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 溢れる荒い息の間を埋めるように、追っ手のエンジン音が微かに耳に入った。
 あーあ、巻けたと思ったのに
 もう終わりかと諦めにも似た感情が名前の頭を過ぎる。いつも通りなら巻けるはずだった。けれど、知らぬ間に発信機でもつけられていたのだろう。
 わざわざ細い道を右へ左へ縫うように進んだというのに。どういうわけだか、走る速度を落とせばすぐさま特徴的な音は聞こえてきた。その音を拾ってはルートを切り替え、走って走って走りすぎた体はもう限界だ。

「仕方ない、か」

 あともう少し進めば目の前は崖。これ以上進んでも、もう身を隠す場所はなどどこにもない場所まで来てしまった。

「結局、私は最後までアイツらの掌の上で踊らされていただけだったと、そういうわけだ」

 呆気ない話である。
 そもそも公安を所望した所以はジンもろとも死んでやろうというその気概だけだ、なのに死ぬのは名前だけ。随分寂れた幕引きに、自嘲の笑みを禁じ得ない。
 結局、なんにも成し遂げられなかった

「おい」

 扉を閉める音が重く響く。

「……久しぶりね、ジン」
「こっちを向け」

 声と共にカチリと音がした。「物騒ね」聞こえるか聞こえないかの声量で呟き、両手を上げ振り向く。

「フン……今日はやけに従順だな……今更テメェの命が惜しくなったか」
「ばかね。楽に死にたいだけよ」

 鼻を鳴らすジンに肩を竦めてみせた。こいつだけではない。車の中にも、先の岬にも銃を構える人間がいるのに誰が反抗的な態度を取ろうと思うだろう。
 そうしたところで助からないのは、火を見るよりも明らかなのに。

「分かってんじゃねぇか……」
「私は昔から貴方達と縁があるからね」
「親子揃ってネズミとはなぁ……」
「あらやだ、殺したやつの顔と名前は忘れるんじゃなかったの? お母さんのことが好きだったのはほっ……あ゛っ……」
「黙れ」

 冷え切った声よりも早く横腹に刺さった弾丸が名前の口を止めた。腹を抱えて屈んだ背中に、ジンの蔑む視線が刺さる。

「こんな奴を鼠に選ぶなんざ……サツももう終わりだな……」
「という割、には……随分、しっかり……した……はあっ……護衛……じゃ、ないの……」
「フン……お前は身体能力だけは高かったからな……」
「はぁっ」
「だがもうこのゲームも終わりだ……」
「そう、ね」
「お前が勤めていた会社も潰したさ……今ごろ生から解放された楽園でお前を待ってるだろうよ……テメェのマリア様と一緒にな……」

 テメエのマリア様? 母親のことだろうか。
 相変わらず痛い男だ。そう心の中で嘲笑ったのにホロリと涙がこぼれた。こんな男に母親を殺されて、そして復讐さえできずに自分も殺される。
 悔しい。これでは死んでも死にきれない。

「フンッ……美しくはねぇが、鼠にはこの光のねぇこのステージがお似合いだな……お前の血で鮮やかになるだろうよ……この」
「……っはぁっ」

 ゴトッと背後で音が響いた。一息踏ん張れば、音を立てて欠けた背後の岩と共に、自分の体も無残に海に吸い込まれていく。
 死ぬ時は決して情報を残すな!
 お母さんもこんな気持ちだったのかな、と名前は沈みゆく意識の中考える。上司は悲しんで泣くだろうか。それとも、結局何も成し遂げられなかった名前に同情して泣くだろうか。使えない部下だったなと、自分の運の悪さに泣くだろうか。
 あーあ……初めからやり直せたらいいのに
 叶わぬ願いを胸の内で呟くと、名前は波に飲まれていった。




プロローグ 終
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