絞め
「…っいい加減にしろ!お前は徹底して俺に従うよう教育し直してやる!」
パシ、と音がするほど強く取られた手に、「やぁ!」と悲鳴のような声が上がる。
いや、実際悲鳴だ。
小さく軽い体はズルズルと出入口に向かって引きずられていき、ぶんぶんと左右に振られる頭からは涙が飛んでいく。
もう我慢できない、と一歩踏み出した、その瞬間、だった。
「やぁあだぁあ!!!やぁ、だっ!いまつゅちゃ、いま、つゆちゃんっ!」
掴まれていた手と反対の手が、背中に回る。
服を払って背中に入った手が何かを掴み、そのまま引っ張り出して。
途端、カッと目も眩むような閃光があふれる。
「なにっ…!?」
思わず目を閉じて光に手をかざすが、きゃあ、と周りから響く小さな悲鳴に咄嗟にしゃがみこんで手に触れた小さな身体を引き寄せる。
映画に慣れた脳は反射的に爆発、という二文字を浮かばせるが、まさかそんな。
心臓が早鐘を打ち、視界が光に霞む。
不意に耳に届いたのは、幼い、けれどはっきりとした。
「ーーーべにさま、ぼくとのやくそくをまもってくれて、ありがとうございました」
「いまつゆちゃん、いまつゆちゃん…っ!」
「よくがんばりましたね。ちゃんと、“どうしてもだめなとき”によんでくれたので、でてこれましたよ」
「ひっぐ…いまつゆちゃんは、みつかったらだめだって、べに、ちゃんと…ふえぇ…っ!」
泣き崩れるべにをよそに、ぽかん、と、目の前の状況を整理する。
彼は確か、今剣。刀剣男士の一振り。
何故ここにいる?べにが隠し持っていた?何の気配も漏らさず、そんなことができるの?
とめどなく溢れてくる疑問に答える声があるはずもなく、状況はどんどん進んでいく。
「こんどこそ、あるじさまをまもる。まもりがたなとしての、ぼくのほんきです!」
べにと専務の間に立ちはだかり、両腕を左右に広げる今剣。
その表情はこちらからでは見えないけれど、その視線を直に受けた専務は思わず一歩、後ろへと足を引いた。
たまたまそこに転がっていたおもちゃにその足が当たり、カシャン、と音が響く。
それを合図といわんばかりにはっと我に返った専務も、じわじわと状況を理解し始めたようだ。
「っ…おい!報告だ!こいつの本丸は今、俺に、人間に刃向かったぞ!利用価値なんぞもうない!もういい、こんなブラック本丸、さっさと潰してしまえ!!」
顔を真っ赤にして吠えたてる専務の指差す手は震えていて、その感情が怒りなのか恐怖なのか、それはわからない。
けれど今、はっきりと宣言した。
専務にすぎない彼が。
一権限で。
貴重な本丸を、潰そうとした瞬間を。
「…さぁ、みんな。今何があったか、整理してみよっか。まず、あの男の子の刀はどこにある?」
「は?おい…」
「んっとね、こしー!」
「あそこにあるよー!」
「うんうん、そうだね。それはどうなってる?」
「え?うーん…そのまんま…」
「ぬいてない!」
「その通り!じゃあ、先にやなことしたのは?」
「あのおじさん!」
「べにちゃんかえりたいっていったのに!」
「ゆーかいだゆーかい!」
「な…っ!」
幼子たちとはいえ、数は十分。さらには権力者の子。
ほんの少し誘導するだけで、事実を変える必要はない。
目撃者がこれだけいる状況で、自分の不利になる発言をした。
まるで本当に政治家のようだ、とテレビで時折流れる不祥事を思い出してふっと笑う。
ようやく尻尾を出してくれた。
彼のーーー負けだ。
「…では専務。“そのように”、報告させていただきますので。あ、べにちゃんはここに置いていってくださいますか?ちゃんとした、お迎えが来るまでは、こちらで大事に預かっておきますので」
「ふっ…ふざけるな!そんな勝手が許されると…!」
「今この社会において」
専務の言葉を遮って、はっきりと言う。
本当は私が言うような言葉ではないけれど、いっぱい戦った彼らに、いい報告だけ伝えてあげることとしよう。
「一番優先され、尊重されるのは実際現場に出て戦ってくださる審神者です。その出自がどうであれ、厳しすぎる評価で正当な扱いをしていなかったことは私の耳にまで入るほど。―――往生なさい」
顔を青くしたその表情は、できれば記録しておきたいくらいなのだけどね。
本部に連絡を入れて事情を説明すれば、一先ず、ということでべにちゃんとの距離を取ってくれることになった。
さっさと処分してもらいたいところだけど、何事にも手続きは必要。
紺野や上野がまとめた書類があるから、そんなに長くはかからないと思うけど。
「よく見つからずに過ごせましたね?」
「ぼく、ほんまるでいちばんかくれんぼがとくいなんですよ」
そんなことより、と今剣に声を掛ければ、ふふん、と得意げな表情を見せてくれる。
その腕の中ではべにちゃんがすんすんと鼻を鳴らしていて、騒ぎが収まったことを察した子どもたちも心配げな表情で周りを取り囲む。
「ずっととびだしたかったんです。まわりのことうまくおはなしできなかったとき、”こういいたいんだよ”っててつだってあげたかった。よるに”さみしい”ってないてたとき、ぎゅっとだきしめてあげたかった。でも、べにさまはぼくをよばなかったから」
ゆっくりと頭を撫でながら語るその目は慈愛に満ちていて、本当に愛されているんだな、と実感する。
そういった意味での心配は、本当にかけらもないのだと思える。
「あなたも、ありがとうございました」
「え?」
「べにさまに、ぼくたちではおしえられない、”にんげんしゃかい”をおしえてくれた。どうせだいのこのそんざいは、きっとべにさまのかてになります」
「あぁ…いえ、べにちゃん、いい子でしたから」
最初は見定めようとしていた。
刀剣男士に育てられて、自身が絶対であるという偏った愛情を受けて、大人ばかりに囲まれた世界で健全な精神ははぐくまれるのかと懸念していた。
―――杞憂、だったけど。
「もし上手くいったら、また遊びに来てください。お互い良い刺激になりますから」
「えぇ、もちろ―――」
「えーっ、べにちゃんいなくなっちゃうの!?」
そう叫んだのは、一人の子供。
べにちゃんが来た当初からかいがいしく世話をしてくれていたその子の言葉を皮切りに、教室中から非難の声が上がる。
「だめー!」
「べにちゃんはぼくたちといっしょにいるの!」
「またあしたもあそぼうよぉ!」
「べにちゃんもみぃちゃんたちとあそびたいよね?ね?」
「べにちゃんここがだいすきだっていってたよ!」
轟々。
小さいその身体のどこから声が出るのかと聞きたくなる大合唱に、気に入られたもんだ、とほほえましいと同時にさてどうしようか、と頬に手を当てる。
おもちゃを取ったとられたの話ではないから、ここは一人ずつじっくり―――
「べにね」
ぴたり、と声が止まる。
これはすごい、と思わず目を見開く。
声を上げた一人を振り向けば、今剣の胸から顔を上げたべにが、真っ赤な顔と潤んだ瞳でこちらをじっと見つめていて、息が詰まった。
「おうち、かえる」
はっきりと、最初の頃のおどおどとした様子はどこにいったのかと思うくらいの、真っ直ぐさで。
否を言わせない圧力は、…もしかして、半神の影響があるのだろうか。
「…またね?あそぼ?みぃんな、だいしゅきやよ」
『だいしゅきやよ』
『だいしゅきやよ』
『だいしゅきやよ…』
…ズキュゥンと締め付けられる胸の痛みに、そんなことどうでもいいわ!と冷静になれない自分が頭の片隅で乱舞した。
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