ひどく美しく、どこか物悲しい朝焼けが滲む日の記憶。
それが、今日の夢だった。
その日に限って私は昇りたての朝陽で目が覚め、縁側でぼんやりと朝と夜の狭間を眺めていた。
やがて、夜は朝に塗り替えられるようにひっそりと姿を隠し、まばゆい陽の光だけが広い空を優しく包み込む。
そんな中、青々とした晴天に一羽の黒い鴉が真っ直ぐにこちらへと舞い降りてきた。
「――要」と、その子の名前を呟くと、いつものようにそっと腕を差し出してやる。杏寿郎さんの鴉である要は、いつもこうして私に彼からの手紙を届けてくれていた。
しかし、その日要は、いつまで経っても腕に降りてこようとはしなかった。
よく見ると、足に手紙を括りつけられていない。
どうしたのだろうと、首を傾げた刹那。彼は、残酷な現実を私に突きつけた。
「煉獄杏寿郎!無限列車ノ任務ニテ、上弦ノ参と格闘ノ末、死亡!」
***
目が覚めると、暗闇の中だった。
家中が消灯され、外もとっぷりと夜の闇に浸かっている。今はまだ、真夜中といったところだろうか。
最初に葬儀の夢を見て以来、毎日のように杏寿郎さんの死を見せられていた。
お前はどのみち繰り返す運命なのだと、まるで”前”の私が、”今”の私を嘲笑っているかのようだ。
おかげでここ最近、すっかり眠りが浅くなってしまった。寝不足が顔色にも出ているらしく、家族にはあからさまに心配されるし、杏寿郎さんも会うたびに怪訝そうに顔を顰めている。
「破談にしてくれたら治ると思います」と冗談めかして言ったら結構そこそこ本気で怒られてしまった。いや、破談にしてほしいのはこちらもずっと本気なのですが。
毎日毎日少しずつ、過去であり未来を見せられては疲憊する。
こんな日々にそろそろ気が狂いそうだった。
二年前の世界に戻ってきたのは、あの時何もできなかった私に課された罰なのだろうか。
一年以上この世界で生きているくせに、私は未だに自分の存在意義を見出せない。
肌掛けも羽織らず寝間着姿で廊下へ出ると、冷たい夜風がすうっとうなじを撫でてはふるりと身を震わせる。つい最近まで暑さで寝苦しかったというのに、もうすっかり秋の気候だ。
夜目に慣れてきた頃、足元を探りつつ何とはなしに庭へと降りてみる。
月のない夜だった。なるほど、どうりで暗いわけだ。
月も星もない、ただ暗いばかりの空を見上げていると、どうにも不安に駆られる。
「私は、どうするべきなのでしょうか」
これは、誰に向けての問いかけだろう。それすらもわからないのにと、一周回って笑ってしまう。
しかし、そんな自嘲は束の間だった。
「わたしがこたえてあげる」
どこからともなく聞こえてきた声に、一瞬息が止まる。
少女と老婆が重なったかのような不思議な声質は、なぜかひどく私の心を惹きつけた。
背中に流れる冷や汗と、乱れる呼吸。
やっとの思いで背後を振り返ったものの、誰もいないどころか人の気配一つしない。
「ざんねんね。ここじゃ、お話ができないの」
どうやら”彼女”は今、ここにいる訳ではないらしい。
意味がわからないのに、なぜか妙に納得してしまう自分がいた。脳が、ぴりぴりと痺れる。
「ねえ、こっちにきてくれるかしら?わたしのほうへ、…そう、じょうずね」
どうして。あなたは誰なの。
そう問いたいはずなのに、なぜ私は足を動かしているのだろう。
「いい子ね」「じょうずね」まるで子守歌のように紡がれるその声に導かれ、暗闇の中も迷わず歩を進めた。
庭を抜けて、門を開けて、声が聞こえる方へと、一歩一歩。
「いらっしゃい」
やがて辿り着いた場所は、森林の中だった。
そこで待っていた少女でも老婆でもない、妙齢の美しい女性――の姿をした紛うことなき化け物に、ぼんやりとしていた意識を引き戻し、目を見開く。
木の枝に腰掛けながら私を見下ろす瞳が、猫のようにぎらりと光る。そこには確かに、《下陸》と刻まれていた。
――逃げなきゃ。
本能でそう思うのに、ここまで操られてきた足はとっくに自分のものではなくなっていて、ぴくりとも動かない。
「せっかくはなれたところに呼んだのに、あなた、藤の花くさくてかなわないわ」
うんざりしたように紡がれる言葉が、耳から耳へと抜けていく。
ああ、そうか。まず声だけで私を呼び寄せたのは、邸宅に藤の花が咲いているからだったのか。
でも、どうして。
なぜ、こんなに遠くにいた鬼の血鬼術に容易くかかってしまったのだろうか。
鬼は私の疑問を見透かしているようだった。
「どうしてか、って?――だって、あなたの魂、きずがついているんですもの」
あかごをあやつるよりもかんたんだったわ、とけらけら笑う。
「わたしの異能はね、にんげんの魂をあやつることなの。まあ、じっさいに魂をあつかうのはちょっとむずかしいから、こころの隙にはいりこむのが限度なんだけれど」
指先一本動かせない私を前に、鬼の女は余裕たっぷりにゆったりと歌うように言葉を紡いでいく。
「だから、はじめてあなたの魂をみたときは、びっくりしたわ。こんなにもあつかいやすい魂があるだなんて、夢にもおもわなかったから。すごいわ、一度しんでしまった魂なのに、こんなにきずだらけなのに、まだしぶとく生きているだなんて」
宝石を与えられた子供のようにはしゃぐ無邪気な声。その発言はどこまでも不穏だ。
そして、この鬼は私の人生が二度目だということを知っている。
「――なによりね、」
鬼の瞳が、一層妖しく光る。獲物を捕らえたかのような眼差しに、ひゅ、と気道が狭まった。
「こんなにあつかいやすい魂をもつ子が、柱のこいびとだなんて、わたしってばほんとうに運がいいとおもわない?」
全身の血の気が引いていく。
この鬼の言わんとすることが、一瞬にしてわかってしまった。
「ねえ、さっきのこたえ、おしえてあげる」
音もなく木から降り立った鬼は、まるで内緒話をするかのように、形の良い唇を私の耳元に寄せ、呪いの言葉を囁いた。「それはね、」
「ころしちゃえばいいのよ」
――あなたが柱をころして、その死体とあなたを、わたしがいっしょにたべちゃうの。そしたら、あなたたちはわたしの中でずうっといっしょ。もうなにも、なやまなくていいのよ。
――ねえ、すてきでしょう。だいじょうぶ、いたくないようにしてあげるから。
その声はまるで媚薬のようだった。そんなばかなことするものか、と頭では思うのに、心が鬼の提案を甘美だと捉え、強烈な衝動を沸き起こす。
身体が重い。さっきまで痺れていた頭が、今度は割れそうなくらい痛い。
”私”の意識が急速に遠のいていく。
だめ、いや、おねがい、たすけて。
「いってらっしゃい、わたしのかわいい子」
甘やかなその声に静かにうなずく”私”の瞳は、何かに憑りつかれたかのように、ひどく恍惚としていた。
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