、無常な響きが返ってきたのはすぐだった。


「“こんのすけ”を繋げられる時間は限られている。次に繋がるのは明日だ。それまでに、最低オムツと沐浴の方法、それからそこにある道具の使い方を伝えておきたい」

「アンタ鬼!?」


見るのも聞くのも初めてのことばかりなのに、短い時間でそれらをすべて覚えて、さらに明日まで一人で面倒を見ろと!?
俺一応、生まれたてな上に武器なんだけど!
もろもろを叫びたくても、腕の中にある存在のことを考えると下手に声を張り上げるわけにもいかない。
そんな加州の内情を知ってか知らずか、狐はまるで感情のこもらない動きで箱のほうをしゃくってみせた。


「メモを取る紙は入れておいた。好きに使え。まず、排尿の頻度だが…」

「刀なのにいぃ〜〜〜!!!」


耐え切れなくなった加州の悲痛な叫びは、食事に集中していた赤子の耳には届かず。
過剰な力が注がれるのが止まって少し落ち着いた式たちに、心配そうな目を向けられることで終わりを告げた。


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