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恭弥の背中を見送って、今更ながら締まる胸に苦笑する。
恭弥と話せた…その事実が私の心を嬉しさと切なさで締め付けた。
今を逃したらもう話せないかもしれないことはわかっていたけど、並盛の秩序を見捨ててまで恭弥と一緒にいることはできなかった。
かけられていたブランケットを元の位置に戻し、応接室から出て行く、と、足が自然と止まる。
―――歌愛ちゃん。
スコート姿のままの歌愛ちゃんが応接室の近くの壁に寄りかかり、私を睨むように見つめてきた。
…思わずその真っ直ぐな瞳が見つめられずにそらすとこつり、と歌愛ちゃんの足音が鳴る。
「…美瑠ちゃん」
「…っ…どうしたの?…歌愛ちゃん」
―――パシンッ
軽快な音が誰もいない、というより誰も近づかない応接室前の廊下に響き渡る。
その軽快な音とは反対に私の頬はじんじんと痺れるような痛みが走り熱を帯びた。
目の前には歌愛ちゃん。…その手は私の頬をぶっていた。
突然叩かれたことにびっくりしたがそれ以上に…叩かれたことに納得していた。
矛盾のようで、正論のような納得を抱いていれば今度こそ驚愕に目を見開く。
……叩かれた私じゃなくて、叩いた歌愛ちゃんが泣いていたから。
「どうして?どうしてあなたなの?なんで私じゃないのっ!?
いつもあなたばかりで…っ側にいるのは、私なのに!恭弥の彼女は私なのに!!
どうして…っ!……どうして、あなた、なの………
…っ…お願い……私から…恭弥を奪わないで…っ」
お願いっ…!
そう私に縋りつきながら泣き声をあげる歌愛ちゃんの姿は、痛々しくて。
本当に恭弥のことを愛しているんだって、すごく伝わってきて。
―――こんなにも歌愛ちゃんは恭弥のことを想っているんだって、見せ付けられたような気がした。
歌愛ちゃんは今までモデルとしてたくさんの賞賛を受けてきたはず。
それなりにほかの人よりプライドが高いはずなのに……
「歌愛ちゃん…」
「私はっ…恭弥のお母様から認められている彼女なの!
…あなたは、恭弥のお母様を知っているのっ?」
「…恭弥の、お母様…?」
そういえば…恭弥の口から家族関係の話は聞いたことがない。
…一人暮らしだったからご両親のことも聞きにくくて……
初めて私が困ったような顔をしたからなのか、歌愛ちゃんが赤い目で私をじっと見つめた。
「今は一人暮らしをしているけど…ご両親ともご健勝なの。
…そう…まだ、お母様にご挨拶していないのね……」
「……っ」
どこか安心したような、勝ち誇ったような小さな笑みにズキリ、と心が痛んだ。
私は…恭弥のことを知っているようで、知らないことばかりなんだ……
歌愛ちゃんが知っていることの方が多くて、…私が知っていることなんて歌愛ちゃんにとっては微々たるもので。
…本当に恭弥の側にいるべき人は誰なのか、突きつけられる。
少しだけ自信を取り戻したように歌愛ちゃんの目に光が灯ると、歌愛ちゃんはキッと私を再び睨みつける。
「恭弥の心は今はあなたのものかもしれない。…でも、絶対、恭弥を振り向かせてみせる。
あなたなんて、忘れてしまうほど…絶対に」
あなたには負けない。
そう言い切った歌愛ちゃんに、私はただ沈黙するしかできなかった。
…その返事としてふさわしい言葉が、見つからなかったから。
“私も負けないよ”
そんなこといえる資格さえないの。…私はもう、恭弥にとって過去の人間だから。
歌愛ちゃんは恭弥が私のことをひきずっている、って言うけれど…それはそう見えるだけ。
もし恭弥が本当に私のことを好きでいてくれるなら、私が別れを切り出したときに「別れたくない」って、言ってくれるはず。
何も言ってくれなかった。…その事実だけが、全てだから。
歌愛ちゃんは何も言わない私をもう一度だけ睨んで私の横をすり抜けていく。
―――その目に嫉妬の炎を燃やしながら……
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