そのまま連れてこられたのは、マンションだ。高いそれ、山下と書かれた部屋に入った先生に続き部屋に入る。コーヒーでいっか、と先生はキッチンへ向かった。
 一人部屋に取り残され、私はソファにあるクッションを見る。確かこれは私がコーヒーをこぼしたためあげたやつだ。よくよく周りを見ると、私があの準備室に置いた小物が並んでいた。とりあえず、クッションを抱きしめてみる。ビーズクッションは抱き心地がいい。

「おまちどうさま」

 はい、とコーヒーを渡され、受け取る。マグカップは準備室で私が使っていたものである。懐かしいな、と思っていれば、先生はあの頃と同じように隣に座った。

「私の小物、捨てなかったんですか」
「なんやかんや使い心地がいいからね〜。慣れてるし思い出もあるし」

 そう言った先生は私を見下ろす。数秒黙ったと思ったら、先生は口を開く。

「柊、ごめんね」
「……なにがですか」
「この前の。俺が勝手に怒ってただけで、柊は悪くない」

 そう言った先生は私の頭を撫でた。くしゃり、と撫でるそれは懐かしくも思う。たった数カ月前。されど数カ月前、ということだろうか。

「昔っから多々あると思うけど、俺が勝手に勘違いしたりするだけ。だから、柊は悪くない」
「勘違い?」
「そ。勘違い。色々とね、俺は柊より生きてるから、勘違いしちゃうワケだ、これが」

  先生を見上げる。先生は優しそうに目を細めた。それが気恥ずかしくて、コーヒーを見る。

「今までは、すぐ仲直りできたから、と思ってた。でも、ルイ達に言われて気づいたよ。柊が俺の機嫌取りに来てくれるからすぐ仲直りできただけだって」
「今更気づいたんですか。大変だったんですからね、先生の怒りを和らげるの。原因探ったりとか」
「……俺、そんな怒ってるのわかりやすい?」
「何年私があの部屋に四六時中いたと思うんですか。二年半ですよ。わかりますって」
「それもそうかぁ。長い付き合いだな、俺と柊は」
「……――今回は、」

 私の言葉に先生は、今回は?と首を傾げる。

「――先生と私の間の壁が高くなってしまっただけです」

  そう告げれば先生は持っていたコーヒーを置いて、目を見開いて止まった。

「先生はアイドルなんですよ。売れてるアイドルです。私はただの女子大生です。生徒と教師っていう関係じゃありません。実質、私と先生を繋いでたのは、プロデューサーさんもいたかもしれませんが、メールでした」

 自分のコーヒーを前のテーブルにおく。先生は無言だ。

「それがなくなっちゃうと、テレビの中のアイドルと一般人になるわけです。仲直りのやり方なんて、わかるはずないじゃないですか。昔みたいに四六時中一緒にいるわけじゃないし、先生と面と向かって話したり先生を見たりしてるわけじゃない。わかったらただのへんたいでしょ」

 そのまま近くにあったクッションをまた抱きしめる。また泣きそうだ。でも、泣いて解決できるそれじゃない。
 そもそも、なぜ泣きそうなのかを突き止めれば、それこそ先生との関係を崩す言葉に突き当たるのだ。だから、先生の気に入られる『子供』として存在したいのである。一方的に断ち切られるそれではあるけども。それでも、この親しい関係が好きで。

「柊」
「なんですか」
「泣いてるのか?」
「泣いてません。堪えてはいます」

 クッションに顔を押し付ければ、先生は数秒黙って、口を開く。

「柊、勘違いしていいの?」
「何を?」
「自惚れるよ、おじさん」

 先生の言葉に、少し動きを止める。そして、口を動かす。

「……どうぞ、ご勝手に」

 明確にするのが苦手で、だから口ごもるように言う。先生はふっと息を吐いた。

「柊」
「なんですか」
「俺とお前の関係の壁、分解する方法、俺知ってるけど知りたくない?」

  先生の言葉に先生を見る。きっと涙目だ。先生はそんな私にもう一度同じ言葉を繰り返す。

「俺とお前の壁を分解する言葉、聞きたくない?」
「分解する言葉?」
「うん、知りたいなら教えてあげるし、知りたくないなら教えない」
「……知りたいです」

 そういえば、先生はポン、と私の頭を撫で、私を見下ろした。真剣な顔である。それに目をそらそうとすれば、目をそらすな、と、先生は私の顔をつかんだ。

「俺は柊フユカのことが、好きだよ。生徒としてじゃない。友人としてでもない。男女間の感情として、好きだ」

 先生の言葉に頭がフリーズする。

 ――先生、は、いま、なんて。

  頭が動き出したが、ちゃんと機能していないようだ。グルグルと先生の言葉が頭のなかをまわる。先生はもう一度口を開いた。

「別に受け入れなくていいよ、でも、俺、自惚れていいんでしょ?だから、言うよ。言わないと柊はおじさんの心情そっちのけでフラフラフラフラするから。特別サービス、もう一回言おう」
「え、」

「俺は、お前を愛してる。だから、柊も俺を愛して」

  至近距離だ。先生と目がずっとあった状態だ。心臓が、うるさい。言葉が浮かばないので、ゆっくりと頷く。それでも先生は満足したのか私をぎゅっと抱きしめた。そして、あやすように背中を叩く。

「な?分解したろ?」

 その声はとても嬉しそうで。 ぽろり、と涙が零れた。