しとしと、ザーザー。雨の音にも色々あるけれど、今現在17:00を過ぎた丁度この瞬間の雨音は「びしゃびしゃ、ざんざん」だと思う。そして本日の天気予報は大外れ。こういうのをゲリラ豪雨って言うんだっけ。一応念のために普段から入れてある折りたたみ傘を眺めながら盛大なため息をつく。確かにないよりはマシだけど、この天気ならあってもさほど意味がない気がする。授業が終わった頃は、ここまで降っていなかったのに。まだ大丈夫だろうと、少しだけ居残りをしてちょっとしたクラスの仕事をしていたのが少し軽率だった。まぁ、頼まれたばかりのプリントの整理はきちんと終わったからその点は良しとしたい。幸い、駅までたどり着けば家までは近い。いざとなったら濡れてでも走って帰れば風邪は引かない、と思う。多分。
「……何してるんですか、こんなところで」
そう思って、なんとか通学用のカバンを庇いながら電車に乗って学校近くの駅にたどり着いたとき。駅のすぐ近くで、びっしょりとシャツを濡らしている奥井先輩と出会ってしまった。駅にはそれなりに人がいたのに、ぴったりと視線が合ってしまって先輩もまた私を見つけた瞬間ににっこりと笑ったから。無視するのもどうかと思って話しかけたのだ。
「傘がなくてさ〜!駅までならいけるかな?って思ったんだけど」
見ての通り。とカラカラと笑い出した先輩は、当然というか仕方がないというか、くしゅんと一つ鼻を鳴らした。まだ温かい日が続いている季節とはいえ、全身びしょぬれになれば寒いだろう。流石の私も大きめのタオルまでは常備していない。傘を貸して帰ってもいいけれど、先輩の家がどこにあるのかも知らないから。そのまま電車に乗って濡れて帰って、風邪でも引いたら可哀想だ。
「…よかったら、私の家ここから一駅なので」
シャワーくらいなら貸せますよと提案すれば、おお、とキラキラとした視線が返ってくる。この人の容姿は元々目立つから、そういう顔を向けられるとちょっとむずがゆい。他人の美醜に関してはそれほど関心を持ったことがないけれど、それでも奥井先輩の存在感は天性のものだと思う。あれほど誰かの中心にいてしっくりと来る人は中々いない。少なくとも私が今まで関わってきた人の中では、ずば抜けてそういう質の人だと思う。
「ちょっと待っててくださいね。タオル取ってくるので」
結局私の唯一の折りたたみ傘すら役に立つことはなく、今思えば途中でビニール傘でも買えばよかったのに「とりあえずこれ使ってください」といつもの癖で後先考えずに渡してしまったものだから、最寄りの駅からここまで傘を使う使わないで二人揃って濡れて帰ってきたのだ。家までたどりつけば流石に申し訳なくなってきて慌ててバスタオルを取りに行く。お風呂を沸かすにもそれなりに時間はかかる。それまでしばらくは寒いだろうから。タオルを渡して、とりあえずキッチンに向かって緑茶のパックを取り出す。…多分、緑茶を飲めない人はあんまりいないと思う、けど。そう思いつつほんの三秒ほど悩んでとりあえず紅茶とコーヒーも持っていくことにした。何かしら口に合えばいいんだけど。
「で、三つも入れてきたの?」
お盆に乗った三つのカップを見たあと、そっぽを向いて肩を震わせる様子に顔を覆いたくなった。よくよく考えれば、何が好きなのか訊ねればいいだけの話だったのだ。そんな簡単なことをどうして思いつかなかったのかと恥ずかしさで悶えてしまう。
「ね、結ちゃん。俺次来るときはコーヒーがいいな」
「……覚えておきます」
さらりと「次」の約束を交わされたような気がするのは知らないふりをしておく。まだ温かいそれに口をつける様子を眺めつつ、未だに玄関に座らせていることに申しわけなくなってくる。床に引いたタオルと肩にかけたバスタオル、もうすぐお風呂が沸くころだと思うけれど、やっぱりこんなところに座らせてしまうのは寒いだろう。私自身、持ってきたお茶に口をつけながら、一人だけ部屋着に着替えているのだ。
「ありがと。美味しかった」
コトリと、お盆の上にカップが置かれた時にはお風呂の温度もちょうどいい具合になっていて、慌てて押しやるように風呂場に案内する。触れた背中が冷たくて、指先がひんやりとした。「ほんとに俺が先に使っていいの?」と念を押されたけれど、そのために我が家にまで連れてきたわけだから、どうぞと背中を改めて背中を押す。
「着替えは、兄のもので申し訳ないんですけど」
濡れた制服は着て帰れそうにない。下着は先輩がシャワーを浴びている間にコンビニにでも買いに行けば何とかなるだろう。まずはこの人に風邪を引かせないことが最優先だ。何かあったら呼んでくださいねと慌てて脱衣所から出れば「先輩の裸が見たかったら覗いてもいいからね」とドアの向こうから声がしたのは聞かなかったことにする。一歩間違えば押しつけがましくなるだろう親切心を自分でも理解はしている。けれど結局やめられやしないのだろう。それが私で、私が私である為に必要なことで、ある種の長所であるとも思っているからだ。そもそも、突然降りかかった雨に濡れた知り合いを見てみぬふりをして放置するほどひどい人間性は持ち合わせていない。
…先輩とはいえ、一応男の人を家に上げたのは軽率だと家族には茶化されるかもしれないけど。
「…結?次入った方が良くない?」
お風呂ありがとう、風邪ひくよと実はまだ湿っていたらしい私の髪を、いつの間にかお風呂場から出て来ていた奥井先輩につままれれば流石に心臓が飛び跳ねるかと思った。私の髪をつまむ前に一言掛けて欲しい。慌てて振り返れば、ん?と返される視線に抗議しようと思っていた気も失せた。そう言われれば、確かにまだ体は冷えている気がする。先輩を家に引き連れてきておきながら、お客さんを一人放置するのは少々気が乗らないけれどここはありがたく入らせてもらうことにしよう。
「…雨がやむまではゆっくりしていってください」
「そう?じゃあお言葉に甘えようかな」
風邪引かないうちに入っておいでとひらひらと手を振る先輩に、失礼しますと頭を下げてからしばらく。
お風呂から上がった時、いつの間にやら帰ってきていた家族と知らぬ間に意気投合していた先輩が夕食までしっかりと食べて、気が付けば稀に我が家に来るようになっていたのはまた別の話だ。