澤村先輩と、踏み出す


「お先ー」

「お疲れーッス」


なにやら盛り上がっている一年生たちに声をかけて、一足先に部室を後にする。
いつもだったら追いついてきた後輩たちを坂ノ下商店で肉まんでも持って迎えるんだけど、今日はどうなるだろうか。
ドアを閉めても聞こえてくる日向の声に思わず顔を見合わせて、誰からともなくクスッと笑うといつもの帰り道を歩き出した。


「いやぁ、一時はどうなることかと思ったけど、なんとか丸く収まってよかったな」

「ほんと、負けてたらと思うと・・・」


心臓に悪い練習試合が終わって、雑談しながら坂道をぼてぼてと下る。
全力で使った筋肉はもう痛みを訴えはじめていて、スタスタとは歩けないのも現状だ。
そりゃ、相手は成年。手を抜いて勝てるような相手なわけもなし、勝てたのは向こうの温情もなくはないんじゃないかって邪推してしまうところだってある。
負ける可能性のほうが、高かったんだ。
「考えたくない・・・」と青い顔をする旭にスガが「いや、流石に本気で辞めるなんてことはないって!」と突っ込みを入れるのを、渋い顔で見つめた。


「大野が“一緒に”って言った時点で、赤井沢さんは諦めてたんだろ?引っ込みがつかなくなって勝負だとか言ってきたんだし」

「・・・でも、大野の性格的にはもう来なかったかもな」


それが、一番心配だったんだ。
赤井沢さんのほうは、あんな理由で部活を辞めさせるなんて学校側が“はいそうですか”で済ませるとは思えなかったし、最終的には大人には大人が対応してくれるという頭がどこかにあった。
けど、大野が・・・本人が自分の意志で部活に来るのを止めてしまえば、それを元に戻すのは至難の業だ。
そうなったとき、縁下たちみたいに、大野が自分から戻ってくるとも考えづらい。
脳裏にふと、縁下たちと同じ時期に部活に顔を出さなくなった二人の顔が蘇った。


「・・・・・・」


大野は辞めた後、諸手を挙げて受け入れてくれる場所がある。
辞めたことを後ろめたいと感じることもあるだろうが、そんなこと、と跳ね除けてくれる強さが赤井沢さんにはあった。
そうなったら、大野は。


「た、確かに・・・」

「勝ってよかった・・・!」


俺と同じ結論に至ったようで、スガも眉を寄せ、旭は寒気でも感じたのか腕を摩っていた。
やっぱりそうなるよな、と改めてそうならなかった今にほっと安心して、いつの間にか強張っていた肩の力をふっと抜く。
どっと重く感じた荷物は、どこか“勝ち”の重圧のようにも感じた。


「俺達が抜けた後は、今のレギュラーが主力になってくる。そうなるとやっぱり、大野の力はでかいからな」

「今から抜けた後のこと考えるなよ・・・!まだ春高一次が終わったばっかだろ!?」

「でももう、最後の大会が始まってるんだ。・・・もう、俺達は引くときだ」


旭の言うとおりだとは、思う。
けれど世代交代を考えなければいけないのもまた、事実で。


「・・・あーあ。もっと一緒にやりたいな」


スガがため息と共に吐き出す言葉が、胸に重く響いた。
たった三年、されど三年。
けれど蓋を開けてみれば、ほんの一瞬で終わってしまうように感じるそれ。
特に、一年となんて、まだ半年くらいしか一緒にバレーしてないんだ。


「もっと、バレーしてえ」


あいつらと一緒に。
夢見てきた舞台が、すぐ、そこに。
けれど上に上がるためのその一歩が、果てしなく高いものに感じて。
肩に掛けた荷物が、さっきよりもずんと重みを増したように感じた。


「・・・まだ、できるじゃない」


通夜のような雰囲気で、歩みも自然と遅くなって。
そんな俺達に後ろから掛けられた声は、ふわりと耳に馴染む音だった。


「!清水?帰ったんじゃ・・・」

「谷地ちゃんと一緒に部室の整理してたから」


慌てて後ろを振り返れば、予想通りの姿がスタスタと近づいてくる。
随分情けないところを見られたな、と若干気まずい気分で頭をかいた。
清水も悪いと思っているのか、いつも真っ直ぐ目を見る清水にしては珍しく、少し目を伏せて。
けれど、すぐ上げられた視線はやっぱり真っ直ぐに俺達を射抜いてきた。


「話に入って、ごめん。でも、まだ終わったわけじゃない」


確かに、普段清水が俺達の会話に自分から入ってくることなんて、ほとんどない。
でもだからこそ、その言葉には清水の意思みたいなのが見えるように思えて。


「もっとやりたいなら、次の試合に勝てばいい」

「・・・!」


言われたそれは、言葉だけ捉えれば人事のように聞こえなくもないのに、何か決意のような、覚悟のようなものが含まれているような気さえした。


「・・・私も、部活が終わるのは寂しい。・・・でも、だからこそ“今”を、できることを全力でやる」


マネージャーの仕事は、少なくない。
俺達みたいに激しく体を動かしていないだけ、その実遅くまで部誌を書いていたり、この前は横断幕を家に持って帰って直したりしてくれている。
清水が体調を崩していたGW合宿、そのありがたみを深く実感したのだって古い記憶じゃない。
少し前までは俺達の面倒を一手に引き受けてくれていた清水が、しっかり前を向いているんだ。
俺達が、下を向いているわけにはいかないよな。


「・・・清水、かっこいい・・・」

「清水と旭、中身取り替えたほうがいいんじゃないか?」

「ヒドイ!」

「・・・そうだな」

「大地まで!?」

「違うって!いや、それもそうだけど!」


「やっぱりヒドイ!」と涙目になるヒゲチョコは後でしばくとして、不思議そうな顔で見上げてくる清水にしっかりと目線を合わせる。
清水とも、もっと一緒に部活したいしな。


「今うじうじしてたってしょうがない!まだ“次”があるんだから、今はそれに向けてできることをするだけ、なんだなと思って」


改めて考えると、当たり前のことだ。
もう、部活を引退してしまった奴だっている。
“次”のない高校三年生は、日本中にごまんといる。
そんな中、烏野で、あいつらと、まだバレーを続けていられるっていうのは。
・・・武田先生の言葉を借りれば、“世界を変えるような出会い”ってやつなんだろうか。


「・・・頑張ろうぜ、皆で」

「・・・おう」

「清水も、最後までよろしくな?」

「・・・うん」


願わくば、日本中で今年一番最後までバレーを続けていられるように。
引退の迫る季節が、少しでも遅くなるように。
笑って、部活を終えられるように。


「さーて、明日も頑張らないとな!」


そのための一歩を、確実に踏み出した。


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