「炎の呼吸、壱ノ型――不知火」


複数の鬼の頸がごとりと地面に転げ落ちた。
一体一体が無事消滅したのを確認してから刀を一旦鞘に収める。然程強い鬼でもなかったが、如何せん数が多い。
人里に入らぬよう惹きつけつつ討伐しているうちに、いつの間にか足場の悪い森林の奥まで踏み込んでしまっていた。

今は一時的に落ち着いたが、付近にはまだ何体か潜伏しているようだ。
何か、胸騒ぎがする。群れない習性があるにしては、今日の鬼はやたらと一斉に向かってくるのが気がかりだった。


ふと、足元で何やらか細く鳴く声が聞こえた。
下を向いてみれば、そこには野鳥の雛が一羽。すぐ傍の木に巣があることから、十中八九落ちてしまったのだろう。


「よもや、先程の衝撃で落としてしまったか!それは申し訳ないことをした!」


雛を両の手で掬い上げ、すぐさま元あるべき場所へと戻してやる。心なしか、親鳥たちの安堵する声が聞こえた気がした。


鳥、か。
自然と連想するのは、最愛の婚約者――名前の怒った顔だった。

最近、今まで以上に彼女が可愛くて仕方ない。破談を言い出す前よりも格段に表情豊かになっているし、こちらへの言動に遠慮がほとんどなくなった。もっぱら怒らせてばかりであるが、感情を隠されるよりは遥かにましどころか怒った顔も大層愛らしいので良しとする。
つまり、この一年と半年、着実に距離を縮めてきた成果が表れたという事だ。彼女は気づいていないし認めたくないだろうが、既に勝負はついている。
《上等な花器に生けられた行儀の良い花》を続けるよりも、《広い空を自由気ままに飛び回る鳥》であってほしいと、簪に込めた俺の願いは、確かに届いているのだ。


(祝言を先延ばしにした甲斐があったというものだな)


本来、齢十五歳で嫁に行くのが苗字家子女の仕来りであるが、それを先延ばしにするよう義父上に掛け合ったのは他でもない、自分だ。
彼女と対等な夫婦になりたいからと、あの時は必死で義父上に土下座をした。
このまま仕来り通りに結婚してしまえば、彼女は永遠に《義務》から抜け出せなくなってしまう。愛していると伝えるのは簡単だが、その言葉は同時に彼女を縛りつけてしまうものでもあるだろう。出来る限り自然に、彼女と愛情を育まなければ―――それが、彼女を行き遅れにしてまで下した、度重なる祝言延期の真相だった。こんな情けない話は自分が一人で墓場まで持っていくと、最初に義父上と話をつけた時からそう決めているし、婚期が遅れた分まで、否、それ以上に必ず幸せにしてみせる。先延ばしの決断に後悔など一つもしていなかった。


親元に帰れて安心したのだろう、やがて親鳥も雛も鳴き声が止み、再び寝静まったらしい巣の様子を見届けてはそっとその場から離れる。

名前の事を考えていたら会いたくなってしまったなど、我ながら単純極まりない。
警備が終わったら会いに行こうか。少し前に継子だった甘露寺が柱に就任し独立してしまって以来、ここ近年に増した鬼の被害による眠る暇もないほど忙しい日々は少しだけ落ち着きを取り戻した。鍛錬と警備、任務の合間に顔を見に行く名前はここ最近、あまり眠れていない様子で心配だ。
『またお前が何かしたんだろう!』と姉を溺愛する和彦に詰め寄られたが、心外だ、今回ばかりは身に覚えがない。


―――と、そんな刹那。突如横切った鬼の気配にすぐさま思考を切り替えた。
気配ははたまた複数。付近の鬼が痺れを切らして動き始めたか。

周囲の動向に目を光らせていた最中、ふと、ひどく漠然とした”嫌な予感”が脳裏に過る。
その気味の悪さに反射的に振り返ってしまえば、刹那、想像もつかない光景に硬直した。

柱の名が聞いて呆れる。が、しかし、どうしたら落ち着いて対処できるというのだろう。
突然、音もなく現れた”ここにいるはずのない彼女”の姿に。


「っ!」


らしくもなく狼狽してしまったのは、己の不甲斐なさ故か。


「杏寿郎さん、ごきげんよう」
「名前…何故ここに……!」


目の前に突如、ふわりと天女が降り立つような軽い動作で現れた最愛の婚約者に瞠目する。
しかし、彼女はこんなに艶やかに笑う子じゃない。そもそも、こんな夜中に一人で、それも寝間着姿でこんな場所に来たりなど絶対にしない。判断を見誤るな。冷静になれ。


「君は誰だ」


細く長く息を吐いて呼吸を整え、目の前の女を真っ直ぐ逸らす事なく見据える。冷ややかな眼差しに”女”は瞳を潤ませた。


「ひどい。私のことわからないんですか……?」
「仮に騙す気があるのなら、彼女の愛らしさをもっと勉強してくるといい」
「いやだわ、杏寿郎さん。私は私ですよ、…ほら」


そう言って女は静かに俺に歩み寄り、白くほっそりとした腕を伸ばすや――抱きしめた。
優雅で緩慢な動作、振り払う隙などいくらでもあるはずなのに、そうできないのはなぜか。


柔らかくも薄い、少し力を込めたらたちまち壊してしまいそうな華奢な体。藤の花と、季節の花々が混ざった甘い香り。春の微睡へと誘うような、この世で何よりも愛おしいぬくもり。


――その体が紛う事なき名前本人であると、気づいてしまったからだ。

「…ね?」と俺を見上げるや、甘く蕩けるように微笑む。
違う、彼女はこんな表情をしない。この体の内面は今、名前じゃない、わかっているのに拒めない。


「ねえ、杏寿郎さん。私、本当はこわくてこわくてこわくてこわくてたまらないんです。あなたがいずれ、私の前からいなくなってしまうのが。一年以上、私が何に怯えて暮らしていたかなんて、あなたは知る由もないのでしょうね」


ゆったりと、歌うように言葉が紡がれる。
「何の話だ」と問うても、答える気はないようだ。ふふふ、と淑やかにうっとりと笑う声が彼女の声で響く。


「でも、これで万事解決です。ああ、なんてすばらしいのでしょう。これで私は絶望しなくて済む、あなたとずっと一緒にいられる、どうして今まで思いつかなかったのかしら。――ねえ、あなたも、”私”に殺されるなら本望でしょう?」


あまりにも一方的な言葉。耳元で甘く囁かれた、「愛しておりますわ」の台詞。待ちに待ったその言葉がこんな形で穢された事に怒りを覚える。
――その怒りが、幸いにも俺を正気に戻した。


瞬時に彼女を引き剥がして距離を取ると、案の定、彼女の手には鋭利な短刀が握られていた。優しく、愛らしい名前にはあまりにも相応しくない、人を傷つけるための道具。その禍々しい気配は恐らく、彼女を操っている鬼の身体の一部を使っているのだろうと推察する。
どうにかして、名前にかけられた暗示を解かなければ。考えろ。否、考える暇はない、今すぐ答えを導き出せ。


「名前、聞こえているか?」
「杏寿郎さんの声が聞こえないわけないでしょう」
「君じゃない。君の奥底で眠らされている、俺の最愛の人だ」
「ですから、私は私ですと、さっきから言っておりますでしょう?」


困ったわと言わんばかりに小首を傾げてみる女。その仕草が無償に苛立って、ああやはりこの女は名前ではないと確信を深める。本当の彼女が困った顔で首を傾げたならば、その愛らしさに俺は悶絶するに違いない、そして最悪、十年以上必死で繋ぎとめていた理性が今度こそ焼き切れるだろう。
女はどこまでも穏やかに笑みを携えていて、それを睨む目に無意識にも殺気が宿る。


「名前を返せ」

「…あんまり同じことを何度も言わせるものではないわ」


女はうんざりしたようにため息を吐くと、それを合図とせんばかりに複数体の鬼が俺たちを囲った。
いずれも彼女の持つ短刀と同じ禍々しさを放ち、この鬼共も同じ鬼に操られているのだという事がわかる。恐らく、最初に倒した奴らも。


「私は杏寿郎さんとずうっと一緒にいたいだけなの。あんまり煩わせないでちょうだいね」


彼女の顔に貼り付けられる不適な笑みは、やはり彼女とは似ても似つかない。
最愛の人を冒涜された怒りは、ただただ己の腸を煮えくり返らせた。




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