踊らせてやろう


「たーちばーなせんぱーい!」

 名前が思い切り作法室の障子を開けると、部屋の奥に座っていた立花が顔をしかめるのが見えた。

「もう少し静かにできんのか」
「できません! ちょっとビッグニュースがありまして!」
「自信満々にできないと言い切るな。……で、なんだ」
「町に、新しい小物屋ができたそうなんです。白粉なんかも良いものが多くて、実習に役立ちそうだとくノ一の先輩方のお墨付きですよ!」
「ああ、そのことなら今朝鉢屋に聞いた」
「なーんだ」

 名前は肩を落とした。昨晩くノ一教室で聞いてから、立花が知れば喜ぶだろうと伝えるのを密かに楽しみにしていたのに。そしてあわよくば、作法委員会と休日の約束を取り付けられたらなぁと思っていたのだが。
 鉢屋先輩め……
 名前はひとりごつ 。さすが1年の時から変装をしているだけあって、そういった情報は速い。しかしせっかく名前が意気込んで来たのに、出鼻を挫かれてしまった。くそう。

「まぁそう不満そうな顔をするな。とりあえず作法室に入れ」
「委員会中じゃないんですか?」
「その委員会中に乗り込んできたのは名前だろう。ずっと立っていられると落ち着かない」
「それじゃあ失礼します」

 気を利かせた浦風がお茶を煎れてくれるのを見ていると「で」と立花が名前の前に座った。

「それを言いに来ただけか?」
「まぁ……」
「嘘だろう。お前がそれだけのためにここまで来るとは思えない」

 さすが、6年生はなんでもお見通しらしい。

「実は町角に1つ、新しく団子屋ができたと聞いて」
「ほう」
「作法委員会のみんなと一緒に、道具を買いがてらそこに行きたいな……なんて」
「ふむ。つまりその小物屋は、それに誘う口実だったわけだな」

 名前は顔を真っ赤にして俯いた。そこまではっきり言わなくても良いのにとぶつぶつ呟いても、立花は肩を揺らして笑っているだけである。
 ぜーんぶぜんぶぜんぶ鉢屋三郎のせいだ!

「……まぁ良いんじゃないか」

 その言葉に、恐る恐る名前は顔をあげた。立花はその猫目を少し細めている。

「白粉にも興味があるしな。たまには団子をみんなで食べるのも楽しいだろう。
 次の休み、作法委員会で一緒に行くとしよう。お前も来い」
「すみませーん」
「なんだ喜八郎。泥を落としてから作法室に入れよ」
「はーい。で、そのお買い物、一緒に行かなくても良いですかぁ?その日は滝夜叉丸と、裏裏裏山で全長5メートルの穴を掘る予定なんです」
「ああ構わん。休みの日だからな。自分の予定を優先してくれ」

 すると笹山も浦風も「すみません」とおずおずと申し出た。夢前と絡繰作りをする予定が、三反田と骨折した人の介抱を予習する予定がそれぞれあるらしい。
 それいつもやってない?という名前のツッコミは、言いかけたところで綾部に泥を投げられ喉の奥に消えた。

「ごほっ……ちょっと喜八郎!」
「……喜八郎、掃除しておけよ」
「はーいすみませーん」

 反省しているんだかしてないんだか、いつもの様子に立花は黙って肩を竦めるだけだった。

「じゃあ伝七、名前、私で行こうか」
「はーい!」
「伝七もそれで良いな」
「あー! そうだった」

 わざとらしく笹山が立ち上がる。

「伝七、お前、この間のテスト86点だったろう」
「な、なんでそれを!?」
「ダッサー!80点台とか超ダッサー」
「うるさい! あれは事故で……そ、そもそも! お前は何点だったんだ!」
「ん〜? 教えてあげないけど、最初の数字は9かなぁ」
「90点台……!? ぼ、僕としたことがは組に負けるなんて……」

 ガクリと膝を落とした黒門に名前は思わず駆け寄る。「大丈夫?」と背中をさすると、涙をいっぱい溜めた目で振り返り

「すみません先輩方! 次の休みは予定ができました!」
「せいぜい勉強して僕を抜かしてみなよ」
「うるさい兵太夫!」

 とうとう机に突っ伏した黒門に、思わず立花と顔を見合わせた。

「2人になってしまいましたけど……私、次の休みじゃなくても大丈夫ですよ」

 可愛い作法委員会のみんなと行けないのは悲しい。そしてそれ以上に、立花と2人きりなんて心臓が持ちそうもない。

「いや。早いうちに一度行ってみる必要がある。
 2人で次の休みに行こう」
「は、はいっ」

 裏返った声に、立花はまた楽しそうに笑った。
 恥ずかしさのせいかはたまた緊張のせいか、心臓がとてつもなく大きな音を立てている。いたたまれなくなった名前が「ちょっと用を思い出したので!」と作法室を飛び出すと、穴から唐突に顔が現れた。

「ぎゃっ」
「もうちょっと可愛い声を出したら?」
「なんだ喜八郎か……うるさいな、余計なお世話」
「僕たちが次の休み、予定を入れたのも?」
「……やっぱりあれ、わざとだったの」

 溜息を吐くと名前は綾部の前に屈んだ。

「余計なお世話よ。別に、私は作法委員会のみんなが好きで」
「でも立花先輩のことは特別好きでしょ?」
「……なにがいいたいの」
「せっかくだから楽しんできなよ。で、え、と」

 囁かれてボンッと顔に血が昇った。

「じゃあね〜
 あっちなみに、兵太夫は90点台じゃなくて、9点」

 また穴掘りをしに奥に入っていく綾部を見ながら「アホハチロー」と名前はひとりごちた。





 緊張と興奮で冴えた体を無理やり布団に押し込め、夜をいくつも乗り越える。そうしてついに「その日」を迎えた名前は朝からソワソワと身支度を整えていた。
 少し綺麗な小袖を着て、帯を締めて、櫛を刺しと用意をしていく。今日身に着けるものは、ほとんど立花に買ってもらったか譲ってもらったものだ。色彩センスが絶望的で実習に尽く落第点をつけられる名前に同情した立花が、半ば押しつけるように名前の部屋に置いていったもの。

「……ふむ、やはり私の目に狂いはないな」

 そうして立花の前に立つと、いつも満足げに頷きを繰り返す。それを見るのが名前の密かな趣味である。

「紅は、言われた通り塗ってきませんでした」
「ああ。あんなどぎつい赤や変なオレンジでは、私のせっかくのコーディネートに合わんだろう」
「そうですかね?」
「それが分からないから、落第点ばかりつけられるんだ」

 最もだ。項垂れた名前を見て立花は小さく笑うと「行こうか」と言って歩き出した。


 名前は小物屋の店主の掌に乗ったかんざしをじっと見つめた。
 か、かわいい……!
 しかし値段がまったく可愛くない。予算をはるかにオーバーする値札から、ペチンと額を叩いて目を逸らす。
 今日は立花に紅を選んでもらうつもりだ。そのお金をとっておかなければ、また立花に買わせることになる。いくら向こうが先輩といえども、そこまで甘えるのは申し訳なかった。

「まぁ、好きな人からの贈り物って嬉しいんだけどね……」
「何をぶつぶつ言ってるんだ」

 ひぁ!と叫んで名前は飛び上がった。しかし内容までは聞かれずに済んだようで、立花は訝しげな顔をしたのち「これはどうだ」と言って手を広げた。紅が2つ乗っている。

「こっちの方が深い色をしているから、名前のその帯と合っている。だが、お前の顔にどちらが似合うかといえば……」

 立花は自然な仕草で名前の顎を掴んだ。
 え、なに!?
 そのまま寄ってくる顔に息をのむ。ち、近い近い近い!

「ふむ。その真っ赤な頬にはこっちの明るい色の方が似合うな」
「かかか、からかいましたね!?」
「何がだ?」
「そ、そのなんか、顎を掴んで」
「掴んで?」
「顔を近づけて……!」

 もうダメ!名前は顔を覆った。言葉にすると頭でさっきの映像が再生される。

「化粧をしてやるときにいつもすることだろう。何を今更」
「だけど!」

 指の隙間からチラリと立花を見やると、あのいつもの意地悪な笑みを浮かべている。ああー腹が立つ、と思うのに、カッコイイと思ってしまって結局怒れない。所詮、惚れたもん負けなのだ。
 そして涼しい顔してこんなことを誰にでもしているのかと思うと、少しだけ、ほんの少しだけ寂しくなる。

「で、どっちにする」

 名前は無言で明るい方の紅を取ると、店主に差し出した。「毎度ありぃ!」というハリのある声を聞きながら、努めて冷静に立花を振り返る。

「このあと、どうします? 御用があるなら学園に帰っても、」
「団子屋に行きたいと言っていただろう」
「でも、それはみんながいる時にでも」

 早めに見といた方がいいのは小物屋だけでしょう?
 言い募ると、立花が薄く笑う。

「そんなに私といるのは嫌か?」
「そうじゃなくて!」
「なら行こう。せっかくだ」
「せっかく……」
「ああそうだ。いつもは作法委員と一緒で、二人だけで出かけられることなどそうそう無い」

 名前はキュッと胸の合わせを掴んだ。こうしてまた、立花の思わせぶりな態度に踊らされてますます好きになる。
 いったいこの気持ち、どこに着地させたらいいの。
 名前の歩幅に合わせてゆっくり進む立花の横顔を見上げ、ばれないようにそっとため息をついた。



「お団子、美味しかったですね!」

 さっきまで悩んでいた気持ちはどこへやら、お腹も満たされすっかりご機嫌になった名前はさすがしんべヱ!と親指を立てる。

「さいっこーでした!!」
「よかったな」

 呆れたように笑った立花だったが、ふと

「……名前」
「なんです?」
「頭にまでみたらしがついてるぞ」
「えええ! ほんとですか!?」
「本当だ。まったく、落ち着きのない……」

 とってやるから目をつぶれ。
 そう言われて素直に名前は目を閉じた。近寄ってきた立花の匂いがふわりと香り、心臓が大きく跳ねる。
 ややあって

「取れたぞ」
「ありがとうございます!」

 勢いよくお辞儀をすると、シャランと柔らかい音が鳴った。
 ハッとして頭に手を当てる。

「これ、」
「よく似合っている」
「え、でも、これ、全然安くないやつ!」
「値段のことを口にするな。品がないぞ」

 と、言われても名前はパクパクと口を開け閉めすることしかできなかった。
 あの、店主が持っていた綺麗なかんざしだ。すっごく可愛いのに、値段が全然可愛くない、あの。

「あの、えと、でも、私なんにも」
「気にするな。私がしたくてしているんだからな」

 また心臓が掴まれたようにキュウッとなる。この男、それは私だけにする態度なのか、それとも他の女の人にもしているのか。
 他の女の人にかんざしを渡す立花というものを想像するだけで泣きそうになった。
 立花を誰にも渡さない。なぜか突然メラメラと闘志が湧いてきた名前は、グッと口を結び、そして大きく息を吸って

「好きです!」
「は?」

 初めて見るほど間抜けな顔をした立花に、いつもだったら大笑いするところだが、名前は目を瞑ってもう一度叫んだ。

「好きです!」
「おい、」
「好きです! 好きです! 好きです!」
「落ち着け! こんな往来で恥ずかしいだろう!」

 名前はじっと立花を見上げた。

「立花先輩は、私のこと、好きですか?」
「……どうした、急に」
「どうしたもこうしたもありません! 私ずっと、ずっと立花先輩に懸想してるのに、いっつも立花先輩、私の気持ちを揺さぶることばっかり……!」
「だから落ち着け」
「これが落ち着いてられますか! 私は意を決して話してるんですよ!」

 なんだか涙が溢れてきた。嗚咽まじりに立花を詰る。

「どうせ先輩だって私の気持ちに気づいているでしょう! 学年1優秀で冷静で、かっこいいんだからぁ! なのに、なのにそうやって」
「わ、悪かった悪かった」

 珍しく動揺した調子の声が聞こえてきて、少しだけ話を聞くモードに切り替わる。

「確かに、お前の気持ちを知っていてこういう態度をとっていた。すまない」
「ほらぁ!」
「だがな、それは名前にも責任がある」
「はい!?」
「お前はからかいがいがある。そしてその反応が可愛い。好きな子の可愛い反応を楽しんで何が悪い」
「は、はぁ!?」

 今度は名前が動揺する番だった。いつの間にか涙は引っ込み、その代わりハテナが頭の中で踊る。
 いや、え、それって

「た、立花先輩も私のことが好き、ってことで、お間違い無いですか!?」
「そうだが? まさか気づいていないとは思わなかったが」

 くのいち向いてないんじゃないか? と、散々こっちを揺さぶっておきながらいけしゃあしゃあと言い放つ男に、段々と腹が立ってくる。
 こんの、

「立花先輩のイジワルー!」

 でも大好きー! と叫んで立花の胸に飛び込むと、頭上で立花が大きく息を吐いた。

「明日は学園中の噂の的だな」
「今更ですよ」

 こりゃ踊らせすぎたな、と呟いた立花に「どういう意味ですか?」と名前が顔を上げる。

「なんでもない」

 はぐらかした立花の顔は、どこか呆れているようにも見えたが信じられないほど甘く、恥ずかしくなった名前はそっと立花の胸に顔を埋めた。




【てのひらの上で、踊らせてやろう】 ─ 終 ─
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