「君に文が届いていたよ」
桜の木の枝に蕾がつき始めた頃、この本丸の初期刀でもあり、近侍の蜂須賀虎徹は政府からの通知を片手に執務室の襖を開けた。室内にいた審神者は政府から支給された仕事用のパソコンから顔を上げ、蜂須賀へと向き直る。
「ありがとう」
「そろそろ休んだらどうだい?」
「この書類を確認し終わったらそうするよ」
そんな会話をしながら蜂須賀は通知の紙を審神者へ手渡し、戦果などをまとめることに忙しい審神者へ茶でも淹れて持ってこようと静かに部屋を出た。しばらくて審神者と自分の分の湯飲みをのせた盆を持ち、蜂須賀は再び審神者の元へ戻る。すると審神者は蜂須賀が先ほど手渡した紙を眉間にしわを寄せながら深刻そうに見つめていた。
「どうしたんだい?何かよくないことでも?」
「いや、まだそう決まったわけじゃないんだけど……」
歯切れの悪い審神者に、蜂須賀は首を傾げながら湯飲みを差し出す。その湯飲みを受け取り、一口茶をすすった後、やっと審神者の表情が緩んだ。
「燭台切光忠を譲り受ける申請を出しただろう?そのことなんだ」
「断られてしまったのかい?」
「譲り受けることになった」
「それはよかった!」
実はこの本丸には未だに燭台切光忠がいない。それほど珍しい刀ではないはずだが、いくら鍛刀しようとも、いくら出陣しようとも、燭台切光忠が顕現されることはなかった。
世間で伊達組と呼ばれる内の大倶利伽羅は初期に顕現され、珍しいと言われる鶴丸国永ですら比較的早い時期に顕現された。その頃はまだ太鼓鐘貞宗は実装されておらず、倶利伽羅や鶴丸が演練で燭台切光忠を目で追ったり、本丸で酒を飲み交わしながら話をする程度だった。しかし太鼓鐘が実装され、本丸に燭台切光忠よりも早く太鼓鐘が顕現されてからというもの、伊達組からの威圧感は日に日に増していく。
けれど一向に燭台切光忠は顕現されず、悩みに悩んだらしい審神者から蜂須賀はどこかの本丸から刀剣を譲り受けることのできる政府のシステムを利用することを相談された。絶対に譲り受けられるわけではないが申請だけはしたいということを聞き、蜂須賀も少し悩んだもののそれを了承した。それから本丸の刀剣たちにも譲り受ける申し込みをしたと伝えたが反対されることはなく、むしろ喜ばれ、歓迎された。
それなのになぜ審神者は浮かない顔をしているのだろう。蜂須賀は首を傾げ、審神者から許可をもらい政府からの通知に目を通した。
「……ブラック本丸」
そこには刀剣を不当に痛めつける審神者の本丸、通称ブラック本丸で隆起された旨が書かれていた。今回譲渡される燭台切光忠は、ブラック本丸の生き残りであるらしく、なんでもいくつか問題を抱えているらしい。だがその問題というのは具体的に明記されていない。
「譲り受けるべきか?いくら燭台切光忠が顕現されないからと言って、問題を抱えている刀剣を譲り受けることを簡単に決めることはできない」
通知を読み終えた蜂須賀は、先程の審神者と同じように眉間にしわを寄せた。しかしすぐに穏やかなに審神者へ問いかける。
「君はどうしたいんだい?僕も問題のある刀剣を扱うことはとても難しいことだと思う。ただでさえ一癖も二癖もある刀剣たちだ」
「……俺は、俺は腹が立つんだ。ブラック本丸は許されない。そこの審神者がどうなったかわからないけど、ひたすら腹が立って頭にくる。傲慢かもしれないけど、俺と同じ人間に虐げられた燭台切光忠が苦しんでるっていうなら、どうにかしてやりたい……」
「そうか……なら、僕は君に協力するよ。きっとこの本丸のみんなもそうさ」
そう言って蜂須賀は笑い、審神者もつられて小さく笑った。
・・・
政府職員に連れられてきた燭台切光忠は冷たく笑っていた。口元は微笑んでいるが目が笑っていない、とても冷たい笑みだった。
「よろしくね」
倶利伽羅と鶴丸は思わず一瞬顔を見合わせた。審神者も目を見開き、ぽかんと口を開けている。さらには小さな声で「え……」と抑えきれなかった声を漏らしていた。
燭台切光忠は一見、他の燭台切と変わらぬ姿のようだったが、左腕があったであろうスーツの左袖はペラペラと風に揺れていた。
それだけではない。特に目を引かれたのは、燭台切光忠が右腕で抱え上げている大倶利伽羅だった。しかも大倶利伽羅は大倶利伽羅でも、普通の大倶利伽羅ではない。
肩よりも長い髪、胸の膨らみ、短パンからのびるしなやかな足、黒い革製のショートブーツ。一目で女体とわかる大倶利伽羅を、片腕の燭台切光忠が器用に片腕で抱いている。女体の大倶利伽羅は、燭台切光忠の肩にもたれ掛かり、すやすやと穏やかに眠っていた。
「それでは、これより刀剣男士燭台切光忠と亜種大倶利伽羅の譲渡手続きを行います」
燭台切光忠と共に本丸を訪れた政府職員が淡々とそう告げ、余りの驚きに硬直していた審神者や鶴丸、倶利伽羅はようやく金縛りが解けたように動き出した。
どうにか「よろしくお願いいたします」と一度お辞儀をしたものの審神者は燭台切光忠と職員を交互に困惑したまま見る。倶利伽羅と鶴丸も同じく燭台切光忠を困惑したように凝視していた。
「説明はこれからいたしますので、とりあえず中へ案内して頂けますか?」
表情一つ変えずに職員がそう言うと、ぎこちなく審神者は頷き、本丸の中へと案内する。応接間に職員と燭台切光忠、そして大倶利伽羅を通し、鶴丸と倶利伽羅を控えさせ、職員と燭台切光忠とは机を挟んで向かい合うように審神者は座った。
燭台切光忠は大倶利伽羅を抱えたまま器用に用意された座布団の上へと座り、抱えていた女体の大倶利伽羅も自らの膝の上に乗せた。職員は慣れているのか、それとも感情がないのか、気にした様子もなく書類を確認している。審神者や鶴丸たちは不躾とは思いつつも、片腕で女体の大倶利伽羅を抱く燭台切光忠を見ずにはいられなかった。
「こちらの書類に目を通し、審神者名でかまいませんのでご署名をお願いいたします」
職員は数枚の紙を審神者へ差し出した。審神者はそれを受け取ったが、燭台切光忠と大俱利伽羅が気になりまたちらりとそちらへ視線を向ける。燭台切光忠は全てに無関心な様子でぼんやりとしていた。
「……あの、その前に……説明してもらえませんか?その、いろいろと……」
「そうですね」
職員は再び鞄から紙の束を取り出し、審神者へ手渡した。その表紙には本丸調査報告書と書かれている。
「え、これ……」
「それにはこちらの燭台切光忠と大倶利伽羅について、あなたの知りたいことが書かれていると思います。私が口で説明するよりも、わかりやすいかと」
「そうですか」
審神者がその調査書を捲ろうと手をかけたとき、
「ですが」
制止するように職員が声を発した。
「出来事がありのままが書いてあります。気分が悪くなることもあるかと思いますので注意してください」
「は……」
そんなに内容は凄惨なものなのかと、審神者の手が止まる。職員はあい変わらず無表情にも見える真顔のままだ。
「今は私が簡単に口で説明しましょうか?そちらの調査書は差し上げますのでのちほどゆっくり読んでください」
「……お願いします」
「はい」
職員の話はそれはもう、聞き飽きたと言うくらいよくあるブラック本丸の話だった。レアを求める余り、他の刀剣たちを蔑ろにする審神者。暴言は暴力へと変わり、傷は絶えず、手入れすらままならない。穢れはたまり、日に日に衰弱していく刀剣たち。一本と折れてしまえば、また一本と折れていく。残ったのは消えたいけれども生きたい刀剣達だが、希望は見えない。そんなある日、女体の大倶利伽羅が顕現された。審神者は大喜びし、刀剣達への暴力はなくなった。しかし、手入れがされることはなく、出陣もなくなり、刀剣達は脱け殻のように毎日を過ごす。
燭台切光忠は、戦闘によって左腕を失っていたががそれでも脱け殻になってしまった仲間たちを励まし続けた。女体とは言え、大倶利伽羅が来てくれた。共に生き抜いてきた仲間もいる。まだ、生きたい。そんな思いで、毎日毎日、仲間達を支え、たまに会える女体の大倶利伽羅と短いながらも会話をした。
一方、女体の大倶利伽羅は審神者に囲われていた。自由に過ごせるのは審神者が眠っているか外出している間だけ。そのことを燭台切光忠も、仲間達も知っていた。しかし珍しい刀が好きな審神者のことだ、傍に置きたいのだろう、その程度にしか考えていなかった。だが、女体の大倶利伽羅は日に日に弱っていく。ぼんやりしている時間が増え、燭台切光忠は不思議に思った。
そうして、燭台切光忠は審神者が風呂に入っている間に部屋に忍び込むことを決意し、実行した。忍び込むことは成功した。部屋には女体の大倶利伽羅がいるだろうと思っていた。事実、女体の大倶利伽羅はいた。全裸で、様々な液体で体を汚し、身体中に痣をつけ、虚ろな表情をした姿で。燭台切光忠は、初めて女体の大倶利伽羅が性的暴力を受けていることを知った。女体の大倶利伽羅が審神者の暴力を受けとめていたから、自分や他の仲間も無事だったことを知ってしまった。
そうして燭台切光忠は堕ちた。穢れを纏い、審神者を呪った。呪われた審神者は発狂し今も政府の施設にいるという。
「……え、なん、え……?」
職員の話に一切口を挟まなかった審神者は、つい言葉を発した。冷や汗をかきながら職員の隣に座る燭台切光忠を見るが、自分の話だというのにまだ無関心な様子だ。
「なぜ、堕ちたはずの燭台切光忠がここにいるのか?なぜ、穢れを纏っていないのか?ですね」
「……はい」
審神者は淡々と話す職員の言葉に頷きながら、背後に控える鶴丸と倶利伽羅の怒気を感じていた。当人である燭台切光忠は無関心で涼しい顔をしている。女体の大倶利伽羅は目覚める気配すらない。
「燭台切光忠が審神者を呪ったあと、残っていた本丸の刀剣たちが御祓をしたのです」
ご神刀と呼ばれる刀剣はいなかったが、まだ動ける刀剣が何振りかいたお陰で燭台切光忠は完全に堕ちることはなかった。共に生き抜いた仲間の呼びかけに燭台切光忠が正気を取り戻したこともあり、刀解も破壊もされずにまだ存在している。
しかし政府が介入し、禊と手入れをほどこしても左腕が戻ることはなく、それは呪いのようだと、政府所属の石切丸が語ったらしい。だが、どんな呪いなのか分からなければ、解呪のしようもない。奇跡でも起こらなければ元には戻らないと言う。
「……そうなのですか。わかりました」
「そして女体の大倶利伽羅なのですが、眠り続けています」
「……え?」
「政府が本丸調査を行った時点で既に眠りについていました。そして今までずっと眠り続けています」
職員の話に審神者は目を見開いた。鶴丸と倶利伽羅も驚いたのだろう、小さく息を飲む音がした。
「倶利ちゃんは疲れちゃったんだよ」
ずっと黙って冷たく微笑んでいた燭台切光忠が不意に口を開いた。
「大丈夫、倶利ちゃんは僕が面倒見るからね」
その言葉には暗に女体の大倶利伽羅に触れるなよ、と含まれているようだった。