場所は煉獄邸の座敷。正座する私の向かいには、ニコニコと満面の笑みを浮かべる二人の男女。
黄、赤、薄桃、黄緑。それはもう大変鮮やかな色彩で、結構なことだ。
本音を言うと今すぐ逃げ出したいものであるが、今しがた目の前にお茶を置いてくれた千寿郎くんがぴったりと私の隣にくっついているのでそれも難しい。


「よもや、名前から会いに来てくれるとはな!」
「た、たまたま近くに用があって通りかかっただけです!!」
「そうだったか!」


……だめだ全く伝わってない。
そして何より、自分の言い訳が苦しい自覚もある。

そもそも、何故学校帰りの千寿郎くんと鉢合わせる可能性を考えなかったのだろうか。自分の詰めの甘さに泣けてくる。
有難いことに千寿郎くんは私を既に本当の姉のように慕ってくれていて、昔から私の嫁入りを恐らく杏寿郎さん本人よりも楽しみにしてくれていた。そんな私がある日突然煉獄家に嫁ぎたくないと言い出したのだから、さぞ不安な毎日を過ごしていたのだろう。千寿郎くんの目に溜まった涙を見た瞬間、罪悪感で死んでしまいそうだった。今千寿郎くんを盾にされたら私は降伏してしまいそうだ。とんだ盲点である。寧ろ今気づいてよかった。


「あのう」


内心で深々とため息を吐いていると、前方より鈴の鳴るような愛らしい声が聞こえてきた。
ほとんど反射でそちら――甘露寺さん(仮)に顔を向けると、宝石のような黄緑色の双眸と目が合い、彼女の表情は更にぱあっと花が咲いたように輝く。

慕う殿方の家に突然見知らぬ女が訪ねてきたにしては、些か好意的すぎやしないだろうか。
杏寿郎さんがいる手前、そうしているだけなのだろうか。

構図的には修羅場にも発展しかねないが、そんな中で杏寿郎さんは「どうした甘露寺!」と相変わらず空気の読めていない溌剌とした声を上げる。


「煉獄さん、この方が噂の――」
「ああ、婚約者の名前だ!」
「やっぱり!」


ちょっと待って。今、噂のって言いましたか。やっぱりと、そう仰いましたか。
私の知らないところで私に関する何らかの情報が出回っていることがその会話の内容から窺えて、思わず身を固くする。

知っているのなら尚更、甘露寺さんにとって私は泥棒猫ではないのだろうか。
千寿郎くんに腕を引かれて煉獄邸の門を潜るまでの短時間、万が一「あなたなんか炎柱様には相応しくなくてよ!」などとお茶をかけられようものならそれを理由に問答無用で即破談にしようという計画を立てたのだけれど、甘露寺さんの前にも置かれたお茶は一向に持ち上げられる様子はない。
まあそれは極端な話であるのだけれど、実際は嫌味の一つでも言ってくれたら、その瞬間すっと身を引くつもりで待ち構えていた。

しかし待てど暮らせどその機会は巡って来ず、甘露寺さんは改めてこちらを見るとにっこりと愛らしい笑みを浮かべた。


「初めまして!甘露寺蜜璃です!名前さんのお話はよく煉獄さんと千寿郎くんから聞いていて、私、ずっとお会いしたいと思っていたんです!」
「えっあ、はじめまして……」


負の感情を微塵も感じないご挨拶に、なんだか自分の心がとんでもなく汚れているような気になってしまう。こんな非の打ちどころがなさそうないい子に、私は一体何を求めているのか。
しかも、今の話は聞き流すべきではないのでは。
そう思って隣の千寿郎くんの顔を見ると、「私の話って、何を話したのかな…?」と小さな子供に尋ねるような柔らかい口調で問いつつ笑顔を形作った。


「もちろん、未来の姉上がどれほどお美しく素晴らしいお人柄なのかという話を、です!」


杏寿郎さんの子供時代にそっくりな千寿郎くんは、そのあどけない顔立ちを武器に惜しげもなく愛嬌たっぷりの笑顔を向けてくださった。眩しく思うと同時に、頭痛を覚える。

こんなに可愛らしい義弟ができるというのに婚約破棄など、一体何が不満なのか。こんなにいい子を悲しませるとは、私こそが鬼ではないだろうか。と、つい降伏への道順へ向かいそうな脳内を必死で踏みとどめる。
千寿郎くんの純粋さは和彦ですら敵わないのだから、実のところ最難関はこの子かもしれない。

ただでさえ揺れている私に、千寿郎くんは更なる追い打ちをかけるがごとく、今の今まで浮かべていた笑みをふっと消せば次の瞬間には眉を極限まで下げて泣きそうな顔になった。


「ですが、名前さんは――」
「わ、わーっ、千寿郎くん!お茶がとっても美味しいわ!また腕を上げたわね!」


『煉獄に嫁ぐのはお嫌なのですよね』――十中八九そう続くに違いない言葉を慌てて遮ると、反射的に持ち上げた湯呑みを口につける。順番が違ってしまったが、お茶が美味しいのは事実だった。千寿郎くんは今言おうとしたことは取りやめてくれたらしく、ぱあっと嬉しげに頬を輝かせた。


「前に名前さんが教えてくださったおかげです!」


教えると言っても温度や茶器について少しだけ助言しただけなのだけれど、こうして満面の笑みでそう言われて嬉しくならない者がいるだろうか。「千寿郎くんががんばったからだよ」とそっと頭を撫でてやると、千寿郎くんは嬉しげに頬を赤らめた。なぜか杏寿郎さんからの視線が痛いけれど、いつも可愛い弟を独り占めしているのだから今日くらい許していただきたい。

しかし、長居する気は毛頭なかった。
そもそも、今日こうして煉獄邸に上がることは全くの想定外だ。甘露寺さんについても、できることなら家でゆっくり策を練りたい。
飲み干した湯呑みを置くと、三人に向かって一礼する。


「それでは、私はお暇させていただきます。お仕事前にお邪魔してしまい申し訳ありませんでした」
「そう気を遣うな!だが、すまない。名前を送ってやりたい気持ちは山々なのだが、実のところ今日はあまりゆっくりはしてられん」


あ、結構です一人で帰る方が気楽なので。
息を吐くように拒否してしまいそうな自分を知ってか知らずか、寧ろ気兼ねなく帰宅できることに安堵していた私をよそに、杏寿郎さんはすかさず隣の甘露寺さんに何やら目配せをした。


「甘露寺、頼んだぞ」
「もちろん、任せてくださいっ!私、今日は任務もないので、まだ明るいですしゆっくりお散歩しながら帰りましょう!」


腰を上げていた私が、そのまま中途半端な恰好で硬直してしまう。


……………。
……今、なんと仰いましたか?




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