目覚め


部屋の半分を占めようかというほどの紙が敷かれ、腰を深く曲げた老人の手で魔法陣のようなものが描かれる。
迷いなく進む筆は漢字を書いているようにも見えるが、達筆すぎて読むのは難しいだろう。


「曾孫の家族を奪うようなマネしないよなぁ?」


完全に脅しにかかっている修一に内心で頭を抱えながらも、黙って作業の様子を見守るしかない。
科学者という肩書ながらもどこか職人気質なこの老人が、修一の脅しに黙って従うのには違和感がある。
けれどここで「その陣はおかしいのではないか」と指摘できるような知識もなく。


「黙ってみておれ」


…修一への態度で、信用するしかないのだ。
そう一言言い放つだけで、俯いたままの老人の表情は見えない。
けれど変わらず淀みなく動く筆に、少し安心して声をかけた。


「…ありがとうございます。応じていただけて」

「…ことの発端はそこの刀か」


手元に視線を向けたまま、独り言のように呟かれる。
応えずにいると、肯定ととったのかフン、と鼻で笑った。


「…やはりII類か。だからそいつらの実用化はやめておけと言ったんだ」


手は動かしつつも、ぶつぶつと呪詛のように恨み言が吐き出され続ける。
狂気じみた様子に、おばあ様の言っていたことは本当だったみたいだな、とため息を飲み込んだ。


「…II類?」

「研究者の間で使われる言い方だな。ドロップ率の低い、レア刀のこと」

「はっ!人が作った道具だぞ?レアも何も、あるものか!」


修一に答えた上野に、老人が噛みつくように吠える。


「出来がいいかどうかなんぞ、実際に切ったこともない道具で何がわかる!そのくせ使えば簡単に刃こぼれ、刀なんぞ所詮消耗品、骨董品だ!」


目を丸くしたまま反応のない上野に向けて、老人の罵声は止まらない。
…いや、上野に向けてではない。


「“失敗作”以来、実験できる刀が大幅に制限された。可能性が閉ざされた!お陰で闇堕ち率の高いII類が“レア”と称して少量ずつ流通、結果どれだけ無駄に敵が増えたことか!馬鹿馬鹿しくて、腹立たしくて…!」


ーーーこの老人もまた、政府に対して憤っているのだ。
反応のない上野に溜飲が下りたのか、上野に言っても仕方ないことと気付いたのか。
再度黙り込んで手元に視線を落とす老人に、決して聞こえないようにため息をついた。










「ーーー刀をここへ」


促されるまま、刀を陣の中心へ据える。
狭い部屋ではないとはいえ、一期一振のように修一の霊力を使って一斉に顕現されたら…と一瞬思ったが、「よっぽどじゃねぇとしないだろ」という修一の言葉と、やけにはっきり頷いた一期一振に後押しされて考えを改める。
ガチャリと重い音を立てて置かれた刀から修一が離れ、老人が座して印を組む。
そのまま、やはり日本語ではあろうが意味のわからない文言をぶつぶつと唱え始め。


「ーーー終わりだ」


そう言った瞬間刀が一斉に光出したのには冷や汗をかいたが、光が収束し、姿を現したのは。


「ーーーまずは、手を貸してくれてありがとね」


まず、これはほぼ予想通り。
記憶より顔色が悪いのは、一期一振と同じ理由か。
しかし、加州と同時に現れたーーーこちらは、予想外だった。


「礼は言う―――けどな、人は勝手すぎるんだよ」


同田貫正国。彼ほど“骨董品”という言葉が似合わない刀もいないだろう。


「好きに作って好きに使い、好きなように壊す。俺たちは道具なんだからそれも当たり前か。―――けどよ」


自らを“美術品”と称されることを特に嫌う性格を鑑みれば、こうなることは予想できたのかもしれない。
ーーーそれでも。


「選んでいいんなら、選ばせてもらうさ」


正直まさか、彼等が修一の隣に並び立つとは、思えなかったのだ。


「俺たちは俺たちの主のために戦う。お前たちの為じゃない」

「…ま、そういうわけで。べにのことは俺たちに任せてさ」


よいしょ、とダルそうに顕現しなかった刀達を持ち上げ、同田貫に半分押し付ける加州。
一連の様子を黙って見ていた修一が、加州の言葉を聞いて不意に片眉を跳ね上げた。


「…お前らちょっと来い」

「え?…何?」

「この家湿布臭ぇから好きじゃねえんだ。いいから来い」

「は!?ちょっとぉ!」


何とも失礼な言葉を残して加州と同田貫を引きずっていく修一に、上野と一期が付いていく。
その喧騒が遠ざかっていき、ようやく部屋に静寂が戻る。
先までの張り詰める緊張感はなく、静かに片付けを始めた老人の背中は、やけに萎んで見えた。


「…おじい様」

「…なんだ。見つかる前に、さっさと逃げたらどうなんだ」


言葉にも、先の剣幕はまるでない。
いや、元々、感情的になるような人ではなかった。
物事を利害で考え、合理的で冷静な判断を下す人だった。
だからこそ説得すれば話を聞いてくれると思い、助けを求めて来た。
けれど実際は、従うとは思えない修一の言葉に腰を浮かして。


「…おじい様、どうして、手を貸してくださったんですか…?」


老人が悪者だと刀を向ける可能性があるが、決してそうではないと言い含めること、罰を受けることになっても政府には老人は関係ないと言うつもりなこと、事がうまく行ったら、また研究に参加できるよう取り計らうこと。
何も、老人の得になることを、伝えていないのに。


「…依子の…忘形見じゃからのぉ…」


ぽつりと、かすれた声で呟かれた言葉。
聞かせるつもりはなかったかもしれない、小さな声。
道具を片付ける手が震え、カタリと音を立てるのが、聞こえた。





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