夢中になる為の呪言


「棘くんなんてもう、大っ嫌い!!」
「おかか!」

 私は力一杯走った。後ろから追いかけてくる棘くんの気配を感じるも、生まれた時から身体能力がズバ抜けていた私は、その距離をどんどん突き放していく。真希さんと肩を並べられる程の私は、涙を流しながら走り続けた。

「馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿…!」

 慨嘆する私にすれ違う人々が振り返るのが分かるけど、そんなこと気にしてられない。
 棘くんなんて大嫌いだ…!私と待ち合わせしていた筈の喫茶店の入り口で、他の女の子と……。だめだ。思い出しただけで、また涙が溢れ出してくる。
 グッと唇を噛み締め、何も考えずに走り続けていたせいか、気付いたら知らない路地裏に来ていた。

「おいおい、そこの可愛い姉ちゃん。こんな所に一人で来ちゃ危険だぜ?」
「ラッキーだな、兄貴。釣れた釣れた」
「ああ、弟よ。今日は付いてるなぁ。ここはレイプ魔の聖地のようなものだ。知らねぇのか?」

 見るからに柄の悪い二人が、一歩ずつ私に近付いてくる。呪いとはまた違ったその恐怖に、足が竦んで動けなくなる。お陰で流れていた涙はピタリと止まった。

「たっぷり可愛がってやるからなぁ」
「や、やめて!!」

 ついに目の前に来た男共が、私の制服を掴んだ。……襲われる!そう思った時にはドンッと壁に身体を押し付けられ、私は覚悟を決めたかのようにぎゅっと目を閉じた。

「"動くな"」
「「!!」」

 任務の時にしか聞けない声が聞こえ、安堵で涙が込み上げてくる。
 目の前の男共は動けなくなり、近付いてきた棘くんがその二人を殴り飛ばした。呆気なくも伸びてしまった男共を見た後、側にいる棘くんに振り返る。

「棘くん…」

 名前を呼べば、紫色の綺麗な瞳が一度だけ私を映した。だけどそれもほんの一瞬で、グイッと腕を掴まれたかと思えば、棘くんはどこかへと走り出した。


**


「ちょっと、棘くん…?!」

 一体どれだけ走ったのか分からないけど、気付いたら私の見慣れた景色が目の前に広がっていた。ここは呪術高専の寮だ。

「……高菜」

 漸く立ち止まり、しっかり掴まれていた腕を解放されたかと思えば、寮の方へ指を差した棘くん。

「え?何?棘くんの部屋に行くの?」
「しゃけ」

 うんうんと、何度も頭を上下に振る棘くんの真意が分かり、急に身体の熱が上昇していく。
 つまりその…そういう事、だよね?

「え、えっと……」

 "良い?"とでも言っているような眼差しが視界に映り、思わず視線を逸らした。
 どうしよう私、まだ心の準備が……。

 そう。私たちは付き合って半年になるが、手を繋いだりキスしたりはあれど、その先はまだだった。
 お互いに初めてだし、そういうのって大切なことだから、棘くんも急かしたりはしなかった。だけどどうやら、今回の件で踏んではいけない地雷でも踏んでしまったようだ。

「すじこ」

 逡巡する私を見て痺れを切らしたのか、再び私の腕を掴んで歩き出した棘くん。今回は先程とは違って、優しい。じりじりと掴まれた腕が、熱い。
 こうなったらもう、覚悟を決めなくては。棘くんとひとつになる覚悟を。

「こんぶ」

 部屋に入った途端、ドアへと追いやられて逃げ場を無くした私の視界に、棘くんの端正な顔が間近で映る。
 段々と近付いてくるそれに、私は咄嗟に大事なことを思い出して棘くんの肩を押した。

「ツナマヨ…?」
「棘くん、あの女の子は誰」

 そうよ。元はと言えば、あんな危険な目に遭ったのは棘くんのせいじゃない。思い出した瞬間、先程のような甘い雰囲気は消え失せ、ひしひしと怒りが込み上げてきて棘くんを睨みつけた。

「おかか!」
「…誤解?何が誤解なの?」

 慌てふためく棘くんはパッとポケットからスマホを取り出し、何やら文字を打ち込んで私の目の前に突き出した。

「"名前を待っていたところ、逆ナンされたんだ"…?本当……?」
「しゃけしゃけ!」

 これでもかってぐらい頭を縦に振る棘くんに、私は深い溜息を吐いた。
 棘くんの純粋な瞳が、本当だと告げている。それに棘くんのことだ、あり得ない話ではない。私でも逆ナンしてるかも。

「……許す」
「しゃけ!」
「私もごめんね、大嫌いなんて言って。私も大好きだよ」
「しゃけしゃけ」

 張り詰めていた緊張が解けたかのように、ぎゅうっと私を抱きしめた棘くんの背中に、私も腕を回した。

「棘くん?!」

 すると私の足は宙を浮き、棘くんによって抱きかかえられているのだと気付いた私の頬は、再び熱が上昇して真っ赤に染まる。

 そしてベッドに優しく降ろされ、私の上に素早く跨った棘くんの艶かしい表情に、ドキリと胸が高鳴った。

「…"俺に集中しろ"」

 首元のネックウォーマーが外され、棘くんの綺麗な唇が動いた瞬間、私は降り注がれた棘くんのキスに夢中になっていた。



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