谷地さんと、
日が落ちるのが早くなってきた夜八時。
体育館の重たい扉をガラガラと大きな音を響かせながら閉めて、ふぅ、とため息を付いた。
立て付けの悪い扉の鍵は閉めるのにちょっとしたコツがいるのだと、入ってすぐのころに清水先輩に教えてもらった。
鍵を扉ごと上に持ち上げながら膝でも扉を押して、ぐっと鍵を回せば。
「これで・・・!・・・よしっ!」
ガション、とこれまた大きな音を立てて鍵が閉まった感覚に、毎度の事ながら達成感に小さくガッツポーズを作る。
フフフ、これでも上達してきたほうなんですよ・・・!
思わずニマニマしそうになる顔をなんとか落ち着かせて、さて、とリュックを背負いなおす。
明日は私が鍵当番だから、皆より早く部活に来ないと―――
「あ、っと、谷地、さん」
そんなことを考えながら何の気なしに振り返ったら、2mも離れていない場所に人影が見えて。
5cmくらい、私、飛べたと思います。
「!?おっおおお大野君!?帰ったんじゃ・・・!」
「あっ!?あの、忘れ物を・・・っごめん、驚かせちゃって・・・!」
「い、イイエ!私が勝手に驚いただけでして!」
暗がりではあれ、遠くの外灯の光はその人物が誰かをすぐに知らせてくれる。
とはいえ、飛び上がった心臓はそう簡単に落ち着いてくれるものでもないわけで。
ドッキドッキと口から飛び出そうになるのを鎮めながら、「忘れ物だね!」と慌てて扉に向き直る。
閉めたばかりの鍵を慌てて回すと、ガチャ、とさっきの苦労が水の泡に返った音がした。
この扉、閉めるのにはあんなに苦労させるくせに、開けるのはとても簡単なのだ。
「どうぞ!」と扉を開けて中に手を向ければ、「ほ、ほんとごめんね、手間かけさせて・・・」とぺこぺこと頭を下げながら大野君が暗い体育館の中へと入っていく。
電気つけなくても大丈夫かな?と思ったけど、大体の位置は体に染み付いているし、どうやらスマホのライトを頼りにすることであっさりと目的のものは見つかったらしい。
体育館の壁沿いに歩いていた大野君は隅の方で屈むと、何かを拾い上げてポケットに入れたようだった。
さっきざっと見渡したときには気付かなかったけど・・・、わざわざ取りに来るほど何か急ぎのものだったのかな?
小走りで戻ってくる大野君が再び「ごめんね、」と謝ってくれるのを首を振って応えて、「何を忘れたの?」と好奇心に負けて尋ねてみた。
「あ、えっとね。おいちゃんが、腕時計を忘れたって連絡してきたんだ。明日も使うから、家に取りに行くって言われて・・・」
それで、慌てて。と頭をかく大野君が言う“おいちゃん”なる人の顔がぱっと頭に浮かんで、少し複雑な気持ちになる。
赤井沢さん。
今日行なった対成年の練習試合の相手で、間違いなく今日一日の中心人物だ。
「あの・・・今日は、お疲れ様でした」
「あ、ううん!あの、えと・・・ごめんね?私情みたいな練習試合につき合わせちゃって・・・」
「そ、そんなこと!?」
万感の思いで言ったのに、逆に謝られてしまって慌てて首と手を左右に振る。
扉に手をかけて靴を履く仕草が赤井沢さんとそっくりで、なんだか益々申し訳なくなってしまった。
赤井沢さんは、大野君を烏野から引き離そうとした人・・・だけど、大野君の叔父さんなのだ。
大野君の前で赤井沢さんのことを悪く言うわけにはいかないなぁ・・・と思って、代わりの言葉を探す。
けど、考えれば考えるほど、出てくる感情は一つだけだった。
「でも、あの、ほんとに、・・・良かったなぁって思って」
「・・・?」
腰を屈めている大野君が不思議そうにこちらを見上げながら首を傾げてきて、大野君に見上げられるというレアな状況に少しドキドキしながらなんと言うべきか・・・と頭を悩ませる。
でもどう言い繕ったって良かったと思っている理由は一つだけで、意を決して顔を上げた。
「その、赤井沢さんには悪いけど、これで大野君、部活辞めずに済むんだよね?」
「・・・うん、辞めないよ」
ガラガラ、と重たい音を立てて扉が閉まっていく。
今日の鍵当番は私なんだから、それは私の仕事なのに。
情けないことに、「辞めないよ」のたった一言に大野君の表情が見えないことに気が行ってしまって・・・そのことに、気付けなかった。
冷たい雰囲気はないけど、嬉しそうな声でもない。
大野君が部活を辞めないことを、どう思っているのかが、不安になった。
「大野君が部活やめちゃうと・・・!」
どうしよう。
勢いでそう言ったはいいけど、その続きが見つからない。
さっきとは違う意味でドキドキする心臓に、声が震えないように意識して息を吸った。
チームの力が落ちちゃう?ううん、それはきっと、コーチとか主将が言う言葉だ。
私が言っても、受け売りのようにしか聞こえない。
じゃあ、なんて?
下手なことを言って、大野君がやっぱり赤井沢さんのところのほうがいい、なんて思ったりしたら・・・!
血の気が引いていく思いがして、慌てて頭を回転させる。
嘘は絶対に言えない。本当のことでも、お世辞だって遠慮するから。
なら、バレーのことじゃなくて、マネージャーとしてとか、いっそもう私個人の考えを・・・!
そこまで考えて、ふと。頭の中が、真っ白になったような気がした。
(大野君が、部活を辞めると)
ツキン、と胸の辺りが痛んで、真っ先に“いやだ”と言葉が湧く。
じゃあ、理由は?
大野君が部活を辞めて、私が嫌なのは、
「・・・会える時間が減っちゃうのが、やだなぁ・・・」
ガチャン、と。
扉同士がぶつかり合った音が、一際大きく聞こえた。
「・・・え・・・と・・・」
「!?ゴヒュッ!?ゴ、ゴメンナサイ!わわわわ私、今何を!?」
はっと我に返ってみれば、大野君は困ったように視線を泳がせていて、さっきとはまた違った風に頭の中が真っ白になる。
どうしよう。どうしよう!
大野君は結構モテるけど、彼女はいないみたいだって友達が言ってた。
つまりそれって、部活や勉強に集中したかったってことで!
わわわ私なんかがこんな告白まがいのことを言っても、大野君を困らせるだけでぇ・・・!!
むしろ部活の雰囲気が!!大野君が気にして部活に来なくなって・・・!赤井沢さんのところに戻ってしまって・・・!!!
「あっその・・・えっと・・・」
「なっ!なしデス!教室で会えるだけで十分・・・っじゃなくて!あわわ、えっと!」
口を開けば開くほど、ずぶずぶと泥沼に嵌っていってしまっている気がするのは気のせいじゃない気がする。
どう弁解すればいいのかわからなくて、半ばパニックで目がグルグル回ってきて・・・!
「や、辞めないよ・・・?部活・・・」
「シェッ!?ハヒッ!そ、そうですよね!」
恐る恐る、でもしっかりと耳に入った声に、ほとんど反射的に返事をする。
それからしっかり考えて、一先ず大野君が部活を辞めないという事実にほっと息をついた。
「だ、だから・・・その」
えっと、と大野君が言葉を続けて、ひゅっと息を飲む。
つ、続いてほしくなかったような、ちょっと安心したような。
逃げ出したいような気持ちで顔を伏せて、ぎゅっと目を瞑った。
「谷地さんには・・・い、今までどおり・・・笑ってて、ほしい・・・かな」
「・・・えっ?」
普段の部活の中だったら、聞き逃してしまいそうな大きさの声。
でも周りに誰も居ない、二人きりという状況が、その声を耳に届かせてくれた。
それでも言われた言葉に自信が持てなくて、確認しようとその顔を見上げる。
大野君は、慌てて扉に振り返ると、ささったままだった鍵に手を掛けた。
でも、振り返る前に見えたその顔は。
今も髪の隙間から覗くその耳は。
「部活でも、教室でも・・・谷地さんの笑顔、見ると、元気になれるから・・・」
ガション、と扉の鍵が閉まる。
さっきあんなに苦労して閉めたはずの扉は、なんだかいともあっさり閉められたように思えた。
抜き取った鍵を差し出されて、反射的に手を差し出す。
チャリ、と掌に乗った鍵と、少しだけ触れた大野君の指先が、手に神経を集中させて。
「明日、僕も・・・いつもより、早く来るよ」
聞こえた言葉にばっと顔を上げれば、「準備、手伝うね」とはにかまれて。
真っ白なのか真っ赤なのか分からない感覚の中、「そ、そんな・・・」と申し訳ない気持ちでそれだけ言ったら、大野君はいいことを思いついたといわんばかりに「じゃあ、」と人差し指を立てて。
「卵焼き・・・また、分けてくれると、嬉しいな」
そうしてふわりと笑った顔に、目を奪われる。
テレビの中で見る、どんなカッコイイ人の微笑みよりも、ずっとずっと綺麗なそれ。
思えば困ったような笑みは見るようになったけれど、本当に嬉しそうな顔は、数えるほどだったかもしれない。
それをこんな、自分だけに向けて披露されてしまったら。
「ま、参りました・・・」
「え?あ!?や、谷地さん!?」
明確な答えをもらったわけじゃない。
そもそも、明確な告白をしたわけでもない。
大野君がド級の天然だったら、この想いは未だ告げられていないことになるのだけど。
ぷしゅう、と湯気の出そうな顔を両手で覆ってしゃがみ込む。
慌てて合わせてしゃがんでくれた大野君に、嬉しさと恥ずかしさが同時に襲ってきた。
拝啓、お母さん様。
私は、どうやら本気で一人の男の人を好きになってしまったようです。
=〇=〇=〇=〇=〇=
第三部、完
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