また来年


「ねえねえハチ!」

 夏休みを目前に、宿題がどうだテストがどうだったと教室は喧騒に包まれている。その声に負けないように、名前は息を大きく吸うと向かいに座る竹谷の眼前にポスターを押し出した。

「花火大会行きたい!」
「いいな! 俺も行きたいと思ってたんだ!」

 カラッと笑うこの男に駆け引きはいらない。付き合ってもう半年、遠回しに伝えるより真正面からぶつける方が、美味しい思いができることを流石の名前も学んだ。現に

「俺、浴衣着ようかな」
「えっめっちゃ本気じゃん」
「そりゃあな。だって名前も浴衣着るだろ?」
「んーまあ決めてなかったけど……見たい?」
「見たい」

 言ってから恥ずかしそうに頬を掻く竹谷に笑う。そういうところが好きだ。

「じゃあ、また連絡するから」
「おう!」

 またね!と名前は自分の教室に戻る。
 高校1年生にしてやっと得た恋人という位置。だというのにクラスが離れた時は悲しかったが、いざ年度が始まってみればお互いの授業を待ったりお弁当を屋上で食べたり、なんだかんだ楽しみも多い。今日もHRさえ終われば一緒に帰れる。

「どんな浴衣にしよう……」

 冷房が全く効いていない教室の中、名前はにやけを抑えられないまま頭を悩ませた。



 まずいまずい!
 名前が焦っても、行列は二進も三進も進まない。花火大会の人気を侮っていたのが間違いだったのだろう。約束の時間はもう目前に迫っているというのに、改札の前から右にも左にも動けないでいた。

「名前!」

 はっと振り返る。

「こっち!」

 よく目を凝らすと、垣根の前で竹谷が大きく手を振っていた。

「そこまでも行けないの!」
「え? なんだ?」

 この人だかりでは声も届かない。困り果てた名前はなんとか携帯を取り出すと、一言「動けない」と竹谷にメッセージを送る。
 気づいてくれると良いんだけど
 賑わうこの中で、携帯の着信に気付くかも怪しいとひとりごつ。しかし

「大丈夫か?」
「え!? いつの間に!?」
「いや、浴衣じゃ動き辛いだろうと思って」
「ハチにしては気が利いてる……」
「なんだよその言い方は!」

 拗ねた竹谷の肩をごめんごめんと叩いた。一瞬むすっとした顔をした竹谷はしかし、名前を見るとくしゃっと相好を崩す。お祭りで浮かれ気分なのは、何も名前だけではないらしい。

「そういえば浴衣、結局買ったんだな」
「うん。お母さんの浴衣、虫に喰われてて」

 浴衣が欲しいと言い出した娘に「あら、私のがあるわよ」とわざわざ引っ張り出してくれたのだが。天日干しをしてみたら大きな穴が見つかり、慌ててデパートまで買いに行くはめになった。
 写真を見せれば竹谷も可愛いというから、それに決めていたのに。

「青だと涼しげに見えるな」
「似合ってる?」
「……うん、似合ってる」

 無骨な手でポリポリと頬を掻く竹谷の顔は真っ赤だ。こんなことぐらいで顔を赤くされては、見てるこっちまで恥ずかしくなってしまう。
 名前は振り切るように「ハチも!」と声を張り上げた。

「その浴衣、よく似合ってる」
「ああこれ、実は兵助からもらってさ」
「久々知から?」
「うん。なんか、もっと豆腐らしい浴衣を見つけたとかで」

 豆腐らしい?
 呟いた名前に「いや俺も分からないけど」と首を傾げるのだから笑える。幼なじみの竹谷でさえそう言うなら、名前に久々知の真意が分かるはずもない。
 豆腐小僧であることを除いても、久々知はかなり変わっている。

「しかし、本当にすごい人だなぁ」
「本当だね。これじゃ迷子になりそう。
「確かにな。手でも繋いでおくか」

 ギョッとして名前が竹谷を振り返ると「……なんだその目は」不満そうだが驚くのは当然である。竹谷が、良い人ではあるが決して女心に聡いとは言えないあの竹谷が、このような行動をするなんて。

「明日は槍でも降るんじゃないの?」
「失礼な!」

 しかしそう言って奪うように握られた手は熱い。
 ハチも緊張しているんだなぁ
 そう思えばおかしいやら可愛いやら、名前もギュッと握り返した。



「しかしあれだな」
「なぁに?」
「花火大会のそばに屋台を置かれると、こう……」

 花火が打ち上がるまでには大分時間があるから、と散策し始めたが最後、名前の手には綿菓子やら焼きそばやら、竹谷の手にもヨーヨーやら金魚やら大量の戦利品が握られていた。

「お祭りならちょうど良いところで帰るんだけどね」
「時間があるとつい、な」

 買いすぎたかと後悔してももう遅い。これ以上買わないように、2人は事前に取っておいた場所まで戻った。

「こんなレジャーシート、家族連れが敷いてるぐらいだよ。カップルじゃあんまり使ってる人いないんじゃない?」
「でもこの方がのんびり見られるだろ」
「それはそうだけど」

 こうスマートになりきれないのも竹谷らしさかと、名前は内心納得して手元の食べ物を見る。
 綿菓子を食べ終わった次は、この溶けかけたかき氷を。人混みに揉まれ上がった体温に、冷えたかき氷は染み渡って気持ちがいい。

「ハチもいる?」
「何味?」
「ブルーハワイ」
「俺が子供の頃好きだったやつだ」
「じゃあはい」

 名前はストローにかき氷を乗せて、竹谷の方に差し出した。

「……え?」
「え、あ」

 瞬時に耳まで赤くなるのを感じた。無意識にあーんをしようとするなんて、いくらなんでも浮かれすぎている。
 竹谷を見ればそっちも首筋まで赤くしているから、恥ずかしさもひとしおだ。「ど、どうぞ」と名前がかき氷を渡すと、竹谷も竹谷でぎこちなくそれを受け取った。

「……お、おいしい?」
「う、うん」

 恥ずかしさから沈黙が訪れ、2人が俯いたその時

「っうわぁ……」

 ドン!と大きな音を立てて、一発目が空に上がった。

「綺麗……」
「本当に綺麗だな」

 赤、青、緑、黄色、様々な色をした花火が変わるがわる打ち上げられる。丸が現れたと思えば、大きな花が咲き、時折可愛らしいキャラクターも打ち上がり、黒い空に次々と描かれていく。

「素敵だね」
「そうだな」

 ふと竹谷の視線を感じて顔を下げる。

「どうしたの?」
「来年も」
「うん?」
「来年も、また一緒に来ような」

 ドン!ドン!と続け様に打ち上げられた花火が竹谷を照らした。その花火よりも明るい笑顔に、ぎゅっと胸の奥が締めつけられる。

「うん、そうしようね」




【また来年】 ─ 終 ─