明るいあなたが一番です


「はぁ」
「どうしたんですか、ため息ばかりついて」
「昴さぁん」

 思わず出た猫撫で声に、沖矢が小さく笑う。

「また仕事が上手くいかないんですか」
「そうなんですよ……」

 派遣業者から沖矢の元へ送られた家政婦、という建前のもと工藤家にちゃっかり居座っている名前だが、その実黒の組織殲滅作戦の一端を担うFBI捜査官である。しかし名前が抜擢された理由といえば「語学が堪能だから」。特段潜入や変装が上手いわけではない。
 そんな名前が語学以外にできることといえば、ハッキングぐらいのものである。だからこうして沖矢と共に過ごしているのだが。

「あの会社、本当に手強くて」
「まぁそうでしょうね、組織と取引するぐらいですし」
「ていうか最近どうして昴さんのままいるんですか?」

 名前が首を傾げると、沖矢はフッと笑ってチョーカーの電源を切った。

「真純がまたいつ来るか、分からんからな」
「そんなに警戒しなくても」
「それより」

 ひらり、と沖矢もとい赤井はポスターを差し出した。

「蘭君からもらったんだ」
「花火大会……?」
「面白そうだと思ってな。一緒に行かないか」
「は、はい! 行きましょう!」

 恋人になって久しいが、お互い仕事にかまけてばかりでデートらしいデートもしたことがない。思わず上擦った声に、赤井は口の端に笑みを浮かべると

「蘭君たちに見つかると面倒だ。当日は少し早めに出発しよう」
「はい!楽しみです!」



 かなり早く家を出たと言うのに、既に人だかりができていた。

「花火大会ってこんなに混むものなんですね、昴さん」
「ここら辺では一番大きい花火大会らしいですから」
「混むのは必然、と?」
「ええ」

 変装の上からでは表情が読めないが、額面通りに受け取れば沖矢は対してこの喧騒も気にならないのだろう。いくら名前がすでに辟易しているとはいえ、そんなことを言ってデートを台無しにするのも忍びない。
 なにか……楽しそうなことを

「あっ!」
「どうかしましたか?」
「射的がありますよ!」
「それで名前さんは?」
「あのぬいぐるみ、取って欲しいです」

 一等に輝くのは、夏らしくイルカのぬいぐるみである。無類の海洋物好きとしては取っておきたい代物だ。

「昴さんなら出来るでしょう?」
「……今日は特別ですよ」

 これを持っていてください
 沖矢は言いつつ名前に小さな紙袋を渡した。すんなり願いを聞いた沖矢に呆気に取られる名前を置いて、スタスタと的屋に向かうとおじさんに「一回」とお金を出す。

「はいよ兄ちゃん!」
「あれ、ですよね?」
「はい!あの青の」

 スッと沖矢が息を吸った。ピンと空気が張り詰める。

「……あっ」

 ポン
 命中して間抜けな音を出したイルカはしかし、落ちる気配もない。

「まぁ……そんなもんですよ。お祭りの屋台なんて」
「……腕が鳴りますね」
「え?」

 腕まくりをする沖矢に「ちょっと」慌てて止めるが嫌なスイッチを押してしまったらしい。
 結局

「なんとか取れましたね」
「なんであんなモノに真剣になるんですか……」
「狙った獲物は逃さない質なんです」
「はぁ」

 両手にいっぱい景品を抱え、向かうは土手の方である。

「でもこんなに時間を食ったんじゃあ、土手では見れませんよ」
「そうですね。しかしお互い私服です。ちょっと、人がいなさそうな場所まで歩きませんか」

 そういうと沖矢はさりげなく名前の手から景品を奪い、それらを抱えてズンズン先へ進んでいった。
 荷物を持ってくれるということは、それなりに距離があるのだろうか?

「どこに……?」
「こっちです」

 進む足に迷いはない。最近は”暇な大学院生”らしくランニングに励んでいたが、もしかしてこのためだったのではと思うぐらいのスムーズさである。実際本当にランニングをしようものなら変装もはげかねないと思うと、その可能性も否定できない。
 そうして連れられてきたのは、少し周りより高くなっている御社だった。

「よく見つけましたね」
「この街を一望できる場所を探していたのですが……それを見つける代わりに、花火大会に良い場所を見つけまして」
「たしかに、人はこなさそうですもんね」

 寂れた御社の周りには木が鬱蒼と生茂り虫も飛んでいて、少なくとも、花火大会の半数を占める若者が嫌いそうな場所だ。そして沖矢の見立ては間違いなく、ここからでも十分に花火が見ることが出来るだろう。

「それじゃあ」

 言いつつ沖矢が携帯していた小さな紙袋から出したのは

「蚊取り線香……」
「情緒のかけらもありませんが」
「昴さんのそういうところ嫌いじゃないですよ」

 用意がいいのはいいことです。
 そう繋げると、沖矢は小さく笑って蚊取り線香に火をつけた。それと同時

「あっ……!」

 パッと手元が照らされる。ドンドン!と胸に重低音が響き、2人はつられるように顔をあげた。

「綺麗ですね」
「本当に」

 色とりどりの大輪が真っ暗な空に咲く。枯れるように散って真っ暗になっても、その寂しさを超える大きな花が咲き、小さな柄が描かれ、心を明るくしていく。

「……最近」
「はい?」

 花火の音に紛れる沖矢の声に耳を済ませる。

「最近、名前さんの元気がなかったので」
「そんなこと」
「気付いていないうちに、疲れてしまうことはよくあります」

 ポン、と頭に手が置かれる。振り返ると、沖矢があの細い目をさらに細めて笑っていた。

「少し元気が出たようでよかったです」
「……ありがとうございます」
「明るくて元気なあなたが一番ですよ」

 またドンと大きく音を立て、立派な玉が打ち上がる。頑張ろう、小さく呟くと「無理は禁物ですよ」と沖矢が優しく撫でてくれた。




【明るいあなたが一番です】 ─ 終 ─
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