Trump soldiers!
ナイトレイブンカレッジとは、ツイステットワンダーランドに数ある魔法士養成学校の中でも選りすぐりの魔法士を集めた所謂名門である。それゆえに生徒達はプライドが高く、競争心の強い個人主義者が多い。入学時点で特別扱いされた生徒がいるともすれば当然、面白く思わない者もいるだろう。
「(こうなることを想像はしていた、けれど……)」
「なぁ、聞いてんのか?」
「ビビっちまって声も出ねんじゃねーの?」
「マレウス・ドラコニアの連れだかなんだか知んねーけど、ここはアンタみたいな嬢ちゃんが来るとこじゃないっつってんだよ」
入学式翌日、すなわち記念すべき学園生活一日目。朝はマレウスとリリアと共に登校し、コレットが当初描いていた夢が早速ひとつ叶ったことは余談であるが、現在次の授業の実施場所である魔法薬学室へ移動しているのはコレット一人だ。
此度のクラス分けにて、コレットとマレウスはB組、リリアはC組と配属されることとなった。クラスの違うリリアは当然授業も違うし、ではマレウスはというと先ほど寮長引き継ぎの件で学園長に呼び出された。そのため一人で教室移動をする今に至る。
そして、そんなコレットの前に立ち塞がる男子生徒が3人。鮮やかな赤のベストと腕の寮章から彼らは間違いなくハーツラビュル寮の寮生……なのだが。入学前に身につけた予備知識では、ハーツラビュルとはハートの女王の厳格な精神に基づく寮のはず。こんな、少し前にセベクの姉から借りて読んだ少女漫画ですらもっと凝った登場をしていただろうヤンチャ盛りの小悪党が果たして、女王の法律を遵守できるのだろうか。法律どころか、こんな“嬢ちゃん”一人に対し、男三人が寄ってたかって取り囲むという何とも情けない状況である。それも、わざわざマレウスがいない隙を狙って。
「カラダ使って入学できたんだから進級や卒業もさぞ楽だろうなぁ?ま、そうやってせいぜい大人しくしてられんなら、俺らもアンタお得意の武器、使ってやってもいいぜ?」
無論、コレットはこの無礼かつ無粋かつ下品な絡みに怯んでだんまりを決め込んでいるわけではない。言葉選びから滲む育ちの悪さに眉を顰めたくはなるものの、元老院や人間に敵意を抱く貴族妖精の悪意に満ちた嫌味に比べれば可愛いものである。
つまり、あまりの小物具合につい呆気に取られてしまっていただけなのだが、それを恐れと勘違いしたらしいおめでたい頭の持ち主は、ひとしきりコレットを煽ってはけらけらと下卑た笑みを向けた。その時、いい加減退屈でつい、「……はぁ」と盛大に吐き出したため息がこの男の逆鱗に触れたらしい。
「ああ?なんだその態度は」
学内での私闘は禁じられているとのことなので、このまま彼らが飽きるまで無視し続けようと思ったのだが、自分はまだそこまで大人ではなかったらしいとコレットは軽く反省した。しかし、このまま互いに時間を無駄にするのは得策ではないし、何より面倒だ。コレットは顔を上げると、3人に向かってにっこりと、清々しいまでに美しく上品な笑みを浮かべる。
「お気を悪くされましたら申し訳ございません。厳格な精神に基づいたハーツラビュル寮もこんなものかと、驚きと感心、それから……呆れがつい先行してしまいまして」
「……なんだと?」
「どうやら口だけは達者みてぇだなぁ……言っとくが俺らの寮長はルールに縛られない寛大な人柄でよ、ついでに他人の口出しを心底嫌うんだ。ハーツラビュルを馬鹿にするってことは寮長を敵に回すことと同じだぜ?」
「まあ、恐ろしい。それならばその寛大な寮長様にお言伝てくださいませ。『小娘一人相手に三人で立ち塞がるだけに留まらず、他者の名を脅しの道具に使うような矮小な人間を放置しては、あなたの品位にも関わるのでは?』と」
「…て、テメェ……!」
にこにこ、にっこり。浮かべた笑みを一ミリも崩さず絶妙な抑揚でそう言ってのけるコレットのわかりやすい挑発に、男はいとも簡単に乗った。マジカルペンを構え、「女だからって容赦しねーぞ!」とそれはそれはお決まりの小悪党台詞を放つ姿に一周回って感動してきたのは内緒だ。
「学園内で魔法による私闘は禁じられているのをご存知ないのでしょうか?ハートの女王の法律以前にもまず、生徒手帳からご確認なさった方がよろしいかもしれませんね」
「う、うるせぇ!それなら厳格な精神に則ってこの俺がお前を排除してやる……炎よ、この女の髪を燃やしちまえ!」
明確な悪意をもって投げつけられた火属性の攻撃魔法に、コレットは一つゆっくりと瞬いてみせた。男の手元で小さな火が徐々に大きくなり、やがてこちらへ向かってくる様がやけにスローモーションで再生される心地の中、炎から目を逸らすことをせずに静止する。この恐れるにも足らない態度、この魔法は彼女を傷つけるにはあまりにも遅すぎたのだ。とっくに張っていた魔法障壁に火球がぶつかるまで、あと数センチ───のところで。
「白を赤に、赤を白に!≪
突如、別の人間の詠唱が風を切ったかと思えば、今まさにコレットへ向かっていた火球がたちまちトランプに変わり、やがてぱさりと地面に落ちる。
「お前……確か一年の……!」
「女子に乱暴は感心しません、先輩方」
この3人組、先輩だったのか。心の中で思わずそんな声を上げたのはさておき、魔法障壁を解いて声の主に目を向ける。
身に纏う制服の色から彼らと同じくハーツラビュル寮生だ。背丈はちょうどシルバーとセベクの中間くらいだろうか、深い緑色の髪に芥子色の瞳。クローバーのスートに黒縁の眼鏡をかけた少年はこの騒ぎに慌てて駆けつけてくれたのか、軽く息を切らしながらコレットの前に立ち塞がると、焦りを帯びた眼差しで“先輩方”を非難した。
「寮内の治安の悪さを外にまで持ち込むのは、寮どころが学園全体の評判を落としかねません」
「一年坊が……生意気言ってんじゃねぇ!」
「その一年生にそこまで言わせるあなた方は、先輩として恥ずかしいと思わないのですか?」
「てめっ……!」
一年生二人の正論に再び目が血走った男は、いつの間にやら少し離れた位置に移動した一人に「おい!」と合図を送った。死角からマジカルペンを構えられて途端、眼鏡の少年の顔色は「まずい」と言わんばかりに目を見開く。
「水よ、こいつらを溺れさせろ!」
先ほどの火球よりも早い発動で急流のような水がこちらへ向かってきた。少年は先ほどの詠唱をもう一度唱えようとするが、到底間に合いそうもない。
ならばせめて自分が盾となり、この女子生徒への衝撃を少しでも和らげる他ない、と逃げもせずにその場で固く目を閉じた────が、しかし。
「うわああああ!!」
覚悟していた衝撃はいつまでも来ないどころか、逆に魔法を放ってきた先輩の悲鳴が聞こえてきて、恐る恐る目を開ける。そして、絶句。
放たれた水魔法はその何倍もの威力となって詠唱主を襲い、滝のような水を浴びる羽目になっていた。
「た、大変。慌てて魔法障壁を張ったものだから、衝撃の吸収が間に合わなかったわ……!」
背後の声は慌てふためいていて、口ぶりから少年はこの女子生徒が防衛魔法を行使してくれたのだと理解する。次の瞬間に大量の水は綺麗さっぱり消え去り、ほうと吐き出された安堵の息が聞こえてきた。
「申し訳ございません先輩、お怪我はありませんか?」
「…ば、化け物だ……」
女子生徒は防衛魔法を解いてすぐさま溺れかけていた男の元へ駆け寄ったが、たった今自分を殺しかけた人物に心配されるのは恐怖でしかないだろう。先ほどまでの威勢はどこへやら、すっかり青ざめた顔で腰を抜かしたまま後退っている。殺されかけた、というのは語弊で、強力な魔法障壁に跳ね返った魔法を浴びただけという、完全にただの自爆ではあるが。
こんな魔法障壁、“裏口入学“が噂されるただの一般魔法士に張れるはずがない。経緯はどうあれ、彼女もまたNRCの入学資格を持った優秀な魔法士であり、そして、この狼だらけの学園を実力で生き抜くことができるという絶対的信頼が周囲にあってこその入学だったのだろうと少年は察する。
先輩方もそれがわかったのか、やがてずぶ濡れのまま脱兎のごとく逃げ出した。唐突に訪れた静寂の気まずさに「あー…」と頬を掻く中、女子生徒───コレットは少年を振り返る。
「助けていただきありがとうございます。あなたは、えっと……」
「ああ、トレイ・クローバーだ。助けたって言っても完全に余計な手出しだったみたいだが」
「いいえ、そんなことはありません!あの先輩方のおっしゃる通り、私は特別に入学が認められた学園の異端者ですもの。そう見なさずに手を差し伸べていただいたこと、とてもうれしかったです」
「自分の寮の先輩だったしな……ハーツラビュル寮はハートの女王の厳格な精神に基づく寮だと聞いていたんだが、実際に入寮してみたら寮内は荒れ放題、さっきみたいな厳格とは程遠いチンピラ集団の溜まり場って感じで俺も戸惑ってるよ」
「まあ……私も違和感は覚えたのですが、まさかそんな大変な状況だったなんて」
「申し訳ない。あの先輩に代わって俺がお詫びする」
「お詫びだなんて、トレイさんには寧ろお礼を差し上げたいくらいです。そうだ、申し遅れました、私はコレット───」
「コレット・オディーリエ、だろ?昨日入学式後の騒ぎに居合わせたんだ、さすがに知ってるさ」
どうやらコレットの名は既に学園全体に広まっているらしい。それはそれで様々な噂が尾鰭をつくのも当然かと納得してしまう。実際、裏口入学という点はあながち間違っていないのだから。
「昨日に続きお騒がせしてばかりで面目ないです…」と申し訳なさげに朝焼けの瞳を伏せつつ、それでも目の前のこの親切な少年のように色眼鏡で見ずに接してくれる生徒もいるという事実はコレットにとって喜ばしいものだった。やがて再びトレイへ目を向けると、「ですが」と改まって切り出す。
「これもひとつのご縁として、どうか他の生徒と同じように仲良くしていただけたら幸いです」
「ああ、もちろん。よろしくな、コレット」
彼女のみが身に纏う女子用の制服のスカートを摘んでお辞儀をしてみせる、いかにもお嬢様というような洗礼された所作にトレイは内心むず痒くも思ったが、正式な手続きを経てこの学園に通う彼女を敬遠する理由はひとつもなかった。片手を差し出して握手を求めると、コレットの表情がぱっと輝く。すぐにその手をとり、「こちらこそよろしくお願いします」と握手を交わした。昨夜ディアソムニア寮内では同級生と話す機会に恵まれたが、寮外での友人ができるのは初めてだし、初日にして幸先が良い。
コレットは嬉しげににっこりした後、不意にはっと焦った顔つきで彼を見やる。予想外の出来事によって休み時間が残り少ないことに気づいたからだ。魔法薬学室はすぐ近くなので自分はまだいいが、彼はその限りでないはず。
「大変、もう授業が始まるわ。トレイさんも移動中でしたよね、私のせいで遅刻したとなっては申し訳が立ちません……!」
「ん?ああ、魔法薬学室はここから近いから大丈夫だよ。コレットもだろう?」
「え?」
「俺はA組、次の魔法薬学のオリエンテーションはB組と合同だ」
「ああなるほど、お隣さんだったのですね。では、一緒に参りましょうか」
「と、その前に学友として一つ要望だ。そんなに丁寧に話されると少しむず痒くてな……同級生なんだし敬語は抜きでいかないか?」
急ぐでもなく告げられた要望にコレットは目をぱちくりと瞬かせるが、やがて首を縦に振った。同級生との適切な距離感……とは敬語ではおかしい、らしい。
「わかったわ」
「よし、それじゃあ魔法薬学室へ行こう」
その後コレットとトレイは目的地へ歩みを進めながら互いに自己紹介がてらの雑談に花を咲かせた。コレットは自分が妖精族の血を濃く引いた人間との混血であること、茨の谷で宰相を務める貴族の孫娘であること、そしてトレイは薔薇の王国出身で実家がケーキ屋であり、自分もお菓子作りが趣味なのだということ。国が違うだけでこうも生活様式が違うのかとコレットはトレイの話に都度感心していた。
「へえ、コレットも料理をするのか。箱入りのお嬢様だと思ったからなんだか意外だな」
「私は趣味で始めたというより、人命救助の一環みたいなもの、かしら……」
「ははは、なんだそれ」
「笑い事じゃないんだから。おじ…私の師匠のお料理があまりにも独創的で、まともな味覚を持った人が制止しないといつか死人が出るの」
「……そ、それは強烈だな……」
「でしょう?そんな事情だから本格的なお菓子はあまり作る機会がなくて。私も挑戦してみようかしら」
「それなら今度一緒に作るか?申請を出せば厨房を借りられるらしいぞ」
「まあ、本当?それならぜひ────」
「よかった、トレイくん!なかなか来ないから道に迷ったのかと思っ────って、噂の女子じゃん!」
魔法薬学室に足を踏み入れてすぐ、会話を割った人物に思わず目を丸くして歩みを止める。こちらへ真っ直ぐ向かってきた橙色の髪の少年も同様で、トレイの隣にいるコレットの存在を認識するや否や、顔に驚愕の色を貼り付けて固まった。そんな彼をトレイが「ケイト」と呼ぶ。
「ちょっとトラブルでな、遅くなった」
「トラブル、ねぇ」
ちら、と明るい緑色の視線がコレットへ向けられた。十中八九この子じゃん、と口には出さずも顔に書いている。その意図を正確に読み取ったコレットは先程トレイにしたように粛々と礼をとってみせた。
「お初にお目にかかります、1年B組のコレット・オディーリエと申します。教室移動中に困っていたところをトレイさんに助けていただき、そのままご一緒いたしました」
「いやその助けたっていうのやめないか……何の役にも立たなかったじゃないか」
「私は本当に助かったのだけれど」
「へー、困ってる女の子を助けるだなんてトレイくん超かっこいい!」
「ほら、こうやって揶揄ってくる奴もいるだろ?」
困ったように苦笑いするトレイの傍ら、「えー揶揄ってないよ〜」と軽い調子でにこにこする彼には、今まで関わってきたどのタイプとも違う新鮮味を感じる。やや借りてきた猫状態で相手の出方を窺っていたコレットにケイトと呼ばれた少年は向き直った。
「オレはケイト・ダイヤモンド、トレイくんと同じハーツラビュル寮かつD組だよ。堅苦しいのは苦手だから気楽に接してもらえると嬉しいな、よろよろ〜⭐︎」
「よ、よろ……?」
ゆるゆるっと自己紹介しながらケイトは片目を落とし、ピースサインを送ってみせた。そんな彼一人の存在で世界の広さを感じたのは内緒である。とりあえずトレイと同じく、同級生に敬語は不要だという解釈でよかったか。
戸惑うコレットをよそに一方ケイトは彼女の頭の天辺からつま先まで、不躾にならない視線使いで密かに観察した。
────昨日の入学式直後、一時とんでもない騒ぎとなった渦中の人物が目の前にいる。まさか授業開始初日にして自然と会話の機会がやってくるとは、幸運と捉えていいものなのか。
そんな心境の中、ふとある時に気づく。
「ねえコレットちゃん、マレウス・ドラコニア…くん、は一緒じゃないの?」
身内の手前、慌ててフルネームに敬称を付け足したが、ケイトが見回したどこにも渦中の人物その2である本人の姿はない。言うならば己の身勝手で彼女を入学させたにも拘らず、こんな初日に放置するとは全く理解できないのだが。
「(わざわざ男子校に連れてくるくらいだし、相当心酔してるのかと思ったけど……いや、逆に男子校連れてきちゃう程度にはどうでもいい存在ってこと?)」
後者であるならばこの女子生徒に少し同情してしまうところだが。しかし、返ってきた答えはその後ろ暗い考察が確信に至るに今ひとつ根拠が足らないものであった。
「マレウス様は昨日付けでディアソムニアの寮長となられたので、その手続きの件で学園長からお呼び出しを」
「入学初日で寮長!?」
「ええ、先代寮長直々のご指名だったの」
「うわぁ……さっすが……んんっ、それで一人で移動してたんだ!困ってたって、もしかして迷子はトレイくんじゃなくてコレットちゃんだったり?」
「ふふふ。学園の敷地は広いけれど、迷うほどではないわ。私の存在が気に入らない先輩方に足止めされてしまっていて、放たれた攻撃魔法をトレイさんが無効化してくれたの」
「ええっ」
マレウス・ドラコニアの身内を攻撃するとは何て度胸のある、と喉先まで出かかった言葉を飲み込む。代わりに「それ、大丈夫だったの?」と付け足すと、その問いに今度はトレイが答えた。
「ああ。コレットの防衛魔法はなんていうか……すごかったよ。最初から俺の出る幕じゃなかった」
「もう、またそんなこと言って」
「当然だろう、コレットに魔法を指導したのはこの僕なのだから」
「へぇ〜、世界で5本指に入る魔法士が師匠だなんて贅沢……えっ!?」
しれっと会話に入ってきた男の声にケイトだけでなく、トレイまでもが仰天した様相で飛び上がった。それほどまでに声だけでも只者ならぬオーラを感じたのだ。この場でただ一人、コレットだけが「まあマレウス様、お手続きお疲れ様でございました」と呑気に微笑んでいる。
声の主は誰なのかもう答えは出ているのだが、コレットの視線を追って二人は恐る恐るながら振り返ってみることにした。
そして案の定、そこには間違いなく今話題性No. 1である新入生マレウス・ドラコニアの、ケイト的な言葉選びをするならば“威圧感がハンパない”ご尊顔。目が合ったら死ぬとまで噂が一人歩きしている妖精の登場に教室内も些かざわついている。
「マレウス様、こちら隣のクラスのトレイ・クローバーさん、そしてケイト・ダイヤモンドさんです。トレイさんには先程、危ないところを助けていただきまして」
「コレット、だからそれはお前が」
「ああ、話は聞かせてもらった。……クローバー、と言ったな?」
「……あ、ああ」
「大切な婚約者を救ってもらい、礼を言う。これはその印だ、受け取るがいい」
「はっ?いやでもこれ、確か茨の谷でしか採掘できないっていう貴重な魔法鉱石じゃ……!」
マレウスの手から渡されたそれはまるで「クッキー焼きすぎちゃったからお裾分け」とばかりな軽い調子であるが、決してこんなところでおいそれと出していい代物ではなく、トレイもケイトも現物を見ることすら初めてだった。あまりの恐れ多さにトレイの眼鏡がずれ落ちそうになる。大したことをしていない上に、こんな高価なものを持ち歩いたら今度は自分が無事授業を終えて寮に帰れるかわかったものじゃない。
「ああそうだ、これでは足りないか?それならば、」
「いや、いい!お礼なんていいから、これは然るべき時のためにしまっておいてくれ。こんなもの俺がもらっても持て余すだけだ」
物凄い剣幕で突き返され、マレウスは渋々鉱石を異空間にしまう。いらないものをやっても礼にはならんだろうと早々に理解したらしい。
「だが、茨の谷次期王妃たる彼女を救ったのだから、何もないというわけにはいくまい。本来ならばクローバーを国賓として招待し、谷の総力を挙げて持て成すのが筋だ」
「だ、だったらいつか茨の谷産のベリーを少し分けてくれないか?あれはなかなか一般市場に出回らないからな、前から気になっていたんだ」
それこそ冗談じゃないと顔に書いたトレイは慌てて瞬時に頭を働かせ、その果てに思いついた『礼』を自ら口にした。マレウスの目が呆気にとられたように丸くなる。人間とは理解できない生き物だとばかりな表情だ。
「そんなものでいいのか?………わかった、近々お前のところに届けさせよう」
「ありがとう、助かるよ」
後日、大量のベリーがハーツラビュル寮に届き、それはそれで仰天しひっくり返ったのは言うまでもない。
一先ず納得したマレウスは改めてトレイとケイトの間にいるコレットを一瞥した後、「コレット、こちらへ」と手招きした。それに従い、マレウスの元へ一歩踏み出したコレットは次の瞬間、マレウスの腕によって引き寄せられる。抱き締めるとまではいかなくとも、寄り添うように肩を支える絶妙な距離感は、なんとなく目を逸らしたくなるような雰囲気を纏っていた。絶句する二人に改めてマレウスが向き直る。
「コレットが世話になったな。彼女の実力は僕も認めている。余程の事態でなけれ人間の手を煩わせることはないだろうが、どうか学友として今後とも仲良くしてやってくれ」
合わせてコレットが慎ましやかに一礼する姿を甘やかな微笑を湛えて見つめるマレウスに、ケイトは思わず顔を引き攣らせた。
同じ男だからこそわかる。これは牽制されているのだ、と。それも、恐らく学園生活を普通に送りたいと望んでいるのだろう彼女の意思を尊重した上で、だ。
「(えっ何、仲良くはしても距離感には気をつけろってコト!?やっぱりめちゃめちゃ惚れ込んでるんじゃん誰だよどうでもいい存在とか言ったの……いやオレだけどさぁ!)」
面倒事は嫌いだ。男女間の修羅場に巻き込まれるなんて御免被りたいので、あの二人とは関わらないに越したことはない────はずなのだが。なんとなく、自ら敬遠しようとは思わないのだ。
それに、この世間知らずで風変わり、そして実際のところかなりすれ違いまくっているだろう妖精カップルの行く末をチェックすればきっと学園生活もより楽しくなるだろう。ケイトは内心やれやれとため息を吐いた。「まぁいっか」と、誰に言い訳するでもなく小さく呟く。
「仔犬ども、始めるぞ」
やがて教室に入ってきた担当教師の声を皮切りに、生徒達は全員続々と席に着いて行った。
そんな中、まるで夜会をエスコートするかのように紳士的な所作で彼女を席へと案内するマレウスの姿を見たその場の人間達は満場一致でこう思い、そしてそれはやがて他クラスから他学年へと伝達されていくことだろう。
─────“マレウス・ドラコニアの婚約者、コレット・オディーリエに手を出すべからず”、と。