人混みを縫うように前を行くライの背中を必死に目で追う。もう埋もれてしまいそう、とすら思うのに黒の髪が前を揺れているのは熱い右手と左手だけが二人をつなぎ止めているから。その手は確りと結ばれ、緩んだりなんかしなかった。
「ま、待って!ライ!」
「あ、ごめん。ゆっくり行こう。足は大丈夫?」
「それは大丈夫だけど…急に、どうしたの?」
「まだ聞くの?せっかく花火大会してるんだから行こうって」
いつものように事務所へ向かう途中、目に付いた妙に多い人の正体が二つほど先の駅で花火大会があるのだと言うマネージャーに、折角だから行っておいでと見送られたのは記憶に新しい。でも、そうじゃなくて。
なんで手を繋いでくれるの。なんで心配してくれるの。なんで、いつもより口数が少ないの?
そう聞きたいけれど、それを言ってしまえば今この時は崩れてしまいそうで、口を噤んだ。どうしようもなくずるい人間だ。私は。
「あ、りんご飴。ユキ食べたいって言ってなかった?」
「え、うん。なんで知ってるの?」
「夏祭りの切り抜き見たんだよ。にじ鯖のやつ」
私の切り抜き見てるの?という疑問はぐいと引かれた腕に誤魔化された。気づけばライの手には赤くてまぁるいりんご飴が収められていて、はいと渡されたそれを受け取ろうとする。しかし、ライの細い指がそれを拒んだ。
「あーん、は?」
「へ!?」
冗談、じゃない。ライは本気だ。早くしないとオレが食べちゃうよなんて言ってゆらゆらと飴を揺らす。小さな抗議の声は聞き取ってもらえない。ちらりと覗いた瞳が楽しそうに私を見つめているから、気恥ずかしくてきゅうと唇を噛んだ。もう、どうにでもなってしまえ。
ライの指に手を添えて、落とさないように齧りつく。唇に着いた赤い飴を舌で舐めとると視線を感じて、ライの方に目をやる。いつの間にか近くにあったライの顔に驚いて、咄嗟に体を後ろに引いた。
「美味しい?」
「…おいしい」
「よかった。オレも貰うね」
ガリッと思い切りのいい音が響いたと思えば丸かったはずのりんご飴の半分くらいは無くなっていて、ライが思い切り齧りとってしまったのだと遅れて理解する。ライはちろりと悪戯げに出された舌を見せつけるように唇を舐めた。夜の暗闇に色を変えた瞳を急と細めてこちらを覗く。
「何見てんの。えっち」
「えっ!?ちが、見ては…いたけど」
「見てたんじゃん」
けたけたと笑うライにそんなに笑わなくてもいいじゃない。と唇を尖らす。ごめんってと慰めのように押し付けられたりんご飴は初めに食べた時より甘かった。
ライに導かれるまま、原色の眩しい屋台を眺める。たい焼き、フランクフルト、焼きそば、とうもろこし。子供の頃は近所のお祭りが一大イベントだったけれど、大人になるとお祭りって少し足が伸びづらい。どこか懐かしい匂いと光にふわふわ浮いてるような心地だった。赤くなった顔は、提灯が隠してくれる。こんな気持ちは夜が誤魔化してくれる。だから、少し手のひらに力を込めた。離れないでと願うように。
ふと、屋台の隙間から見覚えのある色が見えた。ちょいとライの袖を引く。
「あれ、マナさんたちじゃない?」
「…どうだろうね」
「テツくんもいるよ。あ。ねぇマナさ、」
その先の声は届かなかった。繋がれた腕をぐいと引かれてバランスの崩れた体は傾いていく。倒れると思った身体はライの胸に受け止められた。何だか上から見下ろすライの目が、怒りを孕んでいるような気がした。ライ、と名前を呼ぶ前に、ライはゆっくりと口を開いた。
「ね、いつからマナって呼ぶようになった?」
「あ、えと…ちょっと前、ユキちゃんって呼んでいい?って。それでじゃあ私もって…」
「オレの知らないうちに随分仲良くなったね。ちょっと妬ける」
「や、まだ緊張するし…ほとんどライの話ばっかだ、し」
あ、と漏らした声には気づかないで欲しかったのに、ライはしっかりとそれを拾った。途端に怒ったような色をしていた目は驚いたように見開かれて、それで。今度は嬉しそうに細められた。
「オレの話してるんだ?」
「んん、してるけどぉ…」
「でも今日はマナの名前出すの禁止。デートなんだから」
「デ…!?」
今日だけで何度上げたかわからない抗議の声を無視してライは前を行く。もうすぐ花火が上がるのだと伝えるノイズのかかったアナウンスの声に耳を傾けていたライはこちらを振り向いて、微笑んだ。
それがまるであの頃のセンパイみたいで。それで、少し切なくて。夏が終わるのだと自覚して、寂しくなった。まだ終わってもいないのに、その痛みを思い出して足がすくんだ。そんな私に気づかないで、ライは真っ直ぐと私を見つめていた。
「もう花火が始まるね。行こっか」
するりとライの白い手のひらが私の手を攫う。さっきまでと違うのは、流れるように彼の指が私の指に絡まったこと。互いを一つに合わせるように、溶け合うように。限界までくっついた指先が、熱を帯びていくのが互いにわかってしまった。白くて細くて羨ましいなと思っていた指先が固くて骨ばったものであると今更気づいて身体中があつくなる。センパイ、私こんなの。こんなの。
遠くから目を焼きそうなほどの光。遅れてやってきた音。夏の花が空を埋め尽くした。足を止めたセンパイの横顔があんまりに綺麗で、私も思わず足を止めた。いつかの夏にあんなに焦がれたはずの花火が今、目の前で爛々と輝いている。
まるで、あの青春の煌めきをもう一度拾い集めているような。だめ、だよ。わたし、もうあの眩しさに耐えられない。手を伸ばせば指先から焦げついて、目をやれば焼け落ちる。私の知っているあの過去はそれほどまでに熱を持って、宙に浮かんでしまっている。今更手を伸ばしたってどうにもならないでしょう。ねえ、だから今更私がセンパイの手を握るなんてこと、許されるはずなんか。ないって、そう思ってたのに。
でも、でも。センパイがこの手を引くから。握りしめて、指を絡めて、もう離さないって雄弁に語るように強く痕をつけるように。やめてよ。勘違いしちゃうじゃないですか。センパイの特別だって、私勘違いしちゃう。そんなわけないのに。自惚れた馬鹿な女なのに。
陳腐な恋愛映画みたいに赤とか青とかの光が私たちを照らす。セラさんが言うには花火って言うのは炎色反応の産物らしい。そんなただの炎色反応を美しいものだって勘違いしているのは私たちだけで、それなのに本当のことを言うと憚られる。
そんな、美しい勘違いを私たちもできるだろうか。今だけ、今だけはこの優しい地獄に浸っていてもいいのだろうか。
「ユキ、見えてる?」
「みえ、ない…」
もう、あなたしか見えない。近くで響く花火の音も遠くで鳴り響いているみたいで、なのにセンパイの声は耳元で囁かれてるみたい。
恋に落ちる音は雷鳴に似ている。センパイが私に微笑んだ時、いつだって私には雷が落ちて思考を揺らす。だからそれが本当かなんて分からないけど、私にとってセンパイは稲妻のように眩しい人で、太陽のように底抜けに明るい人だった。如何様にして太陽に手を伸ばすのをやめられると言うのだろうか。落雷に胸を焼かれないと言うのだろうか。そんな術私は知らない。
もしも。センパイから逃れる術を知ったとて、それに手を伸ばすことができるのだろうか。……できない。できっこない。そう、知ってしまった。思い出してしまった。どうしようもなくセンパイに恋をして、どうしようもなくこの人に惹かれてしまう。そういう、運命。
嗚呼、どうしよう。どうか、どうかバレないでください。あなたが好きなこと、全てここに仕舞うから掘り返す真似しないから。今だけ、好きでいさせてください。
そんな夏。