思った以上に状況が悪い。
辺りを包囲する鬼共は幸いそこまでの強さではないが、問題はその数の多さと、名前に当たってしまうかもしれないという理由で安易に技を出せない事。それらがこの戦いを異常に不利にしていた。
一斉に向かってくる鬼の相手をしながら、彼女が視界に入る一定の距離を保って剣を振るう。これが存外骨が折れるもので、いつ鬼の矛先が向くかも分からない彼女の身を案じつつ、しかしその彼女自身が俺を敵と認識している現状は俺の行動の多くを制限していた。彼女自身がそれを分かってわざと攻撃の間合いに侵入してくる上、月のない真夜中かつ森林の奥という足場の悪さが尚更それを助長している。
――手刀を入れて気絶させるか。そう考えなかった訳ではないが、精神ごと乗っ取られている手前、余計な事をすれば彼女自身に被害が加わる可能性が高い。操られているという事は即ち、本人を自決へ追い込むのも容易いという事だ。人質にしてもあまりにもやり口が卑劣で、最早抱いた感情は怒りを通り越している。
彼女も所詮は一般女性の筋力、しなやかなその手に握る短刀も俺にとって脅威ではない。このまま泳がせていた方が恐らく彼女は安全だろう。本当ならば今すぐにでも術を解いてやりたいが、今はこんなやり方でしか彼女を守れない己の不甲斐なさに心底苛立った。
彼女は指一本傷つけさせまい。そして、俺自身もこの戦いでは掠り傷一つ負う訳にいかない。
優しいあの子は、正気に戻った時ひどく心を痛め、自分を責めるだろうから。漸く築き上げた”気を許せる関係”をこんなことで崩すなど冗談ではない。
けしかけられた鬼に片っ端から刀を振るう。
技を出さずとも倒せるような鬼ばかりで何の茶番だこれはと思わず眉を顰めるが、未だ名前の安全が確保できていない手前そうも言っていられない。
まずは、名前を操っている元凶を見つけ出さねば。雑魚鬼の所為で分かりづらくなっているが、付近では確かに尋常ならぬ気配が漂っている。
「炎の呼吸、弐ノ型――昇り炎天!」
不意に、彼女の背後で太い腕を振り下ろす鬼を認め、素早く彼女の前に出ては刃を振り上げる。十中八九、その鋭い爪で彼女ごと俺を切り刻もうとしたのだろう。
たちまち塵となって消えた雑魚鬼に、”彼女の姿をした何か”は恐れるふうもなく、感心とばかりに両手を打ち付けて乾いた安い音を響かせた。
「あらまあ、私を守ってくださったのですね。お優しいこと」
「……」
言っておくが俺が守ったのはお前じゃない。と、最早口に出す価値もない。
女をひと睨みする程度に留めつつ、周囲の動きを改めて探る。刹那。
「壱ノ型――不知火」
彼女と距離を取った隙を突いて辺り一帯の鬼共の頸をいっぺんに斬り落とした。
途端、誤魔化されていた気配が濃くはっきりとする。―――”奴”は、木の上か。
「そこにいるのはわかっている」
枝葉が生い茂って姿は見えないものの、重く澱んだ空気の中心がそこにある。確信を込めて低く呼びかけると、漸く”奴”が答えた。
「あらあら、ほんと、せっかちさんなんだから」
それは、老婆なのか少女なのか。
どちらともとれる声で響いたそれは、不気味なまでにひどく穏やかだった。
なるほど、十二鬼月――下弦の鬼だったか。人一人ならずあの数の鬼を纏めて操る高度な能力もそれならば納得がいく。
音もなく、羽毛が舞い落ちるかのごとく緩慢な動作で地に降り立った”女”は、血を吸わせたような長い赤髪を風に遊ばせながら、にい、と口角を吊り上げ、虚ろな瞳をしている名前の肩を抱いた。先程まで饒舌だった”名前”は今や抜け殻のように静かな事から、やはり行動から発言まで全てこの鬼によって操作されているのだろうと推察する。
「彼女に触るな」
「かわいいわが子にふれて、何がいけないのかしら?」
「稚拙な冗談だ、面白いと思っているならやめた方がいい」
「しつれいしちゃう。わたしは、あやつった人間ぜーんぶ、かわいいわが子だとおもっているのに」
「鬼まで満遍なく弄んでいてよく言う」
「あら、鬼だってにんげんとして数えていてよ」
「…話にならんな」
これ以上は相手をするだけ無駄なようだ。
刀を構え、呼吸に集中する。炎の呼吸、と次に繰り出す技に備えたその刹那、下弦の陸は「そういえば」と思い出したかのように切り出した。
「どうかしら?いつのまにか体がうごかなくなってるきもちは」
「何を言って……っ!」
つまらぬ戯言を聞き流し、再度敵を見据えた刹那、一つ、重大な事に気づいた――否、気づいてしまった。
「ふふふ、あなたはこいびとに気をとられて、いくつも判断をまちがえたのよ。柱のくせに」
つい今まで刀を構えていた腕は硬直し、地を踏みしめる脚は縫い付けられたかのように動かない。
「わたしの血鬼術はね、まず、鬼をあやつるの。よわい鬼にわたしの血をほんの少しなめさせればできあがり。わたしのあやつる鬼を鬼がりがたくさんきればきるほど、わたしの血のまざった灰をすってこころに隙ができる。その隙にわたしが入りこめば、あらふしぎ、その子はわたしの思いのままっていうわけ」
「まあ、この子は、たましいが最初からきずだらけだったから、そんなことしなくても、かんたんにわたしを受け入れてくれたのだけど」
「いまは、この子のなかに、わたしが半分はいってるじょうたいなのよ。だから、この子の術はもうとけるものじゃないの。すてきでしょう」
「それにくらべて……あなたはだめね、生存本能っていうのかしら、せいしんがきょうじんすぎて、せいぜい、うごきを封じるくらいしかできないもの」
一通りを恍惚と話し、最終的にはやれやれとばかりに嘆息する。その様は勝ちを確信しているのか随分と余裕に溢れていた。
――彼女の魂が傷だらけとはどういう事だ。何かの比喩なのか、それとも傷ができるような何かをされたのか。不可解な発言に自然と眉が寄る。
どちらにせよ、俺は彼女の痛みを知らず、こうなる前に守ってやる事が出来なかった挙句、状況や敵の目的の判断を怠った所為で自分まで術にかかる始末だ。柱として、婚約者として、否、名前を心から愛する男として、これ以上不甲斐ない事があるだろうか。最低だ。守ると約束したのに。
「おしゃべりはおしまい。さあ、術がかかっているうちに、ころしちゃいなさいな。これで、だあいすきなひとが、えいえんにあなたのものになるのよ。わたしだって、柱をころせば”あの方”にほめてもらえるもの」
鬼はうっとりと微笑みながら、彼女の耳元で誘うように囁く。すてきね、うれしいわね、と。
――打ちのめされている暇などない。早く、早く術を解かなければ。
光を失った名前の瞳がゆっくりとこちらを捉えた。同時に刃先もこちらへ向けられる。
その様を見て、ああ、と思う。
「名前。これは全て俺の不甲斐なさが招いた結果だ、本当にすまない」
君にこんな事をさせてしまって。こんな事態になるまで何一つ気づかずにいて。
無意識に浮かれていたのだろう。君がまた、ああやって気を許してくれるようになったのが、俺は途轍もなく嬉しかったから。
名前は、黙ってこちらを見ていた。
「あら、どうしちゃったのかしら」と首を傾げる下弦の鬼を物ともせず、光の無い瞳を静かにこちらへと向ける。
刹那。
はらり、と。彼女の頬を一筋、小さな雫が伝った。
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