「はっ…」
冗談でしょ、と相手にこれ見よがしな不快感と更なる罪悪感を与えるのを承知で吐こうとした言葉を宇宙の塵ほどしか残っていない理性で飲み込んだ。目の前にはとても申し訳なさそうな顔をした不動産の担当者が二名。
「本城さん、大変申し訳ありません…」
「私共の不手際で…」
そう言ってぺこぺことひたすら頭を下げる不動産の担当者の顔はどちらも顔面蒼白、戦々恐々。そんな土下座の兆しさえ見える二人をただ呆然として見つめるのはわたしと隣にいる名前も知らない長身の少し目つきの悪い男の子。
「要するに、とりあえず今はここに二人で住むしかないってことっすよね?」
少年と言うには大人びて青年というにはまだ幼い、黒髪で長身の彼はこの場の誰もが痛いほど感じているが口に出せばこの気まずすぎる空気を更に悪化させることが明白である言葉をいとも簡単に口にした。まさに爆弾発言である。この子は自分が発した言葉の重大さやこの場の重たすぎる空気を感じていないのだろうか。
「そうして頂けると我々も大変助かるのですが…」
「もっ、もちろんすぐに本城さんの条件に見合う代わりの部屋は探させていただきます!ですので、それまでの猶予を頂ければ有り難いのですが…!」
ちょっと待ってよ、これではもう完全に3対1じゃないか。私が彼の放った厳しくも選択の余地の無い決定的な言葉に絶句している隙に、不動産担当者たちは堰を切ったように弁明と釈明と謝罪の言葉を続けてくる。そんなことをされると情に流されてしまいそうになるが、ここで折れてはだめだと自分に言い聞かせる。そもそも悪いのは不動産の方なのだからと。
「俺、引っ越し先は1Kって聞いてたんで広く使えるってことっすよね?それに家賃は契約時と変わらないなら半分ってことになるし、寧ろ助かるんっすよね」
先ほど隣で爆弾発言をした彼は私に追い討ちをかけるように手持ちの爆弾を次々に投下してくる。そりゃあ私にだって家賃の半額は大変喜ばしい。しかしその恩恵のために背負うリスクは半端じゃない事くらい容易に想像できる。最早ハイリスクならぬハイハイハイリスクくらいだ。
「俺、この部屋は立地を優先にして決めたんで。あとは別に興味ないんで」
この子は私をからかっているのだろうか。そりゃあ貧相な私でも一応は女で、年頃の男の子からしてみたら同じく年頃の女と一つ屋根の下というシチュエーションは憧れの一種なのかもしれない。だけど現実は漫画やドラマのように簡単なものではないということは予想がつくだろうし、色々と面倒くさいことこの上ない。きっと彼は私をからかうために挑発的、若しくはにやにやした笑いを浮かべているに違いない。
しかし私の想像とは裏腹に至極真面目そうな顔をしてじっと私を見ている。と言っても彼の目つきのある差を充分に活かした無言の圧力のような圧迫感のあるものではなく、言葉のまま私は見つめられていて、本当にこの子は家賃と立地の事にしか興味がないのだという気にさせられる。なんなのだろう、この毒気を抜かれる感じは。怒るに怒れない。さらにこの3対1の状況では最早私が悪者のような気さえしてくる。なんだこれ、私が悪いの?何この子、天然?
「こんなことって本当にあるんっすね…」
ぽつりと呟いた彼の声は目の前の出来事に対して全く関係の無い傍観者が興味の無い事柄に感想を求められて発するような、興味の欠片もない調子だった。まさに他人事。いやいや、あなたは傍観者じゃなく全くの当事者なんだけど、とツッコミを入れたくなるのを我慢して私は頭を抱えた。
なぜ今こんな状況に陥っているのかというと不動産同士のダブルブッキング、つまり私と長身の彼との引っ越し先が同じ部屋になってしまったのである。社会人三年目にして前の部屋よりも条件のよい物件を求めて決めた今回の引っ越し。六畳だけど1DK、立地も方角も申し分なくて決めた念願の引っ越し。それなのにいざ、引っ越し当日になれば私の部屋になるはずだったアパートの前には長身の男の子と引っ越し業者がいて、しかも部屋は居室は六畳だけど1DKではなく2DKときた。そこで急いで不動産に連絡すると互いの担当者が真っ青な顔で飛んできて――と、まぁ、今に至るわけなのだが。
(夢なら覚めてほしい…)
一縷の望みをかけて自分の頬を抓ってみるが、願いも空しく鈍い痛みが残っただけになった。紛れもなく、今目の前で起こっていることは現実なのだ。
それに私も年端のいかない子どもでもない。怒りに身を任せたところで現実がそう簡単に変わらないことくらい知っている。今、目の前にいる不動産担当者に怒りをぶつけたところで私の条件に見合う物件が現れるわけでもない。今更引き払った前のアパートに戻るわけにも行かず引っ越し業者も随分待たせてある。何よりこ今夜私が泊まるところはこのアパートにしかないのだ。この長身の彼もいるこのアパートに。
「…。わ、…かりました。物件が見つかるまで、…ここにいます」
きっと私の表情は聞き分けの無い子どものようだったに違いない。しかし不動産担当者の九死に一生を得たような表情と、長身の彼のいい感じにほころんだ顔に早くも絆されそうになるのであった。
20140820
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