美味しい思いはしたけれど、代償は大きかった。
結局、逃げるように茶屋を後にした私にニコニコしながら追いかけてきた杏寿郎さんがあっという間に追いつき、再び二人並んで歩き始める。
これは本当にただただお茶しただけだ。はあ、と本日何度目かになるため息を吐きだす。………。


(もしかして、私があの練り切りを食べたかったわけじゃないと、杏寿郎さんは分かっててあんなことを……?)


ふいに心中に浮かび上がった一説。まさかね、とその考えを振り払いつつ、隣を歩く杏寿郎さんをこっそりと窺う。

――きれいな横顔だ。
否、綺麗というより、凛々しい、精悍といった表現の方が正しいだろうか。
帰り道をゆっくり歩く最中で空に滲みだした夕焼けが、杏寿郎さんの焔色の髪を神秘的に照らした。
なんて美しいのだろう。そう、ぼうっと見惚れていたのは、もうほとんど無意識だった。


「―――どうした?」


そんな私を見透かすように、ふと私を見下ろした杏寿郎さんの瞳が悪戯に煌めく。
慌てて目を逸らして「なんでもないです」と返すと、彼はそうかと笑った。

いつもこうだ。いつも彼はどこか余裕そうで、私が何をしても動じない。
しおらしくしているところなんてこの間見たほんのひと時が初めてだったしそれ以降は何事もなかったかのように振舞っていた。
――くやしい。
そんな思いが先走る。結局今日はなんの結果も出せなかった。お前の負けだと言われているようだ。

いや、だがしかし。まだ”今日”は完全に終わった訳じゃない。
何かないだろうか。杏寿郎さんの心を動かす何か―――そういえば、と。昨日甘露寺さんに助言(のつもりはないだろうけれど)いただいた中で、まだ『うそつき』は試していないことに気が付いた。二年前のこの世界に戻ってきて、嘘なんて数えきれないほど吐いているけれど。

まあでも、いざ改めて吐こうとすると案外出てこないもので。

うそ。うそ。うそ。
早くしないと家に着いてしまう。何か一つでも、言わなければ。


「きょ、杏寿郎さん!」


苗字邸が遠くに見え始めてしまった焦りから、咄嗟に呼び止めた。
歩を止め、不思議そうにこちらを振り返る杏寿郎さんに、私は渾身の嘘を紡ぎ出す。


「きょ…今日は!すごく!楽…しくなかったです!」


……………。

あ、終わった、と全身からさあっと血の気が引いていく心地がした。我ながら意味不明すぎる。
何だ、その幼稚極まりない嘘なのかなんなのかわからない感想は。そもそもこれは人としてどうなんだろうか。いや、人としてどうなのかと思わせるために嘘を吐いたのだけれど。

赤らんでいた顔が瞬く間に青に染まっていく中、恐る恐る杏寿郎さんの顔色を窺ってみると、彼はわかりやすく面食らっていた。金に縁取られた緋色の瞳をまん丸くさせて、冷や汗を流して固まる私を呆然と見据えている。
どうしよう。これは、よりにもよって効いている。さすがに今日一日振り回されて極めつけに楽しくなかったなどと言われたら堪えるだろう。そもそも、これは嘘というよりただの暴言だ。どうしよう。


しかし、そんな私の心情とは裏腹に、やがて金縛りが解けたかのように我に返った杏寿郎さんは、ふはっと吹き出して私の元へ歩み寄ってきた。
その笑いはどういう笑いだろうと、目を泳がせながら必死で思考を巡らせる、も束の間。


「随分可愛らしい嘘を吐いてくれるのだな」


そうして輪郭をなぞるように頬を滑る左手。まるで抱き合っているかのような距離感で、慈しむようにこちらを見下ろす杏寿郎さんに私の顔はたちまち血色を取り戻した。触れられている箇所から熱がじわりと広がっていく。

どこか喜色を纏った焔色の瞳から目を逸らせずにいた最中、空いた右手は後頭部へ、硝子細工でも扱うかのごとくそうっと髪を撫でた―――刹那。不意にはらはらと後ろ髪が背中と肩に落ちる感覚に「えっ」と困惑する。これまで私の髪を纏め上げてくれていた簪が杏寿郎さんの手によって引き抜かれたのだと気づいたのは、その後だった。


「え、あ、あの…?」


全く意図がわからず問い掛けにもならない声を漏らす私に、杏寿郎さんは何も言わない。
ただ、後ろで髪が弄ばれているのを暫しの間感じていた。


「うむ、なかなか難しいな!だが初めてにしては上出来だろう!」


やがて、満足げに頷いた杏寿郎さんに、私は戸惑い通り越して訝しげに首を傾げる。と、その時、後頭部で何かがシャラ…と微かながら動く音がした。
そういえば、解かれた髪は依然として下ろした状態のままだけれど、上半分は何か引っ張られている感覚がある。恐る恐る後頭部に手を伸ばせば、案の定、上半分だけを新たに簪で纏め直されていた。
が、しかし。私の簪は未だ杏寿郎さんの手中にあって、はて、と思考を巡らせる。とすると、今髪に挿してある”それ”は、つまり。


「今日、楽しそうに買い物をしている君の傍らで選んだ。君は今日、自分のための品はほとんど買っていなかっただろう?」


ばれてた。寄付の品を選んでいる素振りは見せていなかったはずなのに、寧ろ自分の私的な買い物であることを全面的に出していたはずなのに。なぜ。
……いや、そんなことよりも。

楽しそう?私が?

――ああ、そうだ。
私は今日、確かに楽しかった。
二人で手を繋ぎ、近所を走り回った昔に戻ったようで。なんの気負いもせず、純粋にこの人が好きだと言っていられたあの頃と重なるようで。


「受け取ってくれるか?」


なんてずるいことを言うのだろう。いつもなら無理やり掌に握らせて、勝手に置いていくくせに。
今日に限って、「簪はたくさん持っているのでいりません」といつもの言葉が出てこないのを知っているくせに。


夕陽が沈んでいく。
これでは、私の顔が赤いのを夕陽のせいにできなくなってしまうだろう。本当に私は、どこまでも間が悪い。

「……ありがとうございます」蚊の鳴くような声で呟いたそれに、杏寿郎さんはなぜか少し面食らったのち、やはり嬉しそうに笑った。

もう、ほんとになんなのだろう。
あなたがそんな笑顔を向けるような価値、私にはないのに。私たちはこのまま一緒にいても、幸せになんてなれないのに。
これ以上、私の中に入り込む前に、はやく気づいてほしい。


ああ。それに、この髪型、


(…おそろいみたいじゃない)




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