生きている限り、《試練》というものとは切っても切れない縁で結ばれている。
それは、人として生を受けたのであれば尚更のこと。それと向き合うことが今後生きていく上での糧となるならば、例え多少血を見るとしても臨んでみせよう。
だがしかし。
人に課せられる試練とは、いつだって不平等極まりないものなのである。
本人の努力や才能で乗り越えられるもの、単なる運で乗り越えられてしまったもの、ごり押しで乗り越えたことにしたもの、どう足掻いても乗り越えられないもの、そもそも乗り越えることが前提ではないもの。それらが平等に振り分けられることはなく、ある日突然立ち塞がる。
前者はいいだろう、世の中終わり良ければ総て良しなのである。そうして残した結果は大きな自信に繋がり、先の人生により良い彩りをもたらせてくれるのだろう。
問題は後者だ。乗り越えられなかった試練は後の人生でほぼ永久的に引きずるのだろう。自ら望んでその試練にぶつかった訳ではないというのに。
なんたる理不尽。不平等極まりない。人生なんてろくなものじゃない。
それでも、生きていくしかないのだ。どんな困難に見舞われようとも、立ち向かっていかなければなるまい。そう、そうだ。気合を入れなければ。そもそも、私はまだ負けた訳ではない。これから新たな戦略を練って、そして―――……
「さっきから何をぶつぶつ言っているんだ?」
「ひゃあっ!?」
茶屋の一席で注文した大量の団子やら羊羹やらを次々に口へ放り込む婚約者(破談所望中)の隣で、一方全く減っていない練り切りの小皿を手に考え事に徹していた私。没頭するあまりどうやら頭の中のそれが口に出ていたらしい上、ぼけっとしている間に顔を覗き込まれるほどの距離の近さを許してしまっていたというなんとも不甲斐ない事実を物語っていた。
更にはその無遠慮な距離感に驚愕した私が思い切り後ろに倒れそうになり、すかさず背中と手元を支えた杏寿郎さんによって練り切り諸共無傷のまま事なきを得たというおまけつきだ。そう、それが今の悲鳴の真相である。
「あ、ありがとうございます…」
「うむ、だがそのそそっかしさは俺の前だけにしてくれ!」
「はあ…」
「それより、菓子が先程から全く減っていないな!好みじゃなかったか?」
またもや反応に困ることをまるで息を吐くかのように言ってくれやがった杏寿郎さんは、私の迷惑そうな顔などお構いなしに私の手元の小皿に視線を落とす。ぴかぴかと金箔が散りばめられた練り切りはこの店一番の高額商品で、確かに美しいし高級感は他のお菓子と桁違いだけれど、杏寿郎さんの言う通り正直好みではなかった。
では、なぜその”好みではない菓子”をわざわざ注文したのか。それが、今の状況を試練と銘打った所以である。
***
これは、昨日の話だ。
「殿方に嫌われる女性?」
茶屋でばったりと出くわしたこの女性、鬼殺隊炎柱であられる杏寿郎さんの継子――甘露寺蜜璃さんは私からの突飛とも言える相談に嫌な顔一つせず、きょとんと大きな瞳を瞬かせては可愛らしく小首を傾げてみせた。
ここ数日、私は頭を抱えていた。
夜会での一件以来、どうにも戦意喪失というか、前ほど杏寿郎さんに強く当たる気が起きなくなってしまったからだ。
無論、婚約破棄を諦めたのかといえばそんなことは毛頭なく、だからこそこれから先どうしようかと途方に暮れつつも、杏寿郎さんにはその場しのぎに取り繕う日々なのである。
その一方、杏寿郎さんは喧嘩前に元通り――ならまだよかったが、明らかに私への遠慮がなくなっているのがまた、頭痛を引き起こす要因となっていた。
隙あらばさも恋人同士かのごとく触れ合おうとしてくるし、以前の八割増し強引になっている。人の話なんてこれっぽっちも聞いちゃいない。そうして更には取り繕った私の笑みが崩れる瞬間を見て明らかに楽しんでいる。子供か。
一体全体どうしてこうなってしまったのか。あれか。あの夜の、その、ええと、く…口付けのせいか。いや、たぶん、恐らくそうだろう。本来は互いを想い合う男女がその愛を確かめる行為の一環とされているその一つの境界線を越えてからというものの、あの男は明らかに箍というものが外れつつある。少々口が悪いのはそれだけ私が参っている証拠なのでお許し願いたい。
平和に婚約中だった頃の、陽だまりのような笑みを浮かべながら私にあれはどうしたいこれはどうしたいと聞いてくれていた杏寿郎さんは一体どこへ行ってしまったのか。
昔から一つしか違わないとは思えないほどに彼は大人びていたというのに、今更少年時代の顔を見せてくれているようで何だか複雑だ。しかし、かと思えば、ふとした拍子に途轍もなく年上かのような色めいた表情をするのだから、いよいよ杏寿郎さんが分からない。彼は一体なんなのだろう。
何はともあれ、この状況は非常によろしくない。このままでは本当に彼に絆されてしまう。そうでなくとも、時間は刻一刻と進んでいるのだ。事実、破談を申し入れてから既に三ヶ月経過している。このまま破談が伸び続ければ、私は、また―――。
そうして焦りながら以前書いた戦略書を今一度机に広げた私は、一つ、まだ実践していない項目があったことを思い出したのだ。
それが今、甘露寺さんに相談している事案である。ご機嫌に三色団子を頬張る甘露寺さんにそれを尋ねるのは心苦しいものがあるのだけれど、どうか圧倒的経験不足な私に殿方とはなんたるかをご教示いただきたい。それにしても、さっきからすごい量を食べ続けているけれど、この細い体のどこに入っているのだろうか…という疑問は考えだすと長くなりそうなので、今は見て見ぬふりをすることとする。師弟って似るのだろうか。
「はい。世間一般的にどんな振舞いをすれば殿方の好感度を削ぐのかな、と」
「名前ちゃんって結構変わったこと考えるのね……?」
「考えてみたら私、今まで家族と煉獄家の方以外の男性とはあまり関わる機会がなかったのです。学校は女学校ですし、社交界にもほとんど顔を出さずじまいですし……ですから!隊員の多くを男性が占めている鬼殺隊で日々任務に邁進する甘露寺さんには、ぜひ!知っていることをご教示願いたいのです!」
「え?えええ?」
明らかに困っている甘露寺さんに物凄い剣幕で詰め寄る私は、本当にとんでもない迷惑女だろう。
しかし、そんな私にも甘露寺さんはどこまでもお優しい人だった。
「そうねぇ……好かれるためにはどんな女性を目指すべきか、というのは数えきれないほど考えたけれど……うーん、嫌われる振舞い……」
一度しか言葉を交わしたことのない人物の意味不明な悩み相談にここまで親身になれる人はそういないだろう。善人通り越して最早天女だ。
そんな優しいお方に、これが後に杏寿郎さんが私を見限るよう仕向けるための策になるとは万が一にも知られてはなるまい。
甘露寺さんはしばらく考え込むように唸ったのち、不意に閃いたとばかりに顔を上げた。
「浪費癖があったりすると引かれちゃうんじゃないかしら!金銭感覚が違うと長続きしないって聞いたことがあるわ!」
「なるほど、浪費…」
「あとはやっぱり、自己中心的で相手のことをきちんと考えないで行動しちゃう人…とか?嘘つきもよくないわね!」
「自己中心的…うそつき…」
言われたことを脳内に速記して刻み付ける。浪費癖があって自己中心的な嘘つき――なるほど、そんな人女の私でも願い下げだ。
杏寿郎さんもさすがに自分の婚約者にこんな一面があると知ったら、さすがに引くだろう。物心ついて間もない頃に婚約したため、刷り込みに近い感覚で私を想ってくれているのだろうけれど、所詮は紛い物、百年の恋を冷ますより遥かに簡単に違いない。
そして、ここ三日ほど杏寿郎さんは遠方へ任務に出ていてしばらく会っていなかったが、ちょうどいいことに明日帰宅したら一緒に出掛けようと誘われていた。いや、今まで何カ月も会えないのが普通だったことを考えると、たった三日をしばらくと言ってしまう辺り、私も大概毒されている。これはまずい。
話が逸れたけれどとにもかくにも、早速実践の機会に恵まれたのは幸運だ。
「ありがとうございます、甘露寺さん!とっっても参考になりました!」
「ええ?こんなのでお役に立てたなら嬉しいけれど〜……でも、あんまり考えすぎちゃだめよ?」
「はい?」
「しは…煉獄さんは今のままの名前ちゃんが大好きなんだもの、嫌われないように努力する必要なんてないんだから!」
「………あー…」
すみません、甘露寺さん。逆です。
そうして有力な情報を手に入れた私は、真っ青な顔で遠慮する甘露寺さんを笑顔で制しつつ、その場の会計を全て支払った。茶屋ではまず見ない金額を財布から出しながら、これも浪費かな、いや必要経費、いや交際費だと生まれて初めてお金とはなんたるかを考えていた。
またお茶しましょうと花が咲いたような笑みを向けてくれた甘露寺さんに二つ返事で頷いて別れた後、『近々破談になる人の弟子と親しくするのはどうなんだろう』という考えがふと頭に浮かぶ。親しくなったところできっと気まずくなってしまうだろう。そう考えると、少しだけ残念な気持ちになった。
(甘露寺さん、こんな出会い方じゃなかったらもっと仲良くなりたかったな)
――だが私はこの時まだ知らない。杏寿郎さんのしぶとさを。
彼に嫌われるということこそが”高難度の試練”であることを。
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