白い光に満たされた世界を漂う。
ふわりふわりと牡丹雪が舞い落ちる幻想的な風景は、呆れるくらいにとても綺麗なものだった。

これは夢だ。

そう気づくのに然程時間はかからなかった。
やがて、光と雪をかき分けるように景色が動き、とある邸宅の庭に行き着く。

どこだろうとは野暮な問いだ。
考えるまでもなく、苗字邸における私の私室前である。


瞬いた刹那、私は襖がきっちりと閉ざされた部屋の中にいた。


敷かれた布団の中で魘されながら荒く呼吸をしている少女は、齢十歳ほどの私だった。
そういえばこの頃の私は精神的に不安定で、それ故かよく床に臥せていたものだと、唐突に思い出す。

そんな私の傍らには、まだ少年と言える年頃の杏寿郎さんが、ひどく不安げな表情で私を見つめていた。
時折、布団越しに私の身体を撫でながら、呼びかけるように私の名を口にする。この音のない世界では、その声が響くことはなかったけれど。


やがて、悪夢から覚めたのだろう、額に汗を滲ませてゆっくりと目を開けた幼き私は、杏寿郎さんが視界に映るやわっと泣き喚いた。
そんな私を厭うことなく、杏寿郎さんは私の上体を丁重に起こすとそのまま流れるような仕草で抱きしめた。

杏寿郎さんの腕の中で私は何かを叫んでいる。
ああ、杏寿郎さんの前で大声を出したのは初めてじゃなかったんだな、と、夢の中でやけに冷静に考えた。

この時私は、杏寿郎さんに何を言ったのだったか。

杏寿郎さんは、根気強く私の背中を撫でながら、何かを私に言い聞かせた。
それが響いたのか、はっとした私はおずと杏寿郎さんを見上げる。はらりと零れ落ちた大粒の雫を、杏寿郎さんは指先で優しく拭うと、慈しむように微笑んだ。
そして、再び何かを告げた杏寿郎さんに、幼い私の頬は薔薇色に上気した。


そうだ、私は、この時初めて―――。




***




懐かしい夢を見た。
とても大切な記憶だったはずなのに、肝心な部分が思い出せないばかりに、随分と不完全な夢だった。


ずきずきと痛む頭を押さえながら身を起こし、着替えをしてから身だしなみを整えようと鏡台の前に座る。刹那、絶句した。


「目、真っ赤……」


これはひどい。
彼から逃げるように帰宅したあの後、誰とも顔を合わせないうちに部屋に閉じ籠り、隊服を脱ぎ散らかしてははしたなくも襦袢姿で敷かれていた布団に身を投じた。帰ったらすぐに休めるようにと女中さんが気を利かせてくれたのだろう。
その瞬間、もうだめだった。家に入る瞬間だけはなんとか堪えていた涙が滝のように溢れ出し、次第に泣き疲れて今に至る…という訳である。
早朝に帰宅し、今は凡そ昼過ぎといったところか。

あの人に対する怒りや悲しみ、やるせなさは眠ったことで随分と落ち着いたものの、虚無感だけはそのまま残り、ぽっかりと私の心に穴を開けていた。


「お嬢様、お目覚めですか?」
「ええ、起きてるわ」


障子越しに掛けられた声に平静を装って返事をする。
食事を用意するか聞かれたが、断ってしまった。食事をする気には到底なれそうもない。

代わりに冷やすものを持ってきてほしいと頼めば、迅速に用意される。
受け取る際はさすがに女中さんと顔を合わせねばならず、腫れあがった酷い目に危うく悲鳴を上げられかけたのを慌てて制したのは余談だ。
彼女の物言いたげな顔つきに自分は大丈夫だからと宥め、周りへの口止めをしつつ、自分の持ち場に戻るよう言いつけた。




「姉上!ただ今帰りました!」


結局、目元を冷やすことにほとんどの時間を費やしてしまい、漸く腫れが引いた頃には学校へ行っていた弟が返ってくる時分となっていた。
それまでの間に一度父が部屋を訪ねてきて、鬼殺隊への潜入は取りやめとすることを一方的に聞かされた。あの後、私を追いかけてきたW婚約者殿Wから抗議を受けたらしい。
そこまでして私を組織に関わらせたくないのか。全く、諸々の感情を通り越して笑えてきてしまう。


「お帰りなさい和彦。昨日の朝餉ぶりね」
「はい!初任務はいかがでしたか?俺もいずれは苗字家の長男として任務に同行する身ですのでお話を伺えたらと……あっ」


昨日はあまり話す時間が持てなかったからか、尻尾を振る子犬のごとく嬉しげに饒舌になる弟に思わずほっこりしていたものの、思い出したかのように上がった声に首を傾げる。


「すみません、姉上と昨日ぶりにお会いできたのがうれしくて……客人がいらしていることをお伝えするのを忘れてしまっておりました」
「客人……?」


まさか、昨日の今日で杏寿郎さんだろうか。最近の来客とは大体が彼であったが故に思わず身を固くしてしまう。
だがしかし、少し冷静になってみると、杏寿郎さんだったら弟はこんなにも穏やかではないだろうとすぐに気づいた。弟のわかりやすさはこういう時とても助かる。次期当主としてはよろしくはないが、家族としては素直で可愛らしい一面なのだ。
そんなことを考えているとは露知らず、弟は少しだけ名残惜しそうに眉を下げながら続きを話した。


「はい。女学校時代のご学友です」


告げられた名前は、女学校時代に仲の良かった友人だった。今でも時折手紙のやり取りをする彼女であるが、今日来訪することは聞いていない。何かあったのだろうか。
「座敷でお待ちになられてますから、行って差し上げてください」と続ける弟に感謝を伝えると、夕餉は一緒に食べましょうと頭を撫でてから部屋を後にする。ぱあっと表情を明るくした弟が元気よく返事をし頷いたのが見なくても分かった。やっぱり殿方は何を考えるか分からない人よりも、素直で分かりやすい人に限る。誰と比較しているとは言わないけれど。




「名前さん!お久しぶりですわね、突然訪問してしまって申し訳ありません。近くまで来たのでお茶菓子のお裾分けにと少し寄らせていただきましたの」


そう淑やかに微笑む友人は特に変化があった訳でもなく、本当にただ友好的な意味合いで我が家に寄ってくれたらしかった。
私の通っていた女学校は社交界での交友を広めるために入学する上流階級の子女が多く、穏やかかつ優美に見えるその水面下では、いかに自分の立ち位置を高い場所へ持っていけるか常に腹の探り合いだった。そんな中でも彼女のように心を許せる友人が出来たことは本当に幸運だったに違いない。


旧友との穏やかなお茶会を象徴するかのように、透き通った緑色のお茶が湯呑みから仄かに湯気を立てる。私たちの間に置かれたお茶菓子は彼女が持ってきてくれた琥珀糖で、宝石のように煌びやかなその色合いは見ているだけでうっとりとしてしまう。


「本当に綺麗なお菓子ですね」
「帝都で今話題の菓子屋で購入しましたのよ。美しいお菓子がたくさんあって目移りしてしまいました。名前さんへの贈り物は金平糖と迷ったのですけれど、そちらはご婚約者様から贈られた方が良いと思いまして」


唐突に出てきた”婚約者”の単語に思わず笑顔が引き攣る。今の私は相当過敏になっているらしい。
何とか平静を装い、確かに最近あの人から贈られた金平糖を思い返しつつ、「金平糖が贈られると何かあるんですか?」と軽い気持ちで尋ねた。
すると、友人は信じられないとばかりに目をぱちくりと瞬かせる。


「まあ!御存じありませんの?殿方から贈られる金平糖には《永遠の愛》という素敵な意味が込められているのですよ」


憧憬の色が滲んだ瞳をきらきらとさせる彼女とは対照的に、凍り付いたように固まった私。
思い返すは、先日、今日は時間があまりないからと手短に渡された、愛らしい陶器に入れられた色とりどりの金平糖。


『これで少しは俺の想いが伝わると良いのだが!』


脳内であの人の声が反響する。いや、まさか、そんな。
一に鍛錬、二に鍛錬、三四に鍛錬、五に鍛錬の彼だ。菓子を贈る意味など、そんな粋な知識を持ち合わせているはずがない。と、ひどい偏見混じりな思考で危うく昇りかけた熱を逃がす。
そもそも、彼が私にそんなことを思うはずがないだろう。私にこれっぽっちも妻としての期待をしていない、あの男が。思い出したら腹が立ってきた。

そんな私の心情は、分かりやすく顔に出ていたらしい。


「名前さん、ご婚約者様と何かありました……?」


もしや地雷を踏んでしまったかとばかりに困惑する友人に、はっと我に返った。
慌てて取り繕おうとしたものの、ちょっと待てよと心中の私が制止をかける。
破談話は正式になるまで公にするなと父に言いつけられていたため、この話を外部にしたことは無論なかった。が、なぜ強制されねばならないのか。私の話はほとんど聞いてくれないくせに。
と、この時、あの人への怒りが父に飛び火した。

私だって友人に相談くらいしたい。前世でももっとそうするべきだったのだ。もっと友人や家族を信頼していたら、あそこまで精神が疲れ果てることはなかったのではないだろうか、と後の祭りだからこそそう思うのかもしれない《今更》を考えてしまう。


「実は……」


友人の心配そうな瞳に視線を合わせると、意を決してこれまでの経緯を話す。
さすがに婚約者を亡くした未来からやってきたことまでは話せなかったけれど、いろいろ考えて破談にしたいこと、それがなかなか上手くいかないこと、そして今朝あの人とあった一件。それも鬼殺隊云々を知らない彼女には随分と暈した表現になってしまったが、
彼女は一度だけたまたま顔を合わせたことがある彼と私との関係を、いつも温かく見守ってくれていた。それだけに自分勝手に婚約を破棄したいという話は心苦しくあったものの、それでも彼女は最後まで真摯に聞いてくれた。


「そんなことになっていましたのね……」


一通り話した頃、彼女は沈痛な面持ちでそう言った。


「もっと早く相談に乗って差し上げればよかったわ。気づかずにいてごめんなさい」
「いいえとんでもない!父には話すなと言われていましたから、今日聞いていただけたのは助かりました」


やっぱり話してよかったと、幾分気持ちが軽くなった気がする胸元へと手を添えながら微笑みかける。今日初めてきちんと笑えた気がした。
友人もそう言ってもらえて嬉しいとにっこりする。やはり、持つべきものは友人なのだと、やり直しの人生で今更痛感した。


「でも、恐らくご婚約者様は……」
「え?」
「いえ、憶測を語るのは止しましょう。ねえ名前さん、わたくしに良い考えがありますの」


最初の恐らく独り言は上手く聞き取れずに首を傾げたものの、彼女も彼女で考えを破棄したらしい。おもむろにまるで悪戯っ子のような瞳で私を見つめると、私たち以外誰もいないこの空間で更に内緒話をするかのように、顔を近づけた。

そして私は、彼女の口から飛び出した突飛とも呼べる提案に、分かりやすく瞠目することとなる。




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