再会


「!にーに!」

「べに殿…!あぁ、ご無事で…!」


その姿を認めた瞬間、足から力が抜けるような感覚に襲われる。
そして、自然と主よりも頭が上とは何事、という考えに至り。


「申し訳ありません…!私の勝手な行いのせいで、こんなことになってしまって…っ!」

「?にーに、いーこいーこ」

「他の子の教育に悪い姿勢はやめてちょうだい」


べにに頭を撫でられ、隣に立つ女性に肩を押され、正座まで姿勢を戻す。
しかしそれでも気は収まらず、片膝を立てたところで再び頭を下げた。


「…私、一期一振は誓います。決して、もう二度と、主の利にならないことはしないと…!」

「(現実的に無理って言ってやるべき?)」

「(そのまま空気読んで黙っとくべき)」


後ろでコソコソ言い合う声なんて聞こえない。
よくわからない、という表情のまま、いーこいーこと頭を撫で続けてくださるべにに、言ったのではない。
自分の魂な刻み付けるために、口にしたのだから。


「…べに、聞きたいことがある」


いつまでもこうしているわけにはいかない、と紺野が声を出す。
撫でていた手を止めて紺野に振り向き、小首を傾げるべにに、本題を切り出した。


「本丸で刀剣男士たちと暮らすのは楽しいか?」

「うん!」

「ここで同年代の子供たちと過ごすのは楽しいか?」

「うん」


先よりも少し元気がないのは、愛されるばかりではないからか。
同世代の集まる場所だ、そんなことは当然で、それが社会に入り、周りとの関わりを学ぶということ。


「もっと色々な世界を見てみたいか」

「?せかい?」

「…たくさんの人と出会い、知らないことを知り、自分の足で地図を埋める…そうだ」


よくわからず首を傾げるべにに、近くにあった画用紙とクレヨンを手に取る。
使っていいか、と先生に許可をとり、紙の真ん中に小さく丸を描いた。


「これが、今までのお前の世界だ。この中に本丸がある。…あぁ、今はこの保育所も知ったから、こんな感じか」


小さな丸の隣に、ポツンと点を打つ。
不思議そうに紙を見つめるべにに、こんなことで伝わるのか不安になりながらも紺野は説明を続ける。


「…お前はまだ、ここを知らない。こっちも、知らない」

「こんちゃ、しってる?」

「ああ。ここは海。こっちは大きなビルのそびえ立つ街がある」


青いクレヨンで画用紙の一部を塗りつぶし、灰色のクレヨンでまた別の一画に長四角をいくつも描く。


「へぇー!たのしい?」

「…まぁ、そうだな。新しく見れば、どちらも楽しいだろう」

「べにも、いきたい!」


その言葉が、聞きたくてーーー聞きたく、なかった。
紺野はコクリと頷いて、「ちなみに」と続ける。


「ここのことは俺も知らない。何があるのか、もしかしたらべにが見たこともないものが見られるかもしれない」

「!!いきたい!」

「行きたいなら、もう本丸へは戻れないが、それでもか」


期待に満ちて輝いていたべにの表情が、凍る。
流石にすぐには理解できなかったのか、しばらく固まった後、首を傾げて。


「きよみちゅは?いっしょ?」

「一緒には行けない。暮らすことも、できなくなる」

「やら!」

「……」


即答。
紺野が続けようと吸い込んだ息は、行き場をなくして。


「まぁ、今生の別れってことはないと思うぞ?どんだけ逃げようが、政府はべにを見逃しはしないだろうしな」


フォローなのか、助け舟なのか、修一が続けた言葉に、今度は一期一振が首を傾げた。


「…あの、べに殿は一体、政府にとってどういう存在なのですか…?」

「あ?」


何だ、気付いてなかったのかと意外そうに言われ反射的にムッとすると、うちのはしねぇ表情だな、と笑われさらに機嫌が下降する。
面白そうに観察する修一から目を逸らせば、何でもないことのように、さらりと告げられた。


「べには審神者と刀剣男士の間に出来た子だよ。半神半人、霊力は膨大なくせに留めることができてなくて、自分自身も霊力に包まれてないとダメとかいう不便な性質アリ」

「…そう、でした、か…」

「お?あんま驚かねぇのな」

「…べに殿が通常の赤子でないことは、薄々。演練で出会う人間とは、霊力の質が違いましたから」


父親が誰かということも気にはなったが、母親のことは想像がついた。
紺野が父親を名乗らなかったこと。その割に情や責任感を、もっていること。それに対する周囲の賛否両論な態度。

ーーー不倫、というやつなのだろうか。

永く人間と生活するうちに身についた、使えるとも思わなかった知識がこんなところで役に立つ。
親権問題にはさすがに明るくないが、成る程、べには孤児になるか、紺野の下で過ごすのが一番適当に思える。
個人的には紺野に任せたい。不器用ながらもべにに対する愛情があることは、この数年で十分伝わった。
…しかし、本人があれでは。
眉をしかめて唇を突き出し、上目遣いに紺野を見上げるその姿は、怒っているのだろうに可愛らしくて顔が緩みそうになる。
場違いな表情を見せる自分の顔をバチンと叩いて気を引き締め直し、改めて考えなおす。
正直に言ってしまえば、べにが本丸を選択してくれたことは、舞い上がらんばかりに嬉しい。
しかしあの様子では、勢いが大半。本丸と世界を天秤にかけることができていない。
ここはもう少し考えるように進言すべきか、と一歩踏み出す。


「べに殿」

「にーに…っ!」


紺野から一期に目を向けるべに。
その目に怒りはなくーーー大粒の涙。
続ける言葉がなくなり、黙り込む。
その脚に小さな身体が飛び込み、じわりと腿のあたりに温かい水の感触。


「お゛う゛ぢ、がえるぅぅ…!!」


そのままにぶつけられる感情に、咄嗟にその小さい肩を抱きしめながら思う。
今までも、べにの大泣きの度に、胸が締め付けられるような痛みは感じていた。
それは霊力を通じて与えられた肉体に影響が出ているのだと、そう思っていた。
では、修一の霊力を使って顕現している今、胸に感じるこの痛みは一体何なのか。


「…紺野殿…」

「…まぁ、わかりやすい答えだ」


これ以上説得するのも酷だ、と視線で訴えれば、べにの涙にたじろいでいた紺野は我に返ったように肯く。


「…上野、悪いな。せっかく俺とべにが一緒に暮らせるように取り計らってくれていたのに」

「…あ?あ、あぁ、いいよいいよ。お前が納得してるんならそれで」


慌てて手を振る上野に、「無駄骨にならんでよかった」と刀を床に下ろす修一。
ガシャン、と鳴った同胞に目を向けて、文句も言えないその身体を不憫に思ったことに内心でひどく驚いた。


「方向性は決まりだな。ほれこん、その"心当たり"とやらに連れてってくれよ」

「…わかった」

「やぁ!べにもいく!かえる!」


ひし、と脚にしがみつくべにを、心を鬼にして優しく離す。


「…べに殿、 今しばらく、お待ち下さい。必ず。…必ず、お迎えにあがります」

「…ぜったい?」

「はい、絶対」


やくそく、と小指を差し出せば、まだ小指だけを持ち上げることの難しいべには小さい手でそれを握り込む。
その温もりと、ふわりと纏うように伝わる霊力に背中を押され、「行ってきます」と微笑んだ。





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