In Summer

ミンミンとセミが鳴く、じりじりとセミが鳴く。窓の外は今日も熱そうで、空には雲一つない快晴が広がっていて。私は一人、部屋の中で問題集と向き合っている。――高校三年生の夏、受験生に夏休みなどないのだ。
勉強はどちらかというと得意な方だけど、こう長々と部屋の中に閉じこもっているというのはそれなりに気が滅入ってくるらしい。ぐるぐると肩を回して深呼吸をすれば、どっと疲れが出てくる。クーラーの効いた涼しい部屋の中にいるとはいえ、一人で黙々と演習をするというのは効率が悪いのかもしれない。そういえば、朝から休憩らしい休憩はきちんととっていなかったような気がする。せめて近くのコンビニくらいには出かけてみようかと財布と握る。しばらく触っていなかったスマホの画面をふと見れば、通知が一件。宛名は「奥井翼」、私が二年生に上がると同時に高校を卒業していった二つ上の先輩の名前だ。妙な事に今まで続いている関係に、つくづく縁とは不思議なものだと実感する。

『今なにしてんの』

画面を開けば、一行。簡潔に緑色の吹き出しに書かれているそれに未だに慣れない。ついこの前までは、いわゆるガラケーを使ってメールをしていたような気がするのに。文明の発達は著しい。いつぞやにまだ買い替えてませんと、ガラケーを見せた時「じゃあメアドね」と慣れた手つきで私の携帯にアドレスを登録されたことを覚えている。あの頃が丁度スマホが普及し出したころだったような気がする。私は中学の頃に買ってもらった携帯をそのまま使っていたけど。あの頃から二年ほどしか経っていないというのに、今ではガラケーを持っている方が珍しいくらいになっているとは。

『家で勉強してます。今から息抜きにコンビニに行くところです』

ポチポチと画面をタップして文字を打ち込む。スマホに買い替えた時、このアプリを教えてくれたのも翼さんだし、――というよりも、一緒に買った、の方が正しいかもしれないけど。大学入学を期に、最新機種に買い替えるからといまだにガラケーを持ち歩いていた私を引き摺って携帯ショップまで連れていかれたのは、ある種忘れられない思い出だ。機械音痴、というほどではないけれど、一人で選んでいたら店員さんの説明に圧倒されていたところだった。あの時ほど隣にいた翼さんが頼りになったことはない。いつの間にかガラケーからスマホに。メールからSNSに。案外短い間に沢山のことが変化しているのだと改めて実感する。「奥井先輩」と呼んでいたその人も、大学入学を期に(半ば強制的に)「翼さん」と呼ぶようになったわけだし。

『コンビニ?家の近くの?』

一分も経たないうちに返信が来る。あの人は打ち込むのが早いから。スルスルと液晶の上で指を滑らせて入力している分、時間が短縮されているんだろう。私もその内、そのやり方を教わろうと思う。

『近くまで来てるから』

待ってて、とわざわざ二行に分けて続けて打ち出された言葉にぎょっとして慌ててコンビニまで駆け出す。慌てすぎて途中で家の階段を踏み外しそうになった。アスファルトが焼けてもやもやと揺れる気温だ。正直外に出て来たことを少し後悔した。コンビニまで歩いて10分ほど。自動ドアの向こうからひんやりとした空気が身体に当たる。

「早くない?」
「く、来るなら早く言ってください…」
「こんな炎天下の中走ったら死ぬでしょ」

いつもより少しだけ小走りになっただけなのに、毎年ニュースが言う「例年より暑い」らしい今年は、思ったよりも体力を削るらしい。

「はいこれ、翼さんからの差し入れ」

とりあえずと、イートインスペースまで連れてこられて渡されたのはひんやりとした氷のアイス。いつもの青色のと、期間限定らしい別の味。どっちがいいと聞かれれば、青色のそれを指さす。

「あ、お金」
「だから差し入れだって言ってんだろ」

これは俺のおごり。とまだ袋の中にどっさりと何か入っているだろう様子に、どうするべきか暫く悩んでいれば「俺はバイトしてるから」と先回りで私の出すだろう答えを却下される。仕方なくありがとうございます、と袋を開けてそれを食べれば一気にひんやりとした感覚が口の中に広がる。夏に食べるアイスは、やっぱり美味しい。

「そんなに美味い?」
「……暑かったので、」
「走ってきたもんな」

そんなに美味しそうな顔をしていただろうか。それはそれで恥ずかしい。ケラケラと笑うその様子に一瞬むっとするけれど、アイスの冷たさと程よい甘さでそんな気持ちもすぐにしぼんでいく。私が食べ始めたのを満足そうに見たところで、もう一つの袋を翼さんが開け始めた。シャリ、と齧る音が涼しい。今になって初めて「夏」を感じた気がする。家の中で蝉の声を聞いて、クーラーの下でシャーペンを走らせる。それが嫌だと思ったことは一度もないけれど、そういえば今年はまだ一つも「夏らしい」ことをしていなかった。

「ね、結」

今度の土曜日、空いてる?と気が付けばあと一口ほどになっていたアイスの棒をプラプラと揺らしながら翼さんがこちらを向く。今度の土曜日、用事は特にない。何といっても夏休みの終わる二週間前だ。友達もみんな塾や補習で忙しくて、遊んでいるがないと嘆いていたし。もちろん私も、家の中で変わらず問題集を解く予定だった。だから予定はないですよと答えるのも迷って曖昧な顔のまま返事を出さないままでいれば、最後の一口を食べ終わった翼さんがにんまりと笑った。

「じゃあ夜、ちょっと付き合ってくれない?」
「夜、ですか?」
「そ。大も誘ってるんだけど、祭り。行かない?」

どうせ夏休み勉強しかしてないんだろ、とガサゴソとコンビニの袋を漁りながら指摘される。それは、まぁ。間違ってはいないそれに、そうですねと返せば漁っていた袋の中から取り出した何かをぺたりと頬に付けられる。

「高校の最後の夏休みなんだから、少しくらい遊ばなきゃ損だろ?」

押し付けられたそれを手に取れば、目を温めるアイマスク。夜更かしはしてないはず、だけど。確かに、毎日毎日参考書とノートに向き合う日々だったから、目の奥は少しだけしょぼしょぼとしていたけど。特に気にしてはいなかった。――「奥井翼」という人の、気づかいはつくづく調子がいいというか、タイミングがいいというか。多分、私の気が付いていない部分もあるんだろう。この人がこういう部分を上手くやることを暫くの付き合いで流石に察している。

「お祭り、他のお友達はいいんですか」

だから、翼さんがどれだけ人の中心にいる人かも知っている。大さんはともかくとして、それなら昔の知り合いとか、大学の友達とか。翼さんを誘う人はいっぱいいるだろうに。

「いいの。俺が今誘いたいのは大と結だけだから」

大ちゃん、最近ちょっと頑張りすぎてるみたいなんだよね。と苦笑いをする様子に、なんとなく、翼さんの意図を察する。「それに俺は、誘いに片っ端から乗るような安い男じゃないから」といつもの調子の発言に先ほど感じた「意図」を撤回しようと思ったけど。この人は、結局いつもこうやって「気を使っている」ということを悟らせないようにしているんだろう。そもそも、本人がそれを意識しているのかどうかは謎だけど。それでも、翼さんから見て「大さん」と多分、私も。どこかで「ガス抜き」をさせなければいけない人たちに映ったんだろうという予感は外れていない気がする。

「その日、花火大会のある日ですか?」
「お、興味出てきた?」

花火とかき氷があるなら行きます、と元よりそれらがなくても行く気にはさせられているくせに、あっさりと二つ返事を返してしまうのも、翼さんの気づかいの通りになってしまう気がして少しだけ遠回りな返事を返す。その天邪鬼を知ってか知らずか、あるに決まってるだろと笑う翼さんに、私は「行きます」と返すしかないのだ。
高校最後の夏の思い出の中には、全部翼さんがいそうだと内心苦笑いをしながら、「奥井翼」という人の優しさを思い知らされたような気がした。
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