へえ、という反応はとくになんの感慨も思い入れもなく、言われたことをそのまま反芻して打った相槌というだけの、なんら意味のないただの音の羅列に思えた。

「なるほど、お見合いですか」
「そうよ」

 無意味に跳ねる心臓の音が聞こえやしないかとハラハラして、誤魔化すためにわざとずずっと音を立てて湯呑のお茶を啜ると、すかさず「行儀が悪いよ、主さん」というやんわりとした叱咤が飛んでくる。違和感や懸念などどこにもない、至って通常運転の反応だ。べつに、そのことに異論があるわけじゃない。ええ、もう、断じて、一切、不満なんかない。
 ただちょっと、もうちょっと、なんかこう、面白くないなーなんでかなーみたいな反応をしてほしいだけだ。

「……」

 切り分けられた羊羹を楊枝で刺して口にくわえながら、ちらりと横目で彼を見る。目が合って、わずかに首を傾げながら彼は微笑んだ。そのままにこにこと、なんの邪気もなさそうな無垢な笑顔がわたしを見つめている。とっても可愛らしいのだけど、とってもいたたまれない。今わたしがこんなどうしようもなく恥ずかしくて馬鹿らしくて幼稚なことを考えてるなんて、きっと想像もしていないんだろうと思うと。
 ああ、ああ、こんな、今にもぺしゃんこに押しつぶされそうな惨めな気持ちに陥っているのはわたしのほうだけなんだ。悲しいとか辛いとかっていうより、ただただしんどい。

「そうかあ、主さんもお年頃ですもんね」
「……その言い方はどう考えても語弊がある気がするけど……親戚がうるさいの。だから顔を立てるためにとりあえず行くだけ」
「なるほど。でも、ひょっとしたらご縁があるかもしれないですよね」
「まあ……絶対にないとは言い切れないかな。でも、万が一この先結婚しても、審神者業を疎かにするつもりはないから安心して」
「よかった」

 なんにもよくないわ。
 口の中に放り込んだ羊羹を咀嚼しながら次の羊羹を楊枝でぶっすりと刺して、吐き捨てた。心の中で。
 でも、何もよくないと、そう思っているのはやっぱりわたしだけで、彼は今、心の底から安堵して、ほっと胸を撫で下ろしているのだろう。彼にとってはきっと自らの主が既婚であるか未婚であるかなど些末な問題に過ぎず、自分たち刀剣男士の身の振り方に影響がなければ、どちらでもいいに違いない。それはそうだろう、と思う。わたしだって、もし自分の本丸の刀剣男士の誰かが身を固めたいと言ったとして、とても驚きはするだろうけど、今の戦局や本丸内の秩序に影響がないのなら、とくに反対もしないし、むしろきっと応援する。

 ──もちろん、その刀剣男士というのが、今ここにいる堀川国広以外の誰かである場合に限るけど。

「着付けはどうするんですか?」
「歌仙がやってくれるって」

 堀川は頷いて、また相槌を打った。彼から視線を逸らしながら、わたしは再び羊羹の咀嚼を続ける。

 午後からの仕事をひと区切り終えて、休憩をとりに出て行った近侍と入れ違いに部屋に来た堀川がおやつとお茶を机に並べながら、部屋の隅に置いてある桐の収納ケースを指して、あれは何かと問いかけたのが始まりだった。中身はわたしが成人式のときに誂えてもらった振袖で、実家から送られてきたものだ。

 来週、お見合いすることになったから。

 あわよくば面白くなさそうな反応をしてくれないものかと、期待半分、下心半分みたいな勢いで答えた。結果は、さもありなんである。

 へえ、そうなんですね。

 兼さんがお見合いをすることになったと言ったほうがずっと大仰なリアクションを得られたのではないかと思うような、そんな温度のない反応だった。
 馬鹿みたいだ。わかっている。みたい、じゃなくて馬鹿そのものなんだってことも。刀と主という関係から逸脱した気持ちを抱いているのは自分のほうだけってことも。そして何より、弱虫で臆病で意気地なしなわたし自身がだめなんだってことも。わかっているのだ。
 伝えるための努力など何もしていなくて、そもそも勇気が微塵も湧かない。それなのに愚かな期待をして夢ばかり見て。ああもう、本当に、自己嫌悪という言葉はわたしのためにあるんじゃないかと思うくらいだ。自意識過剰すぎて、そこからまた自己嫌悪なんだけど。

「……いっそ真面目に婚活でもしようかな……」

 何もかも全部諦めて、ただ楽なほうへと逃げたほうが幸せなのかもしれない。
 ぼそりとした呟きに返事はなかったので、きっと堀川には聞こえていなかったのだろう。
 わたしは最後の一切れである羊羹を口の中に放り込むと、それをお茶で流し込んで、近侍が戻ってくる前にと次の仕事の段取りを立て始めた。



 わたしがお見合いをすることになった話はあっという間に本丸中に知れ渡って、大体みんな歓迎してくれたけれど、中には面白くなさそうに頬を膨らます子もいた。その子たちは別にわたしに恋愛感情的なものを抱いているわけではないだろうが、自分らを蔑ろにしてくれるなと袖を引かれることに決して悪い気はしなかった。主として慕われることは単純にとても嬉しい。ただ、お見合いなんて形式だけのものだからと彼らを宥めるにあたって、わたしが本当に心からいちばんそれを言いたいひとは、やっぱりなんの感慨も思い入れもなさそうにいつも通りにこにこしているだけだったけれど。

 たとえ相手が堀川じゃなくても、刀の神様に恋なんて不毛以外の何ものでもないんだろう。
 ああ、やはり早々にいいひとを見つけるべきなのかもしれない。今回の見合い相手がそうなるのなら、それに越したことはないし。

「では主、僕が手を入れられるところまでは自分で準備をしておいてくれ」
「はーい」

 来たるお見合いの当日。朝食をとったあと、歌仙の声を受けて自室へと戻る。彼が着付けをしてくれるわけだが、さすがに下着段階での下準備は己で済ませておけとのお達しだった。わたしは歌仙が相手ならまったく気にしないし、おそらくは彼も同じ気持ちだけど、下手に逆らえば嫁入り前の娘が男に簡単に肌を見せるな云々という懇々とした長いお説教になることは目に見えている。あんたはわたしのお父さんかと突っ込みたくなるけれど、最近それでもいいなと思えてきたので、雅の力とは恐ろしいものだと思い始めている。

 成人式のときも覚えがあるが、振袖はとにかく色々と面倒だった。着付け自体もそうだけれど、用を足すときとか、あとお腹が苦しくなるとか。会食の席で高級な懐石料理が出る予定だが、きっとまともには食べられないだろうから、帰ってきたら燭台切お手製の大皿料理をしこたま食べようと意気込んでいる。出掛ける前に今夜のメニューを聞いておこうかな。

(えっと、まず準備するものはなんだっけ)

 着付けの手順を思い返しながら、自室の襖を開ける。廊下の木の床から、畳へと足を踏み入れて、その次の瞬間、何故かわたしは両膝とお尻を藺草の上にぺたんとつけて座り込んでいた。

「……あれ……?」

 まだ何をしようともしていなかったのに、なんでいきなり座ろうと思ったんだろう。いや、座り込もうなんて微塵も考えてなかったはず。おかしいな、と思って手を畳につき、立ち上がる。否、立ち上がろうとした。
 まるで脳みそをシェイカーに入れてつよく振っているのではというくらい、ぐらぐらとした激しい眩暈に見舞われて、中腰になっていた身体はそのまま後ろへと倒れ込んだ。

「──!」

 舌がもつれて咄嗟の悲鳴すら出ない状況で、身体を畳に思いきりぶつけるという危惧だけは一瞬の間によぎったけれど、その危惧の通りに痛みに襲われるという事態にはならなかった。途中でどさりと何かに背を支えられ、そのままずるずるとお尻を再び畳につけて座り込む。うとうとと舟を漕ぐときのように揺れる首を手のひらが支えてくれて、初めて誰かに身体を預けているんだということに気がついた。身を捩ろうとして、でも叶わない。シェイカーに入れられているのはわたしの脳みそではなく世界のほうなのではないかと思うほど、眩暈がひどくて視界が判然としない。

「……え、えー、ごめん誰……?」

 声はまだ幾分かはっきりとしていた。今の状態では縋れるものがそれしかないから、自然と不安が滲んでか細くなっていく。

「なんかよく、わからないんだけど、調子が悪いみたい……だから、できたら薬研を、」
「必要ありませんよ」

 呼びに行ってもらえると……と続けるはずだった言葉は遮られた。声と同じで耳もそれなりにまだはっきりしているようで、でもそうでなくてもこの柔らかな心地好い声音を、わたしが聞き違えるはずもなかった。
 わたしの身体を支えているそのひとが背後から隣の位置へと移って、頼りない視界によく知る小豆色が映った。この小豆色のジャージは彼の兄弟たちも着ているものだが、体格が全員違うから、接している感じからしてやっぱり間違いようもないだろう。
 ナースコールならぬ薬研コールを拒否されて地味にショックを受けているわたしの耳元へと、あの柔らかで心地の好い声がまるでそっとのせられるかのように紡がれた。

「悪いとは思ってるけど、許してくださいね、主さん」
 ──僕も結構、邪道なので。

 なんか知ってるぞその台詞、とか、嗚呼わたしは朝っぱらから闇討ちされてしまうんだろうか、とか、でもできたらその闇討ちは(意味深)って付くような展開がいいなあとか。次第に視界だけでなく、音も意識もフェードアウトしていく中で、そんな馬鹿馬鹿しい、でも結構切実なことに思いを馳せた。そのままの意味の闇討ち暗殺だったら、わたしは死んでしまう。いや、うん、その通り死んでしまうわけだけど、そうじゃなくて、ああもう、なんていうか今、そう、一言で言って、うん、とても──眠い。

 暗転。



 目が覚めたら、どこかでカァカァとカラスが鳴いていた。
 障子の向こうから射し込む光は柔らかに色付いていて、一日の終わりが始まるんだな……ということが窺える。一瞬前の記憶では、わたしの一日は確かに始まったばかりだったのになんということだろう。

「カラス……何故鳴いているの……」
「可愛い七つの子があるから、だったか?」

 独り言に答えが返ってきて、びくっと身体が竦んだ。その拍子にようやく意識が自身へと向けられて、あたたかい布団の中に寝かされていることに気がつく。枕元に誰かがいる気配があって、目線をそうっと上げれば、例の見慣れた小豆色のジャージが視界に入って一瞬どきりとするけれど、それ以上に見慣れた白い布が彼が何者かというのを教えてくれる。わたしの可愛い可愛い初期刀様である。

「気分はどうだ。頭痛や吐き気はあるか?」
「いや……ない……」
「副作用らしきものはなし……と」
「ちょっと待って、まんばくん待って、それ何メモってるの?」
「薬研藤四郎からの依頼だ。あんたは奴の調合した薬を服用したわけだからな、患者の容体は逐一書き留めておいてくれと頼まれた」
「今すぐ薬研をここに呼んでいただけますか」
「残念だったな、遠征中だ」

 ナースコールならぬ薬研コールはまたも拒否された。
 うううと呻きながら肘と手をついて身体を徐々に起こすと、後ろから山姥切が背中を支えてくれた。口ではすっぱりとわたしを斬りつけながらも、その手つきはやさしくて、涙がちょちょ切れそうだ。今は何もかもわけがわかってない状態だから、尚更。
 上半身を起こしたわたしの口元に、水差しがそっと寄せられる。枕元に置かれた盆の上にあったものらしい。水を口に含んで嚥下すると、それだけでだいぶ人心地がついて、段々と思考もはっきりしてきた。昨夜はきちんと睡眠を取ったはずなのになんでこんな倒れるようにして眠ってしまったんだろうとか、薬研の薬ってなんのことだとか、意識が落ちる前にあのひとがいたこととか、あと、そうだ、まずい。

「お見合い……すっぽかした……」
「心配無用だ。体調を崩してしまい行けそうもない旨を、こんのすけを通じ、先方へと伝えてある」
「え?」
「今日は元々出陣の予定はなかったが、遠征と内番は多少変更の末におこなわれた。見合い相手への連絡含め、大体の采配は兄弟が取り計らった。実際に指示を出したのは歌仙だが」
「……念のために聞くけど、その兄弟ってどっちの?」
「山伏だと思うのか?」

 いや、まったく思わないけども。
 水差しを盆の上に戻すと、山姥切は軽く息をついて立ち上がった。白布がひらりと舞い、空気中の粒子を切って軌跡を描く。

「歌仙兼定に正座させられて懇々と説教をくらう堀川国広という図を想像したことはあるか?」
「えっ、なに急に……ないけど……ていうか有り得ないでしょ、それは」
「そうだな。世界広しと言えど、そんな図を拝める審神者はあんたくらいのものだろう」
「わたし拝めちゃうの!? なんで!?」
「加州がむーびーとやらを撮っていたから、あとで見せてもらえ」

 この本丸にそんなムービーが存在してしまうのかとか、そちらもすごく、ものすごーく気になりはしたけれど、結局山姥切が何を言っているのか、何を言いたいのかがいまいち判然としなくて、彼を見上げた。フードに隠されていない金糸の髪がさらさらと揺れて、一幅の絵画のようだった。
 さすがここでもっとも長い付き合いだけあって、わたしが何も言わずとも視線で察したのか、彼はまとめてわたしの疑問に答えてくれた。簡潔に、的確に、こちらに一切の有無を言わせない容赦のなさも併せ持って。

「見合いに行ってほしくないがために主に一服盛るなど、やることが大胆なわりに回りくどくて雅じゃない、というのが歌仙の言だ」
「……」

 歌仙の雅基準は、たまにどうにもよくわからない。
 そういえば朝食のあとでお茶を淹れてくれたのは堀川だったなあとか、あんなになんでもないことみたいににこにこしていたくせに本当はお見合いに行ってほしくなかったのかとか、どんな言い分を引っさげて薬研から薬を入手したんだとか、それを一切の躊躇なく盛れてしまうなんて怖いでも好きとか、混乱と混沌が混濁したみたいな思考がぐるぐると脳内を巡っていく。でも、巡り廻って頭の中からすとんと口の中へ落ちて実際に放たれた言葉は、そのうちのどれでもなかった。

「……っていうか、堀川が一言『行くな』って言ってくれてたら、長谷部もびっくりの機動で即お断り申し上げたのに」

 ──ゴトン、と。襖の向こうの廊下で、何やら大きな物音がした。

「……」

 沈黙が落ちる。物音はそれきり聞こえなくなった。気配があるのかどうかもわからない。山姥切を見上げた。彼もわたしを見下ろす。机の上に置かれた時計の秒針が幾つかの数を刻んで、やがて彼はまた溜息をつくと、大股で部屋を横切って襖に手を掛けた。嫌な予感がして、咄嗟に引き留めようとしても、もう遅い。
 すっと襖が開かれて、廊下の様子が露わになる。ちょうど山姥切の立ち姿に隠れて、こちらからすべては見渡せなかった。見えたのは、盆を載せた両手だけ。こちら側に佇む兄弟とお揃いの、例の小豆色のジャージ。ああ──頭がくらくらする。
 近づいてくる気配をまったく感じ取れなかったのは何故なんでしょうか。闇討ち暗殺お手の物だからでしょうか。

 山姥切が身を屈めて、先ほどの物音の原因らしきものを拾い上げ、まんじりとも動かない盆の上へと戻した。湯呑だった。既に一服盛っておいて、またお茶を選択するとか恐ろしすぎる。いや飲むけども。彼が淹れてくれたものなら、なんだって。
 ことりと湯呑を置き、廊下へと足を踏み出しながら山姥切は至極真面目なトーンで、ぼそりと告げた。

「茶番乙、というやつだな」

 ──うちの可愛い初期刀様に雅じゃない言葉を教えたのは誰、っていうかちょっと待ってまんばくん待って行かないで、ひとりに、いや、二人っきりにしていかないで!

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