Prologue-02 Admission



時は2年ほど遡る。
それは、コレットがナイトレイブンカレッジの門を潜る、少し前の話だ。




光陰矢の如し。人間の一生とは瞬きの間に過ぎ去るものである。生まれたばかりの赤子はたった1年ぽっちで二足歩行を身につけ、何をするにも嫌だ嫌だと泣き喚いていたかと思うと気づけばすっかり聞き分けがよくなり、やれおつかいだのやれ炊事洗濯だのと一丁前に大人の真似をしたがるのだから不思議なものだ。リリアは感慨深げにほうと息を吐いた。と、言うのも話はほんの数分前に遡る────。




「おじさま!リリアおじさま!」


リリア・ヴァンルージュが居を構える森の家の前に白い羽のような光がふわりと舞い、中から一人の少女が現れる。少女は妖精と人間の混血であり、名をコレット・オディーリエといった。
コレットは浮かれ口でソプラノの声音を弾ませながら、古い小屋もといヴァンルージュ邸の戸を叩く。戸を開け出迎えたのは、呼びかけた人物とは異なる銀髪の少年だった。


「コレット、お前はまた護衛もつけずに…」
「ごきげんようシルバー。王宮から直接転移したから平気よ」
「そういう問題ではない」


この家の住人でありリリアの息子たるシルバーはやれやれとため息を吐き、少々お転婆が過ぎる幼馴染を部屋に招き入れた。外はつい先程まで晴天だったというのに、いつのまにやら分厚い雨雲が空を覆い、今にでも嵐がやってきそうな天候に様変わりしている。転移先で大雨に見舞われず済んだのは幸運だろう。


「おお、よくきたなコレット!」
「ごきげんよう、おじさま。あら、お料理中でしたか?」
「うむ、今日はわしが腕を振るおうとしていたところじゃ。コレットも食べていくがいい!」
「まあ、うれしい。それならぜひ、私にもお手伝いさせてくださいな。ほら、こちらのハーブを足したらもっとおいしくなると思いませんか?」


キッチンで作業するリリアの隣に並び、自然な動作で手中の謎の干物…恐らくイモリか何かだろうそれをを取り上げ、代わりにあらゆる臭み消しに適したハーブを握らせる。先手必勝、いいから座っておれと断られる前にそうするのが肝心だ。
「おお、確かによさそうじゃ!」と上機嫌な父の背を見て、シルバーは思わず深々と安堵のため息を吐いた。こうして相手を不快にさせない範囲で手と口を出し、生み出されようとしているゲテモノの被害を最小限に食い止めるその手腕をどうにか自分も習得できないかと思っているのは内緒だ。今日まで自分が無事に生きてこれたことの何割かは確実にコレットの手柄だろう。つまりコレットはリリアの扱いが上手かった。こう見えて策士の女は「俺も手伝います」とさり気なく隣に立った横顔に共闘を求めんと軽いウインクを送ると、空気の読める男は黙ってそれに頷く。今宵の安全が保証された瞬間だった。

小さな家のキッチンは3人並ぶと些か狭い。
そんなこんなでいつの間にか火のかかる鍋からそれなりにやんわりと遠ざけられてしまったリリアは、はてこれはわしの出番がないのでは、と気づき一歩足を引く。除け者にされている感が否めず文句のひとつでも垂れたくなったが、調理に勤しむ仲睦まじげな背中を見ているとふいに懐かしさが込み上げた。


この二人を初めて引き合わせたのは、本人らが覚えいないほど幼い頃だ。
茨の谷で知らぬ者はいない大貴族オディーリエ家の嫡男であり、リリアの旧知の友でもあった男がある日突然行方知らずとなって早数百年。いつの間にか人間と結婚し、娘を授かっていたのだという、よくあるようなないような話から始まる。
だがしかし、奴の父親であるオディーリエ現当主に呼び出されて馳せ参じたその場に懐かしの友の姿はなかった。代わりにいたのは二足歩行を覚えたばかりの赤ん坊と、それをオディーリエ邸の前に転移させてきた彼の者による魔力の痕跡のみ。リリアのユニーク魔法で赤ん坊が包まれていた名入りの毛布の記憶を覗き、友である男ととある人間の女との間に生まれた子供だということ、そして母親はその後病で逝去していることがわかったが、残りは察してくれと言わんばかりな不親切ぶりにその場にいた妖精達が皆頭を抱えたのは余談である。
それから、オディーリエ家の正式な血縁として認め養育することとなった件の赤ん坊───コレットを紆余曲折あって時折預かることになったリリアは、シルバーの遊び相手にもちょうど良いと纏めて面倒を見ていたのだ。リリアはリリアでその頃、まだ引き取ったばかりであるシルバーの子育てに奮闘していたので、オディーリエ家による支援も得られるのは単純に僥倖だった。
そんな経緯でまるで姉弟のように育った二人も、シルバーは今年で15、コレットはもう16だ。心優しい少年は厳しい鍛錬を重ねて強く逞しい男に成長し、お転婆な少女はやがて茨の谷の貴族に相応しい素養を身に着け立派な淑女となった。

そんな中、リリアの次に二人の成長を見守ってくれていたと言っても過言ではない、茨の谷次期当主たるマレウス・ドラコニアがコレットとの婚約を発表したのはいつだったか。
これについて、詳細を知るのはマレウス本人と女王、そしてコレットの祖父だけである。当時まだ幼かったコレットと良くて保護者、言葉を選ばなければペットのようにそれを見ていただろうマレウスとの間に何があったのか、リリアですら未だ聞き出せていない。
無論、元老院が「人間の血が混ざった半端者を王子の伴侶になど、高貴なるドラコニア一族の血統を汚すおつもりか」と当初喚きに喚いていたのは言うまでもない。しかし、今やすっかり静かになっているのは、十中八九「半妖の短い生涯を終えた暁には王子に新たな番を」という魂胆があるに違いないにしても、彼女が半妖であること以外は本来悪い縁談ではない家柄だからという事情も大いにある。

オディーリエ────大魔法士たる強大な力を操る悪魔であり、その父親によって黒鳥の姿に変えられた娘の末裔の一族の名だ。コレットの祖父に当たる現当主のロアンバルト・オディーリエはマレフィシア女王の腹心であり、一筋縄ではいかぬ貴族たちを束ねる茨の谷にとって欠かせない存在だった。
そしてもうひとつ。これまで永きに渡り血の呪いによって女児が生まれないとされていたオディーリエ家に誕生した唯一、それがコレットだった。大悪魔の一人娘である黒鳥の血を一族の誰よりも濃く受け継いだこの娘を生涯茨の谷に縛りつけることができるのならば、マレウスとの婚姻もそれはそれで悪い話と言い切れない……と、要は元老院の醜い打算だ。
ある意味似合いで難儀な奴らよのう、と若くして一国の未来を背負う我が子同然な二人を思い、リリアは僅かながら物憂いた。


「そうだわ二人とも、私も秋から魔法士養成学校に通うことになったの!先程陛下とマレウス様にも謁見して、正式に許可をいただいたわ」


料理を進めながらコレットがふと口を開く。嬉々と声を弾ませるその様子から、今日はこの報告がしたくてやってきたのだろう。
私も、というのはつい先日、婚約者であるマレウスの元に魔法士養成学校の名門≪ナイトレイブンカレッジ≫より入学許可証が届いたからだ。マレウスは当初「学園で学ぶことなど何もない」と難色を示したが、女王の賛成に加えて見識を広げよというリリアの説得により晴れて入学が決定したのである。そして、どういうわけかリリアも500年前に捨てたはずの許可証が保管されていたことが判明し、マレウスのお目付け役として入学することが決まっていた。シルバーと今ここにはいないもう一人の幼馴染、セベクがマレウスより直々に留守中コレットを頼むと仰せつかったのは記憶に新しい。


「おお、それはめでたい!では、秋からわしとマレウスと3人で“ピッカピカの一年生”というわけじゃな?」
「ふふ、なんですかそれ」
「外で有名なフレーズじゃよ。お主も茨の谷から出て生活するために外の常識を学ばねばな」


朝焼けの瞳をきらきらと輝かせながらはいと頷くコレットのオーラは希望に満ち溢れている。外の世界への憧れを常から口にしていた彼女は、秋からさぞ学生生活を満喫することだろう。つい微笑ましくなりながらシルバーも続いて「おめでとう、コレット」と声をかけると、すかさず満面の笑みで「ありがとう」が返ってきた。誠に平和である。シルバーの瞼の裏には制服姿のリリアとマレウスに挟まれたコレットが楽しげにNRCの門を潜る絵が容易に想像できた。
……が、しかし。


「でも一人で茨の谷を出なければならないのは少し不安です。それに女子校ですもの、同世代の女の子とお話しするのは初めてだから上手くやっていけるか心配だわ」

「……ん?」「……は?」


ふっと思い詰めたようにため息を吐いてみせるコレットの傍ら、場の空気が一瞬凍結した。先にリリアがは、と何かに気づいたように息を呑む中、シルバーは重い口を開く。


「……コレット、お前もナイトレイブンカレッジに入学するのではないのか………?」
「え?やだわシルバー、あそこは男子校じゃない」


そうだった。とは顔に出るのみで声を発する余裕はない。
……NRCが男子校であることを知らないわけではなかった。そもそもツイステッドワンダーランドの教育機関は高等学校から男女で分かれていることが珍しくなく、名門となれば尚更のことである。
しかし、それでも。なんとなく、コレットはこれからもずっとマレウスやリリアと共にあり、来年になれば恐れ多くもそこに自分も加わるのだろうと漠然と信じて疑わなかったのだ。同様に驚いていたリリアも恐らくその思考だったのだろう。


「わしもすっかり失念しておったわ。まぁ可愛い子には旅をさせよと言うしな、存分に学んでくるがよい!」
「親父殿そんな呑気な!」


最初こそ動揺したリリアだが、彼は基本的に放任主義だ。すぐさまあっけらかんとした調子でからっと笑ってみせる姿にシルバーだけは一人、焦りを露わに固く拳を握った。
世間知らずな癖に好奇心だけは一丁前なコレットを知らない場所に送り出す不安はまぁ、ないわけじゃない、いや正直に言って大いにあるが、シルバーにはもうひとつ最大の懸念があった。…恐る恐る窓の外に意識をやる。遠くで響く雷鳴に嫌な予感がした。


「コレット、マレウス様はそのことについて何も言わなかったのか?」
「なぜ?普通に喜んでくださったわ」
「……入学先を知っても?」
「入学許可証を見せてからは急にお静かになられたけれど……そういえばおじさまとシルバーのところへ行くとお伝えしたのに今日は同行を望まれなかったし、どう────」


どうなさったのかしら。コレットの能天気な言葉は刹那、世界を滅さん勢いで轟いた雷鳴に容易くかき消された。






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