紺野は冷静に
『座標軸安定、固体識別完了、通信子機“こんのすけ”とのシンクロ率、80%、90%・・・100%。紺野管理官、通信モードに入ります』
機械的な手続きの音声が耳に直接流し込まれ、間をおかずにフォン、と軽いノイズが走る。
耳に入ってくる音が、機械の駆動音から木々のさわめきや鳥の鳴き声に変わる。
ゆっくりと目を開ければ、さっきまでの景色とは程遠い・・・どころか、普段から縁遠い緑に満ちた純和風の庭園が目の前に広がった。
それに感動を覚えるわけでもなく、ぱちりとひとつ瞬いて視界の明度を確認すると、紺野はくるりと周囲を見渡す。
普段からしたら考えられないほど低い視界、高い天井。
まだこの感覚には慣れそうにないな、と小さくため息をついた。
さて、探すか、と腰を上げても、視界に大した変化もなく。
四足歩行しているつもりはないのに、奇妙な感覚だと一歩目を踏み出した。
「っ?」
その瞬間ぴん、と後ろに引かれた感覚に、何だ?と振り返る。
そして、作り物の狐の表情を、少しだけ驚きの形に変えた。
「う・・・うぅ・・・」
「・・・・・・」
加州清光。昨日刀剣から姿を現した付喪神。
ほかの審神者からその個性は聞いていたが、さすがに赤子の扱いについては情報が入らなかった。
曰く、愛されたがりで心配性。自分に自信がなくて大事にされているのか確認したがる。
非の打ち所のない刀剣など居はしないが、さて、どうなるか・・・と短い時間ではあったが観察した限り、おそらく何とかなると踏んで任せたが。
「加州清光。状況を説明しろ。なぜ“こんのすけ”の尻尾を掴んで寝ている」
これはどういう状況だ。
布団の敷かれていない畳の上で、加州がうつぶせになって寝ている。
後ろを振り返って気づいたが、その向こうには件の赤子もいるようだった。
そちらはしっかりと小さな布団に寝かされているが、薄い掛け布団はどうやら寝ている間にはがれてしまったらしい。
暑いのか、夢でも見ているのか・・・目は閉じているはずなのにばたばたと手足を動かす様子がよく見える。
今急いで起こさなければならない理由もない。
出直すべきか、と考えていると・・・ふいにパチリと赤子の目が開いた。
「・・・あー」
「・・・・・・」
「・・・ふぇあ、ぅあー、・・・あぅ、うー・・・うぁ、あー・・・!・・・ふあーっ、ふあーっ!」
あっさりと泣き出した赤子に、さてどうするかと考える暇があればこそ。
すぐ目の前にある頭から「う・・・」と唸り声が聞こえて、釣られるようにふっと目を落として。
「はいっ!なにっ!」
「っ!?」
カッと目を見開いたかと思えばがばっと起き上がり、“こんのすけ”の尻尾を掴んだまま赤子のほうへ一瞬で近づいた加州に、紺野の三半規管は絶大なダメージを受けることになった。
「乳はさっきあげたよね?おしめかな?違う?」
「・・・加州清光。まずは手を放せ」
とんとんと赤子の胸を叩いているらしいが、紺野の視界には純和風の天井しか映らない。
上を向いた状態で尻尾を押さえつけられては、起き上がろうにも起き上がれないのだ。
ヒトではありえない体験だな、と考えていると、ずっと不意に加州が静かになった。
軽い寝ぐずりだったのか、赤子はまたすやすやと眠りに落ちている。
これで落ち着いて話が聞ける、と安堵したのもつかの間。
ぐい、と尻尾の付け根から引き上げられ、加州の顔が目の前に現れた。
「・・・よう、昨日ぶり、狐野郎」
「まずは手を放せ。血が上ることはないが、視界が逆さなのは不快だ」
「不快なのはこっちだよ!!!」
ぎゃん!と怒鳴る加州に、距離をとりたいがそれもかなわない。
ひとまず訴えを聞いてやるか、と聞き流す体勢に入った。
「とんでもないモン押し付けてくれちゃって!どうすんのこれ!!」
しかし、それも長くは続かない。
度重なる大声で目を覚まして、再び赤子が泣き出したのだ。
「わわっ、ご、ごめんごめん!許してってば!」
“こんのすけ”を放り出して赤子をあやしにかかる加州。
なんとか着地して“こんのすけ”への物理ダメージを免れると、改めてその姿を確認した。
加州に抱き上げられ、目は覚めたようだが泣き止んだ赤子。
赤子が泣き止んだことに、ほっと安心する様子を見せる加州。
「関係は良好なようだな」
「お前には!俺の!隈が!!目に入んないの!?」
またカッと牙を剥き出しにして怒鳴る加州に、赤子はやはり泣いた。
「っはぁあ・・・眠いよなぁ・・・」
泣くでもなく、その大きな目でじっと加州を見上げる赤子を抱えて、加州が大きなため息をつく。
加州もようやく学んだのか、多少大声を出さないように注意しているらしかった。
「昼間はある程度起こし、夜寝る前に食事を摂らせるといい。夜にまとまった睡眠が取れるようになってくる」
「・・・それまではこれが続くって事・・・?」
「そうだ。おむつの替え方に問題はないか。沐浴は滞りなく終わったか。できたのなら今日は鍛刀をするが」
ぞっと顔色を悪くさせる加州に、淡々と予定を進めていく。
時間は限られているのだ。悠長に慰めたり労いの言葉を掛けたりしている余裕はない。
「鍛刀・・・?」と鎌首をもたげる加州だが、徐々にその顔が喜色を孕んでいった。
「鍛刀ってことは、刀剣が増えるってことだよね?」
「そうだ」
「それってつまり、俺と同じ刀剣男士が来るってことだよね?」
「そうだ」
「よーし!さっさと行くよ!鍛刀部屋どこ!?」
「お前が最初に出た部屋だ」
あそこか!と赤子を抱えて足音も荒く走っていく加州に、はぁ、と少し呆れたため息をつく。
学んでいないのか、それとも赤子が泣けば力が籠もることを先んじて実戦しているとでも言うつもりか。
付喪神としてはまだ若いとはいえ、あの落ち着きのなさはどうにかならないのだろうか。
「(出る者が、役に立つかもわからんというのに)」
まぁだが、鍛刀に協力的なのはこちらにとっても都合がいい。
「(早く、実戦に出られるようにしてもらわなければ)」
この空間は断じて保育所などではない。
戦場の真っ只中であることを、いつか敵に攻められるかもしれないことを、忘れてはいけないのだ。
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