はじめてしること


「みなさん、おはようございます!」

「「「おはよーございますっ!」」」

「今日も元気かなー?」

「「「はーいっ!」」」


全身を使って手を挙げる幼児の中に、周りに倣ってしゃっきりと小さな手を掲げるべにの姿。
この“学校”に通うようになって数日、すっかり周りと馴染んだべには、笑顔でここに足を踏み入れるようになっていた。


「今日はみんなでお絵かきしましょう!立派な仕事をしている、お父さんやお母さんを描いてみましょうね!」


そう言って配られる真白の画用紙。
それぞれが自分の使い込まれたクレヨンを机の上に並べ、べにも倣って真新しいクレヨンを取り出す。
思い思いの色でまずは大きな丸を描く幼児たちを見てしかし、べには周りの様子をきょろきょろと見るだけで、手を動かせずにいた。
これが初日であれば、周りの幼児は自分が絵を描くことに夢中だったかもしれない。
けれどここ数日でべにが自分たちにとっては当たり前のことで戸惑い、また困っても自分からは言えない子であることを理解した彼らは、いち早くその様子に気付いた。


「どーしたの?かける?」

「うん…なにかくの?」

「せんせーさっきいったよ!おとーさんとおかーさんかくんだよ!」

「おとーさん?」

「そー!めーちゃんのおとーさんはね、かんりょーなんだよ!えらいんだって!」


これがおとーさん!と指差された先には、うすだいだい色の丸の下に、黒く塗りつぶされた楕円が一つ。
こう描けばいいのか、とそれを見ながら描こうとすれば、「これはめーちゃんのおとーさんなんだから、だめだよ!」と身体を使って隠されてしまう。
同じのを描いてはだめ、と言われてオロオロしていたべにだったが、少しすると何かを思いついたように「ねーねー、」と別の子に話しかけた。


「おとーさんって、どんなの?」

「えー?おとーさんはねー、おおきくってー、かっこよくってー、なわとびじょーずなの!」

「なわとび?」

「みっちゃんのおとーさんはあたまいーんだよ!むつかしーことたっくさんしってる!こないだたまごぱっかんおしえてくれたよ!」

「…まぁま?」


べにの脳裏には、大きくて、かっこよくて、料理上手な“ママ”と呼ぶ彼の姿が浮かぶ。
けれど、自信のないことになると途端に口数が少なくなるべにの発言だけで、“ママ”というあだ名がある男だなどと想像できるはずもなく。


「ままはおかーさんだよー?」

「おかーさんはきれーだよねー」

「ひーくん、おかーさん、みこさん!かみさま、おつかえなの!」

「おれのおかーさんはりっぱなさにわなんだぞ、すごいだろー!」

「みこさん?…さにわ?」


聞きなれない単語をおうむ返しに聞いていけば、ふと、どこかで聞いたことのあるような言葉が耳を掠める。


「さにわって、なぁに?」


確か、見知らぬ人や、加州たちと同じ顔をした人がたくさんいるところで、聞いたことがあったと思うのだけど。
どう言葉にしたらいいかわからない思いをなんとか絞り出しても、うまく伝わるわけもなく。
言葉の通り受け取った審神者を母にもつ男の子は、自慢げに話し始めた。


「おまえさにわしらねーの?さにわってゆーのは、かたなにひととおなじからだあげて、たたかいやすくするすげーひとなんだぞ!」


これが、「刀剣男士に霊力を与えて顕現させ…」というような内容だったら、べにの脳内は?で埋め尽くされただろう。
けれど、幸か不幸か彼に審神者とはなんたるかを教えた人は、幼児にもわかりやすく噛み砕いて伝えていた。
そしてそれは、当然べににも伝わり。


「わたしもさにわだよ!」

「は?うそつけ!こんなちっこいさにわなんか、いるわけないだろー!」

「いるもん!」

「ならしょーこみせてみろよー!」

「…おうちにいるもん!」

「うそつきー!」

「うっ…うそじゃ…ないもん…っ!」


言い返せず、大切な家族を否定され。
べにの目には大きな涙が溜まっていく。
まずいと思ったのか、援護を頼もうと思ったのか。「せんせぇー!べにちゃんがー!」と上がった声に、他の幼児と話していた先生が顔を上げた。


「どうしたの?二人とも」

「べにちゃんがうそつくー!」

「うぇっ…!ひっく、うそじゃ、うそじゃない、もん…!」

「あら…何を話してたのかな?」


他の幼児から少し離れた場所に移動して、話を聞く姿勢になった先生に、べにも少し落ち着きを取り戻して話し出す。


「べにね、みんな、かたなだったもん…!べにがおねがいしたから、きてくれた、もん…!みんな、おしごと、たたかいだって、いってたもん…っ!」

「おとーさんのことままっていうのも、うそだー!」

「ぅっ…わかんなぃい…っ!」

「…あー、そういうこと…」


流石と言うべきか、支離滅裂ともとれる言葉から状況を察した先生は、べにを大声で非難する男の子へと向き直る。
それだけで先生は自分の味方ではないと悟った男の子は、ピタリと動きを止めた。


「あのねまさ君。べにちゃんはまさ君とおんなじで、お母さんが審神者だったの。でもまさ君と違って、小さい時からずっと本丸に居たから、刀の神様達ととても仲が良いのね。だからその方たちのことを、お父さんやお母さんのことかと思ったんじゃないかな」

「…でもさにわって!」

「うん、それも、本当だよ。べにちゃんは審神者なの」

「…うそ!まぁくんのおかーさんはいっつも…このえ?いるよ!?べにちゃんはない!」

「それも、今は仕方ないの。べにちゃんはまだ小さいでしょう?大きくなったら、近侍を連れてもいいことになってるの」


一つ一つ、疑問を解き明かしていく。
べによりも年上に見えるその男の子は、その一つ一つを受け止めていく。
けれど自分が間違っていることを突きつけられれば、大人でも腹がたつ。
素直に「ごめんなさい」と言うには、彼はべによりも少し“自分”をもっていた。


「…嘘つきだって決めつけたのはよくなかったね。べにちゃんはまだ小さいから、うまく教えられなかったんだね。今度は、変だなーと思ったら、もうちょっと話しを聞いてみるといいかもしれないね」


ひとつ、ひとつ。コクン、コクンと頷いて、自分を納得させる。
葛藤しながらも自分が悪かったことを受け入れられる、その強さに先生も満足気に頷いて。
ゆっくりとべにに向き直った男の子の口から出た言葉に、それに頷いて言葉を返したべにに。
先生も耐えきれず、二人の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。





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