―――と、いうのが今の状況、すなわち”特に食べたくもない高級菓子を注文”した経緯である。

甘露寺さんには本当、付き合わせてしまって申し訳なかったと思っている。本当は殿方のことは殿方に聞くべしと最初は弟にそれとなく尋ねてみたのだ。すると、『姉上だったら例え牛刀片手に追い回されようと嫌いになりはしませんよ!』と目を爛々と輝かせながら少しずれた姉弟愛を饒舌に語ってくれたのである。別に私の話とは言っていないのに。いや、事実私の話なのだけれど。杏寿郎さんが任務に出てからというもの、弟の機嫌はすこぶる良い。


だが、しかし。だがしかし、だ。
せっかく甘露寺さんの貴重なお時間を割いてまで得た情報にもかかわらず、この男――煉獄杏寿郎さんに対しては恐ろしいほどに効果がないのである。
うそだ。誰か冗談だと言ってくださいと、今日の一連の流れを思い返しながら祈り願う。



***




まず、約束の時間に苗字邸へ迎えに来た杏寿郎さんをきっかり二時間待たせた。遅刻は自己中女への第一歩だ。…自己都合で婚約破棄を突きつけているあたり、今のままでも私は充分自己中女であるけれど、そこに関しては今は考えないでおいておく。
いつもの十倍身支度に時間をかけて何の謝罪もなしに待たせているのだから、さすがに気分を害しているに違いないと、罪悪感とおかしな期待がせめぎ合いながら、女中さんが通してくれていた座敷へ向かう。想定外な声が響いたのは、そんな時だった。


「随分腕を上げたな、和彦!感心感心!」
「き、貴様ぁ……!」


座敷に続く廊下を歩んでいた最中。不意に聞こえてきた声にまさかと思いそちらを見ると、中庭でなぜかへろへろに伸びた弟と、片や汗一つかいていない杏寿郎さんが竹刀を手に仁王立ちしていた。よく目を凝らすと、倒れた弟の遥か後ろではもう一本の竹刀が地面に垂直に突き刺さっている。その様に仰天しない者が果たしているだろうか。


「お二人とも何をなさっているのですか!」

「和彦に稽古を頼まれてな!」
「稽古じゃない、決闘だっつってんだろ!!」
「和彦が俺から一本取れたら本日出かける予定を取りやめろという条件だったんだが、見ての通り俺が勝った!」
「人の話を聞けっ!!」


…それは、なんともまあ。無茶な戦いを挑んだものだと我が弟ながら感心してしまったのは内緒だ。
嗜み程度の剣術しか持ち合わせていない苗字家の跡取り令息と、鬼狩り名門《煉獄》の姓を背負い物心つく前から剣術に携わってきた現役の炎柱。この肩書だけで勝負は目に見えているというのに、そこまでして行かせたくなかったか。その健気ないじらしさにはいよいよ泣けてきてしまう。
そう気を落とさないで、と弟を宥めるべく口を開きかけた刹那、目にも止まらぬ速さで杏寿郎さんが中庭用の草履を脱いで私の隣に立った。


「では名前、出かけるとしようか!待たせてすまなかった」


……いや、待たせたのは私なんですが。
口に出すことすら憚られる突っ込みを脳内でお見舞いしつつ、その傍らでは”先行き不安”の文字がはっきりと浮かんでいた。
そしてそんな最中、杏寿郎さんはまるで弟から私を隠すように庇い、それだけに留まらず心底嬉しげな勝ち誇った笑顔で爆弾を投下する。


「俺と出かけるため粧し込んだ名前を最初に堪能するのは当然、俺の権利だろう?」


直後。私の腕を引き、颯爽と玄関へ向かう背中に、「貴様、覚えてろよ煉獄杏寿郎ーー!!」と弟の悲痛な叫び声が突き刺さった。


そして結局、二時間も遅刻した私を杏寿郎さんはこれっぽっちも責めなかった。
きっと、待っている間の相手を弟がしてくれていたから、時間があっという間に過ぎたのだろう。そういうことにしておく。



気を取り直して、”今”に目を向けることにした。
いつものように杏寿郎さんにどこへ行きたいかと問われる前に、「呉服屋に行きたいです」「小間物屋、それから手芸用品店に行きたいです」「少し遠いのですがあそこに洋服屋ができたらしいのです」など、それはもう我儘放題要求を突きつけ、とことん彼を振り回した。曰く、女性の買い物に疲れる殿方は結構多いらしい。
任務後で疲れているでしょうにと正直心が痛んだ。が、破談になったらこんなこともなくなるので、今だけだと思って我慢していただきたいと心を鬼にする。そうして、ひたすら買い物に付き合わせた。ここまで非情になれる自分に寧ろ引いた。

しかし、ここでも誤算が発生した。
次々に行きたいところを挙げても彼は嫌な顔一つしないどころか、不思議とどこか嬉しそうにさえ見えた。その時点で嫌な予感はしていたのだ。


「君は何を着ても似合うから、着物が何枚あっても足りないな」

「ああ、この簪を名前の髪に挿したらどんなに美しいだろうと考えていた」

「手芸の類はよくわからんが、また、最終選別の時のように御守りを作ってくれないか?」

「その洋装は無論、俺の前でだけ着てくれるのだろう?」


――等々。
歯の浮くような台詞と共に甘い笑みを惜しげもなく向けてくる杏寿郎さんに眩暈を覚えたのはここだけの話だ。これを迷惑だと言う私こそが本物の罰当たりなのだろう。
しかしながら、あれには店主まで赤面していたのだから、もう本当に勘弁してもらいたい。長らく常連だったのに二度と行けなくなってしまう。

そもそも、なぜ全く引いた素振りを見せないのか、疑問で仕方がなかった。私は今日、明らかに不必要な品を買い漁っている。これを浪費と言わず何と言うのだろう。未来の妻がこれでは困るでしょうに。
しかもあろうことか、そうして発生した会計全てを杏寿郎さん自身が払おうとする始末。
杏寿郎さんのお金はすなわち、産屋敷家から出るお給金だ。元といえど産屋敷家の資産を私利私欲のため使うなど、苗字の家名を背負う者としてあってはならぬ愚行―――さあっと青褪めた私は、財布を取り出す杏寿郎さんを突き飛ばしてでも『いつも通り!苗字へご請求ください!』と店主に詰め寄って阻止した。思えば、杏寿郎さんは毎回この時だけは至極不満そうにしていた。




そうしてついに、どんなに頭を捻ってもこれ以上は買うものが思いつかない、というところまできてしまった。
もうげっそりである。結局杏寿郎さんが私に幻滅している姿は未だ確認できていないし、寧ろいつもより生き生きしている気がするのは本当に気のせいであってほしい。

ちなみに今日は明らかに買いすぎなので、使いそうもない分は苗字家が携わっている慈善事業への寄付に回すつもりだ。というか、最初からそれを見越して選んでいた。そういうことなら突然の浪費も父は許してくれるだろう。

購入した大量の品は全て請求書と共に苗字邸へ送ってもらうこととなっているため、私たちは始終身軽なまま街中を歩く。
絶えず他愛ない会話を交わす杏寿郎さんは、せっかちなくせして歩幅はしっかりと私に合わせてくれていた。


(そういえば、こんなふうに杏寿郎さんとお買い物するのって実は初めてかもしれない)


たしか、”前の世界”でも漸く身の回りが落ち着いてきた今ぐらいの時期に、杏寿郎さんに誘われて二人で出かけたことがあったなと、記憶の糸を手繰ってみる。


『会うたびに久方ぶりとなってしまってすまない。その代わり、今日は存分に名前の我儘に付き合う所存だぞ!どこか行きたいところはあるか?』
『杏寿郎さんの行きたい場所なら、どこへでも』
『……俺の行きたい場所か!それは困ったな!俺も名前とならばどこへでも行ってみたいと思っていたところだ!』
『あら、ではおんなじですね』



――我ながらつまらない女だったと思う。あの後結局私は杏寿郎さんに全てを委ねたのだったか。
しかし、私のちょっとした発言や我儘が杏寿郎さんの負担になってしまうのではと思うと、どうしても怖かった。未来の妻たるもの、人を守るため日々奔走する夫を煩わせるだなんてあってはならないから。
背負った立場にいつしか雁字搦めになってしまっていた私が自分の心を守る術が、こうして己の本心を殺し理想を演じることだけだった。そうすることで少なからず安心するのだ。大丈夫、私はこの人の隣に妻として並ぶことができる、と。


「名前とこんなふうに街を回るのは、初めてだな」


ふいに、杏寿郎さんが言う。そうしてこちらに向ける顔はやはり、いつもの太陽のように輝いた笑顔だった。
その尊き光に、思わずつられて笑みが零れ落ちる。


「私も、今おんなじことを考えていました」


そう返す私は、今だけは、目的も何もかもを忘れて、心のまま、”今”を楽しむただ一人の娘にすぎなかった。




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