加州清光が感極まる時


「がっ、がんばれべに!あとちょっとあとちょっと!」

「う・・・っん!」

「あぁっ」


片膝を立てた状態からバランスを崩し、コロリと後ろに転がるべに。
丸い身体は思いのほか勢いよく倒れて、後頭部を床にぶつけないように慌てて支えた。
「もうちょっとだったのにねぇ、」と笑う青江に、「でもすごいよ、」とこちらを見上げるべにに微笑む。
ちょっと前までまだまだはいはいもおぼつかなかったのに、今ではつかまり立ちに挑戦しているのだから、大したものだ。
小珠から教えてもらったレシピを参考に何度か鍛刀を繰り返し、本丸にも仲間が少しずつ増えてきた。
主が赤子であることにみんな最初は驚くものの、べにの可愛らしさにすぐにメロメロになるものがほとんどだった。

はいはいがどんどん上達して、好きなところに動き回るべにを楽しそうに追い掛け回す今剣。
「不潔!」と布をはぎ取られて洗濯されて以来、綺麗な布を身に着けるようになった山姥切国広。最近では少しの汚れなら自分で手洗いしている姿も見かけるようになった。
ちょいちょい怪しい発言をしては誰かしらにスパンッ!といい音を立てて裏拳を決められていたにっかり青江も、最近はずいぶん学習してきたように思う。
そして―――


「あの・・・何故、私の足がつかまり立ちに利用されているのでしょう・・・」


べにとのあまりの体格差に、潰してしまうと懸念して距離をとる、稀代の大太刀、太郎太刀だ。
彼は主が赤子であると伝えて顔合わせをして以来、半径3m以内に自分から入った試しがない。
そんなに怖がらなくても、とは思うものの、自分も顕現したばかりのころは抱っこもろくにできなかったな、ともはや遠い過去のことのように思いをはせた。
そんな彼は今、べにに足にまとわりつかれて、困り果てたように立ち尽くしていた。
考えていることは大概、動けば蹴とばしてしまうとか、そんな感じだろう。


「えー?そんなのべにに聞いてくれる?たろさんが通りかかったとたん飛び出していったのはべになんだから」

「いい掛け声だったねぇ。『あいっ!』って。あれは振り向かずにはいられないよ」


含み笑いをする青江とは反対に、困った顔でうつむく太郎。
首が痛くなりそうなその視線の先には、不屈の精神で再び太郎の足に挑むべに。
何故危なくないように角に保護クッションの貼ってある本棚や机ではなく、掴まりにくそうな太郎の足なのか。
それはさっきも言った通りべにのみぞ知ることとなるのだが、とりあえず、諦める気はなさそうだ。
そしてこうも足元にまとわりつかれては、そもそも潰してしまうと思って近付くことを避けていた太郎が動けるはずもない。
すでに10分以上その場から一歩も動けないでいる太郎が、ようやく困り顔ながらもべにに話しかけた。


「・・・あの・・・主・・・」

「べにだってば。名前で呼んであげてって言ったでしょ?」


ふん、と鼻を鳴らせば、「しかし・・・」と今度は加州に困り顔を向ける。
生真面目な性格ゆえ、仕える相手を名前で呼ぶことに抵抗があるのだろう。
秋田が来た時も似たような問答があったが、これはウチの教育方針だ。受け入れてもらいたい。


「あと、いい加減かがんでみたら?」


加州達からすれば、べにと視線を合わせることなど当然のことだ。
けれど、本丸にきて日が浅く、子どもの扱いを知らず、さらにべにと関わることを避けていた太郎がそのことを知るはずもない。
棒のように立ち尽くす太郎に見かねて助言すれば、しばし考えた太郎は、脛に掴まったままのべにが潰されてしまわないよう、細心の注意を払いながらゆっくりゆっくりと腰を落としていった。
膝が曲がったことで掴まるところが安定したべには、加州が声にならない歓声を上げる中不安定ながらも両足の裏をついて立ち上がり。


「ぅぁ・・・?」


両足の裏を付けた感覚にか、ぐんと上がった視界にか、・・・その視界いっぱいに広がる、太郎の顔にか。
何かに驚いたのか目を丸くするべにに、太郎がう、と気おくれするのも一瞬。


「あーたおー!」

「やった・・・!やったねぇべに・・・!おめでとう、たっち成功だよ!」


もはや泣きそうになりながらべにを褒める加州と、「成長だねぇ」とうんうん頷く青江。
嬉しそうに騒ぐ三人の正面で、太郎はただ茫然と、べにの笑顔を見つめることしかできなかった。
一通りはしゃいで満足した加州が固まる太郎に気付いて、今度は得意げにふふんと鼻を鳴らす。


「どう?うちの主、可愛いでしょ」


それは、加州が初めて太郎にべにを紹介した時の言葉。そしてその時は、「あ、赤子が・・・このような、小さき者が、主・・・!?」と共感してもらえなかった言葉。
瞬きも忘れてべにを見る太郎に確信をもってそう聞けば、ようやくぱちりと瞬きをした太郎が膝に乗っているべにの小さな小さな手にそっと額を寄せた。


「・・・・・・はい、・・・とても・・・」

「あーぅ?」


感極まった太郎の周囲には桜がはらはらと舞いはじめ、花弁がひらりと二人を包む。
幻想的な光景ではあったが、他の男士で見慣れている桜にはもはやそこまでの興味がないのか、今は太郎の顔に興味が移っているのか。べには特に桜を気にする様子もなく顔を伏せた太郎の頭に手を伸ばした。
けれど、まだ片手と両足だけで身体を支えられるほどではなかったらしい。ふらりと傾いたかと思えば簡単に後ろへコテリと倒れた身体に、先と同じように慌てて手を伸ばした。


「あっぶ、ぶぇえ」

「あはは、まだまだ練習が必要みたいだね」


おむつがクッションになって痛くはなかっただろうが、倒れてしまったことにか不満げな声を出すべにを、宥めるようにポンポンと頭をなでる。
もはや癖のようになっているその動作にふと、さっきのべにの動作を思い出す。
太郎の髪飾りが気になったのかもしれないし、黒髪に桜の花弁が映えて思わず手を伸ばしたのかもしれない。
けれど。
もしかして、今の自分と同じことを太郎にしようとしていたのかな、と思えば。


「〜〜〜っべに、大好き〜〜〜!!」

「きゃーっ?」


さらに愛しさの増したべにを思わずぎゅうと抱きしめて、楽しげな悲鳴が腕の中から聞こえて。
あぁ、幸せだなぁ、なんて、じっくりと噛みしめた。


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