Prologue-01
夜闇に輝く白い満月。遠い空の果てに落ちた、流れ星がひとつ。
夏の終わりを告げる涼やかな夜風が吹き抜ける、心地よい夜だった。
月明かりが照らすグレートセブンの石像の前を通り過ぎ、図書館の前でコレットはふと歩みを止めた。月光を受けて銀色に輝く長いプラチナブロンドの髪に、濃藍から薄紫、薄紅、やがて橙に変化する朝焼けの空を映したようなグラデーションの瞳を持つこの半妖の少女は、茨の谷において宰相を務めるオディーリエ家の息女であると同時に次期当主マレウス・ドラコニアの婚約者、そして女子でありながらナイトレイブンカレッジに生徒として在学するれっきとした生徒という特殊な肩書きをいくつも併せ持つ。
立ち止まったままコレットは上空を見上げ、目元を優しく綻ばせた。
視線の先───ナイトレイブンカレッジ校舎では、中央塔に位置する鏡の間にて、これから入学式が執り行われる予定だ。今年は故郷で弟のように可愛がってきたセベクが入学するので、自分も自然と浮き足立ってしまっていた。
「─────不安、なのです。魔法の発現が遅かった僕が、ナイトレイブンカレッジの入学を認めてもらえるのかと」
2年のホリデーで帰省した時のことを思い出す。その年からシルバーも入学し、茨の谷に一人残されたセベクはこれまで以上に鍛錬へ身が入り、言ってしまえば随分と切羽詰まって見えた。あまりにも生傷が絶えない彼を心配したコレットが見舞いにジグボルト邸を訪ねた際、ぼろぼろの体でぽつりと零した本音がそれだった。
あの時はせいぜい大丈夫だと宥め、見守ることしかできなかったが、いざこの日を迎えてみれば色々と込み上げてくるものがある。
そろそろ棺が到着する頃だろうか。本当は式にも出たかったのだが、去年の入学式でとある新入生が暴れて一時大混乱となったため、今年からは在校生を最少人数にすべく原則寮長のみの参加とするようお達しが出てしまい残念ながら叶わなかった。……まあ、その“暴れた新入生”は今年寮長として儀式に出席しているのだが。
暫し鏡の間に思いを馳せたのち、改めて前へ向き直ると図書館の扉に手をかける。新入生が寮分の儀式を終え、我がディアソムニア寮までやってくるまで、まだ時間があるだろう。それまでの時間潰しがてら、調べ物のために真夜中の図書館まで足を運んだのだ。
「風よ」と小さく唱えて呼び寄せた風妖精がするりと鍵穴に入り込み、この時間は閉館中の施錠を器用に解除すると、コレットは館内へ足を踏み入れた。
────そして小一時間後。
「……だめだわ、資料が少なすぎる」
図書館の端、登った梯子に腰を下ろしたコレットは開いた本を膝上にがっくりと肩を落とした。
この区画に収められている本は全て妖精族の生態にまつわる資料だが、正確にそれはコレットの知りたい情報とは離れた文献で、それもほぼ実家の家庭教師に習ったことばかりだ。何ならここの本より詳しい自負まである。
そもそも茨の谷の王立図書館にない資料が賢者の島にあるはずがないのだ。平和条約が調印に至って数十年、妖精と人間の争いは終わり、両者共に随分寛容になったとはいえ未だ種族の壁は分厚いし、茨の谷は相変わらず閉鎖的なのである。
それでも、否、だからこそ少し期待もあった。寛容な時代になったからこそ、多種多様な人種が揃うこの島では見つかるのではないかと────妖精と人間の間に生まれた子供のあらゆる事例を纏めた資料が。度々こうして図書室へ出入りするようになって約1年、残念ながらその予想は外れつつあるわけだが。
まあ今日は新入生を寮で迎える前のほんの暇潰し程度に足を運んだためあまり長居するつもりはない。もう入学式も始まっているだろうし、今日のところはそろそろ引き上げて───と、腰を上げかけた、その時。
「ここは一体どこなんだ!?」
突如、入り口の方から慌ただしく駆ける音と共に男子の焦った声が聞こえ、腰を上げかけたコレットは思わず首を傾げる。誰かきた───のは言うまでもないのだが、何だか様子がおかしい。
閉じた本を手にしたまま器用に梯子をふわりと飛び降り、3階の柵越しにその正体を覗いてみることにした。
「………まあ」
飛び込んできた光景に目を瞬かせる。
そこにいたのは、自分と同じく式典服を着た少年、そして。
「オレ様の鼻から逃げられると思ったか!ニンゲンめ!」
逃げる少年に迫る猫……のような魔獣だった。
学園の敷地には特殊な結界が貼られているため、基本的に魔獣が侵入してくることはない。ともすると、少年が連れた使い魔が暴走してしまったのだろうか。使い魔を手懐けられるようには見えないけれど、コレットが今まで会った誰とも違う雰囲気を醸し出す不思議な少年だ。
「(って、冷静に分析している場合じゃなさそうね)」
「さあ、丸焼きにされたくなかったらその服を────」
魔獣の手から青い炎の球が生み出され始める。今にも図書室ごと燃やされそうな雰囲気にコレットは魔法障壁の中へ魔獣を閉じ込めようと心中で詠唱した、が。
「ふぎゃっ!?」
魔獣の攻撃を封じたの自分のそれではなかった。小さな体に素早く巻きつくロープが対象をきつく締め上げる。相変わらず、見事な鞭捌きだ。間も無くして灯りのない廊下から姿を現した学園長にコレットは呑気に感心した。
まさに間一髪で救われた少年は全く状況を把握できていないようだが、話を聞いていればどうやら新入生らしい。手早く魔獣を大人しくさせた学園長はやれやれと言わんばかりに彼を連れて踵を返した、が。
「オディーリエさんには明日、お話がありますので学園長室まで来るように!」
「あら、気づいていらっしゃいましたか」
……真夜中の図書館へ勝手に侵入したことは、どうやらバレていたらしい。学園長が現れた瞬間、上手く柵の奥へ身を隠したつもりだったのだが。
反省文程度は大人しく覚悟することとしつつ、再び柵の前へ歩み寄ると、こちらを振り返った学園長の「まったくもう、うちの生徒はどうしてこうも自由奔放なんでしょう!」と芝居じみた抑揚で嘆いてみせた。自由奔放な生徒の中で自分は比較的真面目な方だと思うのだけれど、という本音はここでは黙っておくことにする。
ふと、第三者がいたことに今気づきましたとばかりに上階を見上げる新入生と目が合った。コレットは茶目っ気たっぷりに片目を落としたのち、彼へ向かって艶然と微笑む。
「またお会いしましょう、新入生さん」
どうしてか、この子とはこの先また関わる気がするのだ。
「出る時はしっかり施錠してくださいね!」とどうやら一先ず自分は野放しにされるらしい学園長の寛大、否、適当ぶりにお任せくださいと返事をしつつ、図書館を立ち去る学園長と縛られた魔獣、そして新入生の少年の背中を見送った。
「おおコレット、ここにおったか」
「リリア様」
学園長達が去って間もない頃、取り戻した静寂の中で自身も後片付けをして寮へ戻ろうかとしていたところに三人目の来訪者がやってきた。
リリア・ヴァンルージュ───マレウスと併せてコレットに魔法の手解きをした師であり、まだ赤子だったコレットを多忙な祖父に代わって時折預かり世話をしてくれた“おじさま”でもある御仁だ。NRCへ入学して3年目となる今、おじさま呼びは大分抜けてくれたのは余談である。蝙蝠の妖精らしく逆さ吊りで突然背後に現れたリリアを慣れたものとばかりの自然さで彼へと向き直る。
「そろそろ寮分けの儀式が終わる頃じゃ。学園敷地で学ぶ生徒としてはわしらが最上級生、新入生を盛大に出迎えてやろうではないか」
「まあ、わざわざ呼びにきてくださったのですね。ありがとうございます」
「なに、わしも今日は毎晩やっとるネトゲを中止して辺りをぶらついておったんじゃ。ついでというものよ────ん?何じゃ、今更妖精の生態など調べおって」
「……あ、これは、」
敬愛する師にコレットはにこやかに応対していたものの、ふいに腕に抱いた先の文献に目を向け不思議そうにするリリアには一瞬言葉に詰まった。別に隠していたわけではない、が、何となく相談しづらいような気まずさがあるのだ。
暫し迷った末にコレットは目線のほぼ変わらない彼へ真っ直ぐに朝焼けの瞳を向ける。
「リリア様、いえ、おじさま。私の姿は入学時と比べて変わりましたか?」
「んん?そう言われると少し大人っぽくなったかのう。わしの家へ嬉々とカレッジ入学を告げにきた時はまだ少女だと思ったものじゃが、たった2年ぽっちですっかりレディの風貌じゃ」
「……そうです、たった2年。髪だって伸びましたし、私は確実に人間と同じスピードで成長……いいえ、“老いて”います」
「…………コレット、お主、」
静かにコレットを見据えたリリアは、つまり何が言いたいかを瞬時に察したようだった。それに対し、眉を下げて半ば諦めたように苦笑する。
「わかってはいたことなんです。でも────」
「不安か?マレウスを置いて死ぬことが」
「っ!」
思わず肩がびくりと揺れたのは、リリアの言葉通りだからだった。
マレウスの婚約者だと言いながら、その務めを満足に果たせることができないだろう不甲斐なさ。その上コレットは婚約内定した時の記憶が不自然なほどおぼろげだった。唯一覚えているのはマレフィシア女王、そして祖父であり茨の谷宰相を務めるロアンバルト・オディーリエからの激励、一方で烈火の如く怒り狂う元老院たち。
なぜ自分が彼のお方に選ばれたのだろう────幾度となく己の胸に抱いた疑問は未だ答えを知ることはなく。この先1000年以上の時を過ごす彼の生涯の10分の1にも満たない寿命で、一体何を残せるというのか。
「マレウスが年端も行かなかったお主をなぜ妃として認めたのかはわしにもわからん。じゃがなコレット、これだけは言っておこう。お主はお主のまま、あやつの傍にいてやれば良い。なに、そう心配しなくて大丈夫じゃ」
「リリア様……」
コレットの瞳が、揺れる。早くマレウスに相応しい淑女となるべく己を律してきたつもりだが、時に親代わりとなって成長を見守ってくれたリリアの前では未だ弱いらしい。リリアはそんなコレットの頭をさも大切そうに優しく撫でた。そうされることで徐々に気分が晴れていくのを感じる。
暫し身を委ねていた中やがてその手が離れていくと、リリアは悪戯げに口端を吊り上げながら唇を開いた。
「よし、いつもの愛らしい顔に戻ったな?それでは寮へ戻るが良い」
「ふふ、リリア様には叶いません。ではご一緒に参りましょう?」
その発言でコレットの顔には笑顔が戻り、再び梯子を登って本を棚へ戻す。そしてすっかりいつもの調子で向き直っては、リリアにも移動を促す────が。
「……いや、わしはこのまま鏡の間へ行く。マレウスが入学式に出ているか今ふと気になってな」
「まさかそんな、出ていないなんてことはさすがに、…………」
「奴の因縁もこれほどかと思うとちいとばかし哀れになるわい。ということでコレットよ、後は頼んだぞ!」
「え、あ、はいっ……!?」
承諾を返しきるよりも早くリリアの姿がぱちりと消え、たちまち再び図書室らしい静寂が訪れる。
新入生出迎えの準備か、リリアの予想が正しいことを前提としたマレウスの捜索か。
コレットは少し悩んだのち、やがて先程の風魔法で図書館の入り口を中から施錠すると、二人の師から教わった得意の転移魔法で姿を消す。刹那、白い羽毛のような光がふわりとその場に舞った。