意図せず


朝食を食べ、初夏の日差しが徐々に気温を上げ始める時間帯。
いつもなら賑やかな短刀たちの笑い声が聞こえてくるところだが、今日は風が木々をさわめかせる音が聞こえてくる。
練度の安定してきた中堅と、極になった何振りかという短刀編成で、夜戦に向かっているせいだ。
向かう先の時間帯は違うくせに、季節は似たようなものなことに「髪に湿気がこもる」と乱はぶつくさ言っていたけど、隊長を任された厚はいい笑顔で張り切っていたっけ。
自分の足音が聞こえるなんて久しぶりだな、と何となく足音に耳をすませていると、後ろからパタパタと小さな足音が近づいてくるのが聞こえてきた。


「きよみちゅー!」

「べにー!」


即座に振り返って両手を広げれば、飛び込んでくる小さな主。
べにの後ろからついてきていた一期一振が苦笑しているのはきっと、俺の表情が緩み切っているからだろう。
たとえその手が泥まみれの軍手をはめていようが、遊ぶ用のジャージが泥だらけだろうが、頭になにかの葉っぱがついていようが、俺に向かって走ってきてくれる主を跳ね除ける理由なんてない。
両手で力一杯(潰れないように)抱きしめて、砂埃で少し軋んだ髪に構わず頬ずりして。


「どうしたのべに?泥だらけじゃん!」


目一杯堪能してから、ようやくそれを口に出した。


「あのねー、はたけてちゅだったの!おまめさんね、こーんなに!」


抜群の笑顔でそこまで言って、はたと自分の手を見つめるべに。
それからへにょりと眉尻をさげて、「・・・ない」と小さく呟いた。
・・・悶絶もののところを、平静を保てた自分を褒めたい。
全力で腹筋と表情筋を鍛えている俺にクスクスと笑いながら、一期一振も膝を折って視線を合わせてきた。


「エンドウ豆さんは大倶利伽羅殿に預けて、今晩美味しく頂くという話でしたね?」

「あっそーだ!くいかやにおねがいしたの!ごはん、おいしーよって!」

「ん〜そうなの!夕飯が楽しみだね!でもその前に、お風呂入っておいでよ?このままだとご飯にじゃりじゃり入っちゃうよ?」

「おふろいく!きよみちゅいこ?」


何て素直なお誘い。そしてきっと何年後かには聞けなくなるお誘い。
涙が出そうになるのを堪えながら、脳内で今日の予定の立て直しを図る。
午後の出陣をまだ計画していない。みんな疲労は溜まっていないようだから、誰でもいいのだけれど、逆に誰にしようか迷うあたりで。
適当に組んでもみんなを少し待たせてしまうだろうが、いいだろうか。きっと許してくれるだろうけど、ちょっと申し訳ないというか。


「・・・よかったら、行き先の検討と部隊の編成をしておきましょうか?」

「え?」

「いえ、即答できなかった理由といえば、その辺りかと思いましたが、いかがですかな?」

「・・・アタリでーす」


お見通しな一期一振に両手を挙げて、どうしようか、と思案する。
これが三日月からの提案なら笑顔で断るところだけど、一期ならいいか、と楽な方に流れる気持ちが浮かんでくる。
でもさすがに、一期一振はよくて三日月はダメ、というのは、あまりに申し訳ないというか、正当性がないというか。


「・・・そうだなぁ、じゃあ、一期だけに任せるのは申し訳ないから、燭台切と相談して決めてよ。操作の仕方は彼が知ってるから」

「ええ、いいですよ」


一期一振に限らず、俺と燭台切以外端末の操作の仕方は知らない。
俺自身最初の頃はかなり手こずったし、みんな揃って現代機器には馴染みがないから、俺たちが風呂から上がってくるまでの時間で解析されるとも考えづらい。
なら、預けてもいいか。
そう考えてしまえば、気持ちはもはやべにとのお風呂。
久しぶりの一緒のお風呂。おもちゃも入れちゃおうか。いい香りの入浴剤・・・いや、それよりも、泡風呂にしたら一緒に遊べるし、芸術ができたら写真も撮っちゃおうか。
お風呂の写真とかレアだよね。ちゃんと体を隠せてること確認しながら撮らないと。
最近カメラを向けるとピースもどきもしてくれるようになったし、そんな写真撮れたらあっという間にのぼせちゃいそう。
そう言えばこの前の演練でひさしぶりに小珠さんと会った時、いい匂いのするアロマ分けてもらったんだった。お風呂あがりに垂らしてみたりしようか。本丸中の男士たちを魅了しちゃうかな。今更か。


「・・・あの?」

「っあ、ごめんごめん。じゃあ、よろしくね」


端末を差し出す途中で固まってしまっていたらしい。
一向に端末を離さない俺に、一期一振が不思議そうに首を傾げて待っていた。
べにと交換するように端末を渡せば、久しぶりに手から重みが消える。
あー結構肩に力入ってたんだなーとべにの手の柔らかさを堪能していると、小さく一期一振の声が耳に届いた。


「・・・ご安心ください」

「ん・・・?」

「きーよーみーちゅー!はーやーくー!」

「あぁわかったわかった!ごめんってばー」


けれどしびれを切らしたべにに急かされ、手を引かれ腰を曲げながら風呂に向かって走れば、それに首をかしげる暇もなく。
少し引っかかったような、そうでもないような。
まぁとりあえず今はこの至福のひと時を堪能させてもらうとしよう。



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