踊るのが楽しい


 保健室で薬草を磨り潰すその最中、唐突に人の気配を感じた。規則正しい足音を立て、一定の歩幅を保ちながらこちらに向かってくるのは女だろう。
 ────ということは
 実に2週間ぶりの再会に少なからず胸が高鳴る。手伝いにでも来てくれたのだろうか。自然と顔を綻ばせた伊作の目線の先で、音もなく扉が開かれた。

「失礼する」
「いら」
「わぁぁぁ!」

 いらっしゃい。言いかけた言葉は飲み込まれた。

「足音を立てたのにひっくり返るのか、君は……
 乱太郎、もう少し外の気配に気を配った方がいい」
「くノ一教室保健委員、苗字名前先輩!
 すみません……気をつけます」
「ああ。土井先生の神経性胃腸炎が悪化しないようにな」

 ニヤリ。
 笑う名前は土井が腹を抱える姿を楽しんでいる節がある。保健委員として心配することと、くノ一としての本能はどうやら別らしい。苦笑いを浮かべた乱太郎の頭を軽くひと撫でして、ようやくその目は伊作と合った。

「いらっしゃい」
「いっらしゃいと言うよりお帰りだろう、この場合」

 患者じゃないぞ私は
 名前が顔をしかめて呟くのを聞き、伊作は笑みを浮かべた。
 くノ一教室の保健委員は忍たまと一線を画しているにも関わらず、仲間だと言わんばかりの口ぶり。こんなことで喜べる伊作は重症だろう、その自覚はある。

「手伝いに来てくれたのかい?」
「いや。
 薬草摘みの時間だ、伊作」
「あれ、名前に今日薬草摘みに行くって話したっけ……?」
「風の噂だ」

 名前は事も無げにそう言うと、よいしょと籠を二つ引っ張り出した。

「でも名前、今日は実習明けだろう。知っていたから言わなかったんだけど」
「案ずるな。昨日は存外早く帰れたんだ。おかげでもうすっかり元気だよ」
「本当かい?」
「なんだ、久しぶりに不運に遭いたいのか?あの険しい山の中で」
「いや、それは遠慮しておきたいかな……」
「だろう?」

 こちらを伺う名前はどうやら頑として引く気はないようである。名前の“ポテンシャル”を引き合いに出されては伊作も断れない。
 名前といると、なぜか不運に遭わなくなる。それどころか、珍重な種を見つけたり高値で仏像を買ってもらえたり、何かと幸運なことが起きるのだ。名前曰く、くノ一保健委員は特段不幸体質なわけではないらしい。かといって全員が幸運体質なわけでもなく「私の“ポテンシャル”さ」いつもそう言って笑う。

「じゃあ、名前の言葉に甘えさせてもらうよ」

 それがいいと大きく名前は頷き、籠を背負い立ち上がった。伊作も磨り鉢を脇に置いて立ち上がる。

「じゃあ乱太郎、保健室のことは任せたよ。もう少しで数馬も来てくれるはずだから」
「はい!
 伊作先輩、くれぐれも気を付けてくださいね」
「大丈夫、今日は 名前がいるからね」
「そうそう。目を離さないから安心しな」
「名前先輩、どうぞ伊作先輩をお願いします」
「心得た」
「まるで僕、子供じゃないか……」

 不貞腐れてみせると肩を揺らして名前は笑った。「優しい後輩じゃないか」言われた言葉には同意するが、とはいえなんとも複雑な気持ちである。
 いってらっしゃーい!という乱太郎の声を背に受けながら、伊作と名前は裏裏山に向かって歩き出した。



「にしても、なにかあったのかい?普段、早く帰れたとしても実習明けに薬草摘みには来ないじゃないか」

 サクリ、サクリ。茎を切る音が二人しかいない山ではよく聞こえる。

「結構きつかっただろう」

 学園からかなり離れた、下級生なら半日では帰れないだろう山の中腹で伊作達は薬草摘みに勤しむ。群生するのは傷によく効く薬草だが、その取りにくさからよほど重症でないと使われない妙薬だ。起伏が激しく足場の悪い所に生えており、保健委員の後輩を連れていないのも場所に難があるからに他ならない。
 だというのに、実習明けで万全ではない体でついて来るとは何か理由があるのだろう。元来無茶をする性質ではない。

「実はさ、同室の子がこの実習で怪我をしちゃってね」
「僕が薬草を持って帰れるか不安だから来たのかい?いくらなんでも流石に」
「いや違うよ」

 保健委員長だから言うだけだ、誰にも言うなよ
 名前の念押しに無言で首を縦に振る。

「その子の怪我した場所がね、内股だったんだ」
「恥骨に近いのかい」
「かなり」

 それなら保健室に来ることさえ嫌だろう。ましてや人に見せるなんて。
 納得した伊作はひとりでに頷きを繰り返した。だから同室で、気休め程度だが存在するくノ一の保健委員に事情を話したのか。

「この薬が欲しいってことは結構酷いのかい?」
「いや。退散時に辛うじて動けた侍が居てね、その刃先がひょいと内股を掠めた。そんな程度だよ」
「ならどうしてこの薬を?」
「ま、私の最後の土産だよ。彼女へのね」

 話が見えず首を傾げる。それに小さく笑いを浮かべた名前は嬉しそうに、しかしどこか寂寥感を滲ませて小さく呟いた。

「もう少しで結納なんだよ、その子」
「……へえ」
「どうやら両家の顔合わせでかなり意気投合したらしいんだ。それで、この怪我が原因で破談になることを恐れている」
「ああ……」
「まぁどうせ、もっと深い関係にならなきゃ見えない場所にあるから気にしなくてもいいと思うんだけど」

 深い関係。思わず自分と名前のあらぬことを想像して頭を振る。
 だが名前はそれに気付く様子もない。じっと見つめる、その目線の先にあるのは鋏だけだ。

「でも気にするのが乙女心ってもんだろう。それは痛いほど分かる」

 サクリ。静かに切って名前は薬草を籠に投げ入れる。サクリ、サクリ。

「それに5年と2ヶ月、そんなにも長い間一緒にいた彼女ともこれでお別れだ。世話を焼けるのも最後だと思ったら、つけてあげる薬はこれがいいなと思ってしまって。
 ────このくらいの我儘、許されるだろう?」
「許されるよ。僕だってそうする」
「そうか。ま、口止め料として残った薬草は伊作にあげる」
「有難く頂戴するよ」

 全く、素直じゃないんだから
 伊作は胸の内で呟きそっと名前の方に視線を遣る。真剣に薬草を刈るその背は

「……寂しい?」

 言葉は自然と口をついて出た。

「なにが」
「彼女が先に学園を出ること」
「…………まあね。唯一同室揃って6年に進級したくノ一だったし。
 だけど同時に嬉しくもあるよ。
 彼女は良家のお嬢様だからね、これで卒業までいたらどうしようかと思っていた」
「あれ、行儀見習いの子なの?」
「の、はずだよ。
 だけどなまじ優秀なせいですっかり忍者になる気になって、見合いという見合いを全部蹴っていたんだ。
 忍術を使って」

 名前は肩を竦めた。

「忍者にならなくていいのにそこまでする理由が分からない」

 確かに名前のいう通りだ。しかし結局は忍者にはなれないからこそ、忍者というものが魅力的に映っていたのかも知れない。

「だけどやっと、その子のお眼鏡に叶う人が現れたんだね」
「そうそう。親ばりに嫁に行ったらどうかと口を酸っぱくして言ってたんだが、いざこうなると寂しいものだな。
 ま、今まで過ごした楽しい日々に感謝して残りの時間を過ごすよ」
「これで6年くノ一は……」
「あと2人」
「少ないね、やっぱり」
「そりゃそうさ。女の教育にお金を掛けて、尚且つ一流忍者に育て上げようなんて正気の沙汰じゃない」

 言外に自分の両親を揶揄して名前は笑う。
 保健委員でありながら、自分とは似ても似つかぬ言動に惹かれるようになったのはいつだったか。冷静で素っ気ない口振りに、斜めから物を見る彼女は取っ付きにくいと思われているらしい。だが同室の為に薬草を摘みに来たり、不運すぎる伊作の為にちょくちょく保健室に顔を出したり、なんだかんだ優しいと伊作は知っている。
 そうでなければそもそも保健委員などやらないだろう。

「名前は辞める予定は?」

 ふと、不安に思って口にする。あくまでも軽い口調を心掛けたが

「辞めてほしいの?」

 裏目に出た。拗ねた口調に慌てて首を振る。

「まさか!」
「本当か?まぁ伊作がどう思おうが、私が辞めることはないよ。
 私は乱太郎と同じ、代々ヒラ忍者の家系でね。一族のうちに一流忍者を出そうと三代かけて貯金したが、なんと残念女の子!しかし母は体が弱かったから、私以外産めないと医者から言われたんだ。
 だからこうして、私は忍術学園で学んでいる。辞めないんじゃない、辞めようと思っても辞められないのさ」
「そっかぁ」

 内心こっそり安堵しつつ、伊作は更に質問を重ねた。

「じゃあ、将来は城勤めかい?」
「いいや。両親は城勤め希望だけど、フリーを目指しているよ。
 私が城勤めに向かないのは伊作、君もよく知っているだろう」
「もちろん。だから聞いたんだよ。
 そういう流れで言われる『一流の忍者』は城勤めを指すことが多いけど、名前には向かないんじゃないかと思って」
「そこまで言われると複雑だが……」

 ははっと伊作は声をたてて笑った。しかし名前が城勤めに向かないのは紛れも無い事実である。
 名前が4年生に進級してから、忍たまの実習に駆り出されるのを伊作はしばしば目撃していた。本格的な実習が始まると、くノ一の手を借りざるを得ない場面が度々出てくる。
 そこで名前に白羽の矢が立つのだが。
 名前はかなりの頻度で忍たまと揉め、そして作戦から除外されてきた。
 実力云々ではない。当然指名する側は実力、年齢、経験などを鑑みた上で名前を選んでいる。そうではなく「これはやりたくない」と名前が作戦を拒否することに問題があった。「こんな時に城を落としたくない」「こんな作戦には参加したくない」「こんな役はやりたくない」ないない三段活用である。
 悪いのは杜撰な計画を立てた方だ、と名前は言う。実際、名前が蹴った作戦はことごとく失敗しているし、仙蔵の声掛けを断ったことは一度もない。とはいえ、城に勤めたら例えリスクの高い作戦だろうがなんだろうが、問答無用で参加せねばならなくなる。断ることが許されるはずないだろう。
 ならば初めからフリーを目指す。実に賢明な判断だ。

「そう言う伊作は卒業後どうするんだ。私は城勤めに向かないが、伊作はそもそも忍者に向いてないとすら言われてるじゃないか」
「あはは……」
「私は向かないことはないと思うけど」
「そ、そう?」

 急な褒め言葉に思わず声を弾ませた。

「ああ。手裏剣……と言うべきか乱定剣と言うべきか、とにかく投擲武器の命中率は高い。
 気配にも聡いし保健委員として観察眼はあるし、体力もあるし。体術も得意だろう。
 毒薬や人体の知識も豊富で、しかも順忍にも適している」
「あ、ありがとう」

 好きな人に手放しで褒められて、嬉しくない人などいるだろうか。顔に熱が集まるのを感じながら、によによと緩む口を押さえることは出来ない。しかし

「ま、不運が無ければの話だが」

 続けられた言葉に肩を落とした。

「結局そこじゃないか……」
「まあね。卒業までにこれをどうするか、考えた方がいい」
「うん……困ったもんだよ」

 そこで黙れば良かったのに。自分はすっかり浮かれていたらしい。

「卒業後も名前が側に居てくれれば、不運じゃなくいられるんだけどね」

 ────サクリ。
 耳に入った音で、伊作は我に返った。

「い、今のは!その!」

 なんとなく、本当になんとなく呟いた言葉だったが、思い返せばそれはまるで

「その、何?プロポーズ?」
「プ、ププププロ……!違う、違うよそうじゃない!」

 ああ、僕は何を言ってしまったんだ……
 思わず頭を抱える伊作にずいと名前が顔を近づけて

「なーんだ、残念」

 耳元で囁かれた言葉にバッと伊作は名前を振り向いた。

「い、今……なんて」
「ええ、急に耳が遠くなったのか?それともカマトトか?」
「違うよ!」

 混乱してるんだよ!叫びたい言葉は喉の奥に消えていく。なんだ、なんなんだ急に。
 しかしその内心知ってか知らずか、名前は追求の手を緩めようとはしない。口の端を持ち上げ余裕さえ見せつけられると、こう、どうにも、男としての矜持が。

「さあ伊作、今のはプロポーズ? それとも、冗談?」

 ここまで煽られたら腹を括るしかないだろう。というか告白だけはしないようにしてくれているのか?ふっと過った疑問に悔しいやら情けないやら、意を決して名前の手を掴んだ。

「プ、プロポーズ……だよ。僕と一緒に墓場まで行くっていうのは、どう?」

 ふふっと名前は笑った。

「随分重い告白だな」

 言葉とは裏腹に、名前は嬉しそうに言うと伊作の手を握り返してきた。

「でも色々すっ飛ばしすぎじゃないか?」
「確かに」

 とはいえ突然降って湧いた告白の機会に、そんな冷静になれるはずないだろう。ほとんど名前の誘導尋問みたいなものであったし。

「じゃ、私からの返事は
 …………お付き合いからどうですか?で」

 パタリと伊作は薬草の上に寝転んだ。クスクスと笑う声を頭上で聞きながら、少しだけ顔を顰めてみせる。

「おや、嬉しくないのか?」
「そうじゃないけど……名前の方が格好いいなんて」
「良いじゃないか。それでこそ伊作と私だろう」
「……どういう意味?」
「唯一無二のカップルってことだ」

 どこまでも格好良くて立つ瀬がない。自分はこれで晴れて────恋人、と言う立場を手に入れたと言うのに。
 彼氏としてどうなんだろうか……
 と、いうか

「驚いたそぶりもないけど……知ってたの、僕の気持ち」
「そりゃあ自分に向けられる好意に気付かないくノ一なんて、致命的だと思わないか?」

 確かに。独り言ちて伊作は悲しくなった。完全に名前の方が一枚も二枚も上手だ。

「なのになかなか告白もしてくれないし……焦れったくなってさ。こんな機会、二度とないと思って」

 情けない。とにかく情けない。一世一代の大告白、それを彼女に助けてもらったとは如何なものだろう。

「一体いつから気付いてたの」
「3年生の秋」
「初めからじゃないか!」

 恥ずかしいよ……
 呟いて顔を覆うと、優しく頭を撫でられた。

「私が君を意識し始めたのは、君が私に好意を抱いていると気付いたからだよ。
 伊作の好意に気付かなければ、他の人を好きになっていたかもしれない」
「それは!」

 思わず体を起こして反応すれば、名前が柔らかく目を細めた。

「だろう?だからこれでいいんだ。
 これが私たちの形」
「本当に格好いいね、お前は」

 言いつつ伊作は名前を抱きしめた。「もうこんなことでしか格好いいと思わせる手段がない」呟くと、腕の中で小さく名前が笑った。

「伊作は初めから、可愛くてそれでいて格好いい。知ってる」

 叶わない。
 胸の内で呟く以外、伊作に出来ることは何もなかった。




【てのひらの上で、踊るのが楽しい】 ─ 終 ─
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