01


「ったあ……」

 強い衝撃と共に鋭い痛みが全身を走る。意識を叩き起こされた名前は瞼を開け、真っ先に目に入った逞しい根を呆然と見つめた。
 ……え、なに。なにごと
 海の底は森でした、なんて御伽噺でもあるまいに。混乱するまま目の前の土を掴む。匂いを嗅いでから口に含み「うへっぺっ」即吐き出した。五感はきちんと機能している。
 身体を起こし大きく息を吸えば、冷たい空気がすっと染み渡った。

「生きてるみたい……私、死んだんじゃなかったっけ」

 とりあえずは状況を把握しよう。ひとりごつと、名前はよいしょとその場に立ち上がった。前方は見渡す限り木が広がる。時々動物が草木を揺らすが、他に何が見えるわけでもない。では後ろは──────

「助けてー!」
「山賊が追ってくるー!」
「……え、なにあれ」

 コスプレとしか思えない、随分古めかしい格好をした少年2人が必死の形相でこちらに向かってくる。

「……手の込んだごっこ遊び?」

 しかし2人を追い木陰から飛び出てきた人影を見て、名前ははっと息を飲んだ。
 大柄のその男達は、構えた薙刀の狙いを子供達に定め、寸部の狂いもなく何度も振り下ろす。すんでの所でかわす子供達にも容赦がない。何度も、何度も。
 なにあれ。本気なの?
 呟くと名前はその場に屈んだ。今は置かれた状況すら分からないけれど、困っている人を、ましてや子供を助けないのは警察官としての矜持が許さない。我ながらお節介もいいところだとは思うが。
 息を潜め、名前は機会を伺った。
 ……この腕!

「うわああああ!」
「シーっ!」

 無理矢理二つの口を塞ぐ。

「隠れたいなら静かにしなさい」

 コクコクと頷く少年達の頭を撫でると、強張っていた身体から力が抜けた。ふらりと傾いだ2人をしっかりと抱きとめる。
 さぞ怖かっただろう。名前は安心させるようにその背を撫でながら、視線はその男達の方へ向けた。

「この人達、誰?」
「山賊です」
「山賊!?」

 山賊なんて言葉、生まれて初めて人の口から聞いたかもしれない。

「なんで山賊なんかに追われているのよ」
「僕たち、薬草を取って帰ろうとしたら鳥にカゴを持ってかれそうになって、そしたら乱太郎が」
「私、走るの速いからそのカゴを取り返そうと思って……上見て走ってたら偶然そこにあった山賊達の罠を踏んじゃって」
「で、追いかけられる羽目になったと。そのカゴは?」
「結局私は追いつけなくて」
「鳥が川に落として行きました……」
「不運ね……」

 思わず漏れた感想に、2人は困った笑いを浮かべた。「なんてったって『不運委員会』ですから」と笑う2人はこれが日常だそうだ。名前からして不運だと名前は胸の内で呟く。

「まあ、それはさておき」

 尻目に捉えた山賊達は、茂みをかき分け向かってくる。

「走るの、どっちの方が得意?」
「乱太郎がすごく速いです」
「乱太郎は……」
「私です。私、100mを10秒で走れます!」
「本当に速いね!?」

 嘘でしょう、と言いかけて飲み込んだ。そこを責めても今は意味がない。
 しかし、それが本当ならそんじょそこらの成人男性よりよっぽど速い。オリンピックだって十分に狙えるレベルだ。この年でそれは────さすがに信じがたい。

「まぁいいや。君は?」
「僕は全然」
「そっか。なら、」
「天女様はぁ?」
「は!?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。

「天女様ぁ?」

 ごっこ遊びはもう辞めろと諌めるが、本人たちは至って真剣だ。

「だって先輩方はそう呼んでました!」

 言い切った乱太郎の顔は嘘を言っているようには見えない。これが「先輩」まで創作上の人物であればどうしようもないが、それを疑ったところで埒が明かないのも確かである。しかし

「なにをどう判断して“天女”なんてそんな」
「だって、お姉さん変な格好してるから。ヘイセイから来たんでしょ?」
「それとも、レイワですかぁ?」
「え? まあ……」

 確かにそこから天国だか地獄だかに来た。それは間違いない。しかしだから「天女」と言うのはおかしいだろう。
 そもそもここが天国だとして、天女を天女と呼ぶのだろうか。現世の女性を「現女」と呼ぶくらい違和感がある。じゃあ地獄だとして、現世は地獄の上にあるから「天女」と呼ぶのか?
 100歩譲ってそうだとしても、時代が関係するのはおかしい。聞くなら「現世から来たんでしょ?」という質問でせいぜいだろう。
 ……もしかして、異世界にでも飛んできた?
 ありえない。

「落ち着け、私」
「天女様?」
「なんでもない」

 パチンと名前は頬を叩いた。とりあえず今は、そんなことどうでもいい。
 死んでなお何かから逃げるなんて、嫌な星のもとで生まれたものだが。名前はよしと意気込んで、やや顔色が悪い男の子を抱き寄せた。

「君、名前は」
「鶴町伏木蔵ですー」
「私は今から伏木蔵君を抱えて、走っていけるとこまで行く。いいね」
「すごいスリルー」

 伏木蔵はクネクネと楽しそうに体を揺らした。「私は自分で走ればいいですか?」と聞く乱太郎も怯んだ様子は全くない。慣れた様子の2人に、大袈裟ではなく普段からよっぽど運が悪いのかと内心同情する。

「じゃあ3、2、1で茂みから飛び出て、あっちにいる山賊とは逆方向に逃げるよ」
「はい!」
「その方面に、私たちを守ってくれるような安全な場所は?」
「僕たちが通ってる学園がありますー」
「学園!? それは危険だからダメ。交番や消防署はないの?」
「こうばん?」
「しょうぼう……?」

 この二人の反応に名前は絶句した。
 そんなことまで知らないなんて
 しかもそれが2人もいるとは、にわかには信じられない。しかし何度聞いても知らないの一点張り。「学園は安全だから平気です」とまたも真剣な顔で言い切られてしまい、名前は不安を抱きつつも2人の主張に折れた。