修羅場とは、こんなに穏やかなものなのだろうか。
それとも、私が殺伐とした空気を察せないほどに残念な頭をしているのだろうか。
私は今、婚約者に想いを寄せる女の子に帰路を付き添われているという、奇妙奇天烈な状況であった。
「それでね、先住猫が新入りちゃんの案内をしてくれたのだけど―――」
――先程からこの調子で、甘露寺家の猫事情を延々と語り続けている。
なんだか最近、似たようなことがあったような…と思考を巡らせては、杏寿郎さんとお散歩した時であることにそうかからず気づいた。
煉獄邸を後にして最初の会話で、同い年であることが判明した私たち。「名前ちゃんと呼んでもいいかしら…!?」という甘露寺さんの言葉に断る理由もなく頷き、砕けた口調でお話してくれるようになった彼女にひたすら相槌を打っている。
先程からずっとこんな調子で、甘露寺さんに婚約者の座を明け渡すつもりであった私は、早々に不安になった。
こんないい子が、人の婚約者を(例え当人が自ら差し出したとしても)奪うような真似はしないのではないか、と。
そもそも恋敵にすら思われていない説や実はとんでもない腹黒説などいろいろ立ててはみたものの、話せば話すほどそれらは褪せていき、代わりにそんな意地の悪いことを考える己がひどく恥ずかしく思えてしまっている。
だから、これ以上心が醜くなる前に認めようと思う。甘露寺さんは何の疑いの余地もなく、本当に純粋でいい子だ。
私の存在が面白いはずがないのに、最初からそんな様子はちっとも見せず、気さくに接してくれている。
「――やっぱり猫社会も人間と同じなのね!……名前ちゃん?大丈夫?」
「えっ」
ぼうっと考えごとをしながら歩いていたせいで、気づいたら甘露寺さんの心配そうな面持ちが目の前に広がっていた。
慌ててすみませんと謝ると、「もしかして具合悪い?」と尋ねつつ否定する隙もなく柔い掌が額に触れた。日常的に刀を振っているとは思えないほど、優しい女の子の手だった。
「熱はないわね…」
「だ、大丈夫です!ちょっとぼうっとしていただけなので!」
「でも、ちょっと前に熱病を患っていたんでしょう?」
甘露寺さんに言った覚えのない話が突然自然に出てきて、思わず目を丸くする。
なぜ知っているのか、と思いはしたものの、考えなくてもその場合の情報源は一つしかない。
「杏寿郎さんに聞いたのですか?」
婚約者とはいえ、そういうことまで他人にべらべらと喋ってしまうのは感心しない。
む、と眉を顰めた私に甘露寺さんは慌てて「あ、そうだけどそうじゃないの!」と曖昧な否定で首をぶんぶんと左右に振った。
「あのね、実は名前ちゃんが寝込んでいる時の煉獄さんの任務に私も同行していて。煉獄さん、なんだかすごく焦って任務をこなしていたから、気になって私が聞いたの」
――俺の婚約者が急病でな、一刻も早く行ってやりたいんだ。
杏寿郎さんは、そう答えたらしい。
更に聞くと、その任務での杏寿郎さんはいつも以上の気迫で二体の異能使いの鬼を迅速に討伐したとのことだ。
この話は甘露寺さんと二人になった時に交わされたもので、他に聞いていた人はいないのだという弁解も続く。
(そんなことがあったんだ……)
あの時任務先から直行してくれたのだなとは思っていたけれど、当事者から改めてそういう話を聞くとなんだか胸の奥がざわついてしまう。
しかし、だ。こんな話をなんてことないふうに聞かせてくれる甘露寺さんは、果たしてどんな気持ちなのだろうか。
彼女のようないい子だからこそ、好きな人――杏寿郎さんと幸せになってほしいと思ってしまうのだ。
私なんかよりずっとお似合いだし、何より、彼女なら鬼殺隊士として杏寿郎さんの手助けもできるだろう。二人が一緒になれば、もしかしたら杏寿郎さんの死期を遅らせることもできるかもしれない。
次々とそんな考えが沸き上がる。
だから、まどろっこしく探るのはやめてしまおうと、自然に口を開いたのだった。
「あの、甘露寺さん」
「うん?」
「私の存在を気にしてくれているのなら、いいんです」
「…はい?」
「私よりも甘露寺さんの方がずっと、杏寿郎さんとお似合いですし、元々私たちに恋愛感情はありませんもの。ですからご自分の気持ちを押し殺さなくとも、私はお二人のために潔く――」
「ちょ、ちょっと待って!?さっきから何を話しているのか、さっぱり見えないわ!?」
ついつい甘露寺さんを置き去りにして語ってしまったからか、ひどく焦った面持ちでわたわたと慌てふためく甘露寺さんの様子に一旦口を噤む。
「急にごめんなさい。でも、私のせいで甘露寺さんが杏寿郎さんを諦める必要はないのだと、どうしても早くに伝えておきたかったんです」
私の言葉を聞くや、甘露寺さんは今度こそ硬直してしまった。唇を引き結びながら、これでもかと首を傾げている。
……もしかして、伝わらなかったのだろうか。
そんな思いの刹那。
「あ、あのう…名前ちゃん?確かに煉獄さんは素敵な方だと思うけれど、私、そんな…恋だなんて、さすがにそこまでは……!」
………。
……………。
「……えっ?」
たっぷりの間を開けて、やがて漸く発した声は、ひどく間抜けで素っ頓狂なものだった。
***
甘露寺さんは、言葉を選ばずに言うと、”誰にでも”ときめいてしまうらしい。
つまり、盗み見した”あれ”は一人の殿方を熱く慕う恋心ではないのだそうだ。本当の恋は探し途中だからと、線引きは曖昧で本人もよくわからないらしいのだけど。そういえば、千寿郎くんにも同じ目を向けていたような、と今更遅い記憶を蘇らせる。
杏寿郎さんの元で修行しているうちに炎の呼吸から独自に派生させた甘露寺さんの呼吸を使うにあたって、ときめきは必要不可欠なのだと力強く説明されて思わず唖然としてしまった。
呼吸の派生とは、そんな簡単にできるものだっただろうか。
それも、炎の呼吸を、剣士になったばかりの女の子が。
生まれ持った才能とは恐ろしいものだ。
二年後、甘露寺さんはどうなっていただろうか。甘露寺ってどこかで聞いた気はするのだけど、何だっただろうか。
前の世界で杏寿郎さんからお仕事について話を聞くことはほとんどなく、生きていたのか、杏寿郎さんの葬儀に来てくれたかすらもわからない。
「そ、そうだったんですね……早とちりしてしまい、お恥ずかしいです……」
「ふふふ、そっくり返してしまうようだけれど、名前ちゃんこそそんなに不安に思わなくてもいいと思うわ!」
「ふ、不安に思ってるわけでは…!」
両手に作った拳を胸元に構えて応援してくれる甘露寺さんは、この様子だと婚約破棄の件は知らないのだろう。
慌てて首を振って否定した私にニコニコと微笑ましげな視線を向けてくれつつ、「あら」とさも当然のように続けた。
「でも、さっき私に諦めるなと言った名前ちゃんは、とっても寂しそうだったもの」
「えっ……」
わかりもしないだろうに思わず自分の顔を両手で触れて確かめる。
――寂しそう?私が?
そんなはずがない。
婚約破棄を自ら望んでいるというのに。
”前”の私の浮ついた感情は捨て去らなければいけないのだから、寂しそうにしていいはずがないのだ。
「煉獄さんは名前ちゃんしか見えていないくらいぞっこんなんだから、そんなに心配しないで」
黙りこくった私に、やがて甘露寺さんがよかれと思って発した言葉は、結局私の耳に素直に届くことはなかった。
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