Sub rose

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正義とはなんなのか

ーーー正義とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などに基づく道徳的な正しさに関する概念である。

今の自分が幸せだから、余裕があるから、寿命があるから、考えてしまうのだ、正義とはなんだろうと。
しかし、答えがないことなどわかっているのだ、理解もしている。
だって、

前世の私≠ヘ私≠ナあって私≠カゃないからだ。


鬼を殺し尽くすことは数ある剣士たちをみすみす死なせるような…大事な命を手折ってまで行うことだったのか。
ーーーわかっているだろう?誰かが殺さなければ鬼≠ヘたくさんの人を殺していただろう。

では、人≠ナありたかったが故に鬼≠ノなった者たちはどうなのか。
もし、まだ殺しをしていなかったら、行っていない罪のために殺すのか??不良とだけで悪だと決め付けるのと同じではないのか、あいつは怪しいからとそれだけで警察に突き立てるようなものだろう
ーーーそれは違う、彼らは鬼≠セ。
弱肉強食だった。
ならば、やられる前に殺さなければ。

元は人だろう?
ーーー………、わかってる。
しかし、鬼≠ナあることに間違えはない。

もしかしたら、禰豆子のような鬼もいたかもしれない。
それらの鬼も同じように殺して…、見つけていたらもっと早く終わらせていたかもしれないだろう?
ーーー…………。
そんな、0に等しい確率に命をかけるわけにはいけない。



あの人生に後悔はない。
それは産屋敷家の当主として断言できるように動いてきた。
自分、一族に伝わる呪いの元凶でもあるのだ。
鬼舞辻無惨≠殺すことに尽力した人生に後悔はない。
しかし、未練ある。
家族のこと、自分の代で終わらせることができず息子の代まで引き継がせてしまったこと、自爆に家族を巻き込ませるような状況を作り上げたこと、親としてそれを強く止めることができなかったこと。

あげたらキリがないその未練や自問自答に、前回より生きやすい環境なのにいつだって生きるのが苦しかった。
記憶なんて残らなければと馬鹿な考えも浮かんだことがある。すぐに打ち消したけれど。
それは、産屋敷としてダメなことだからだ。


私は、今、幸せだ。
あの時代より発展した未来で、別の世界線かもしれないが会えた。
自分の妻に、子供たちに、仕えてくれた子たちに。
もちろん、前世の記憶があったから結婚したのではない。
ちゃんと恋愛をして今世の自分の意思≠ナ一緒にいる。

幸せなのだ。

わかってる。

理解してる。

…頭の中でチラつく前世に不安を覚えながら。


妻と次世代に残した子供たちには前世の記憶はあったが、共に逝った娘たちには記憶がなかった。
残っていない方がいいはずなのに、どうしてなのかと、さまざまな感情を整理できなくなって胸に蓄積していく。


……。

現代の知識∞前世の記憶∞現状≠ェ入り混じりながら生きていくしかない今世に、捻れまくった糸をほぐすきっかけが降りてきたのは仕事に務めて何回目かの夏休みが終わる頃だった。

この一連の出来事の最初は、春の日に入学名簿に書いてあった名前を見て驚いたことである。
鬼舞辻≠ニいう苗字があったからだ。
ちなみに、存在は知っていた。
無惨も僕ら同様にこの世界で生きていると、連日エリート社長としてテレビで報道されれば嫌でもその存在を目にする。
だけど、こちらも、あちらも干渉はしなかった。
明らかに彼は人間であったし、監視はしていたがこの情報社会で戦争をふっかけることでもなかったからだ。

しかし

だからこそ、この苗字がこの入学者予定リストにあるのが違和感だった。
名前、性別、今まで調べてきた全ての情報を併せ持ってしても、彼女が鬼舞辻無惨の今世の妹≠ナあることに間違えはない。
学園長である立場からも、彼女を入学させないという処置を取ることもできたし、かつての剣士たちからもそう進言された。
でも、気になった。


どうして彼女を入学させることを許可したのか≠ニ。


私が知ってるあいつは生き残ることに特化した生き物だ。
わざわざ、妹を潜入させるなら彼が今持っている会社と全面戦争することや、社会的に抹殺した方が早く終わるし確実である。
殺戮が許されないこの世の中でこの一手は愚かであるとしかいえなかった。


だから、了承した。
そしたら、驚くことはまだ続いていく。
一年とちょっと経つ頃に、妹のことで話したいことがあると鬼舞辻≠ヘ私にアポイントをとってきたのである。
学園長の立場からして断れないこのアポに了承し、何かあった時すぐに対応できるように非常用のボタンと隣の部屋に家族だけを連れて臨んだ。
プライベート≠ェ重視される今、生徒である彼女の個人情報を漏らすことはダメなことだ。
たとえそれが鬼舞辻≠フ親類に関することであろうとも。
大変な世の中になったことだ。

ヒヤヒヤしながら迎えた夏の会談で告げられたことは、本当に彼女のことでしかなくて、今思い出すだけでも面白い。
私の前で親として畏る無惨≠ネんで特に面白かった。

お願いの内容は、
妹がもうじき出版するからそのことに関する容認と名前は出さないで出版するがもしバレたときの擁護をお願いしたい≠ニのことだった。

いろいろ驚きすぎて目玉が飛び出ると思った。
無惨≠ェ他人のことで、しかも、自分への影響がない事柄で、他人の力を信用するなんて思わなかったからである。
どうにかしてその元凶である彼女と二人きりで喋ってみたかったが、彼女との対話の機会はことごとく無惨≠ノ潰された。
しかし、彼と対話はすることができた。
後から、それを知った剣士達には、もうちょっと慎重にと苦笑されたが無惨≠ヘ前世の記憶を持っていると、そして、互いにそれを理解しているということがあの時はなぜかわかった。

「…何のようだ。」

「君がなぜこんなことをしたのか気になってね。」

彼女が出ていきクーラーの音しか響かなくなったこの部屋で最初に口を割ったのは無惨≠セった。
もちろん、私が言ったこんなとは今世のこの一連、彼女に関するすべてのこと≠ノついてだ。

「特にたいした理由ではない。
あいつがやりたいと言ったから、そうしているだけだ。」

「…なるほど。
入学のことに関してはそうだとしても、今回の本に関してもそうなのかな?その割には目を白黒させていたけど。」

これに対しては何も返ってこなかった。
そこで彼女が帰ってきてしまったから。
まあトイレは大丈夫かい?と言っただけだからそんなに時間は取れなかっただろうけど。
でもいい、自分が前に進めるきっかけになったのだから。


後日、学園長特権で彼女を呼び出した。
表向きは、内緒話≠聞かれてしまっていたという理由で。


そこで、子供たちは…私は聞いた。

あなたの考える正義とは何かと。

ーーー正義ですか??そうですね。
自分が正しいと思って行っていることの総称でしょうか?
この世の理は二つに一つです、正義しかないのか、正義なんてものはないのか。
それは正義だ、と確定できるものなんてないから、正しいことなんて日に日に変わる。
例えば、人類史上最古の記録された法典であるハンムラビ法典=A全人類に正しい、悪い行い≠ェ定着していなかった時代の法典。
有名な一文である目には目を、歯には歯を≠ニいう言葉、楽観的に解釈すればやられたら同様のことをやり返しても良い≠ニいうこと。
親を殺されたから犯人を殺し返しても、あーあ…自業自得だと言うふうに済まされていたと解釈ができます。
つまり、前提はありますが人殺しをすることも正しい=Aそう言う時代もあったと言うことです。
ここでよく言われるのが、やられたらやり返す、倍返しだ!!≠チてことでしょ?と言われますが正確には私は違うと思っています。
目には目を、歯には歯を。
このには≠ヘ=≠フ意味が含まれていると言う学説があります。
人を殺されたら、犯人を殺すまでにしておけ、と言う抑止の理論、自分の親を殺されたからとその人の家族、親族、友人を全て殺すようなこと、等価ではないことはしてはいけないということです。
ですが、どのような解釈を持ったとしても、この法が敷かれた時、状況があれば今は悪≠ネことでも正しい≠アとであったと言えるでしょう。
…ねぇ、輝利哉くん。
君はさっき出した例を正しい≠ニ思えるかな?ーーー

ーーー…いえ。
僕はそうは思えません。
それに対応した罰を、第三者の目から中立を保たれて下される罰を受けることが正しい℃vうからです。ーーー

ーーー現代人の私たちからすればそう考えるのが筋だよね…ハンムラビ王は、法典の作成意図を全文で語っているんだ。
「……わたしを、国土に正義を顕すために、悪しきもの邪なるもの滅ぼすために、強き者が弱き者を虐げることがないために、太陽のごとく人々の上に輝き出て国土を照らすために、人々の膚(の色つや)を良くするために、召し出された」って。
…これは、あの時代、彼が考えた正義≠セった。
正義とは、全てに基づく、道徳的な概念。
でも、その道徳が状況によってコロコロと変わってしまうのだから正義なんて言葉は矛盾の塊なんだよ。ーーー

ーーーでも、正義などこの世にはない、と。現実とは無価値に人が死に続けるものだと。そんな悟ったような諦めが、正しいとは思えない≠ニ主人公は言っていました。
その言葉があなたの考えならば、主人公は理想を語ったということでしょうか?ーーー

ーーーよく覚えてるね…。
そうだな……君は今までやってきたことを悪≠セと否定されて納得できるかい?勉強、習慣、人への対応全てに。ーーー

ーーー…いいえ。ーーー

ーーー……信じたっていいじゃないか、自分の正義はコレだと。自分の中で正しいと思ったことなら、やりとけだっていいじゃないか。
善悪など、所詮発生した後に我々が決めることにすぎん≠サの通りだ。
どういう風に歴史が進むかによって善悪は変わっただろう。
例えば、第二次世界大戦で日本が早めに降伏していたら。
勝者側についていたら。
国のために死ねという理論は、正しい事≠セったのかもね。
私たちはあの時負けたから、憲法が大きく変わった。
正しい≠ニ信じてきたことなんて変わっちゃうんだよ。
だからこそ、道徳の概念なんてコロコロかわる。
いま、君が将来に向かって勉強していることも、たとえ未来でもっと遊んでおけば良かったと思ったとしても、今、正しいことだと思えたならそれを貫き通してもいいじゃないか。
もしかしたら、勉強ばかりしていて対人関係がうまくいかなくなるかもしれない。
運動しないから基礎体力が低下して気付いたらポックリ死んでしまってるかも。
親に勉強しなさいと言われても、ゲームをすることだって正しいと思えたならそれを貫き通したっていい。
勉強についていけなくなって将来困るかもしれない、ゲームの中身に興味を持ってプログラミングに投じているかもしれない、将来につながる正しさなんて千里眼を持っていない限りわからないよ。

大人が私たちに、言ってくれる言葉は彼らの経験から、考え、学び、失敗して摘出した言葉なのだから、私たちがそれを全て理解できないことは当たり前なんだ。
誰だって経験したことがないことは理屈は理解しても納得はできない。
死がわからないって事と同じだね。
だから、私は自分のする行動を、周りへの影響を考えて、生き貫き通す事が正しいと信じているよ。
私は、毎日コツコツと勉強する事が正しいと思った。
友達と遊びに行くことも。
今回のこの本はちょっとイレギュラーだけどね。

誰かを助けて恩が仇で返ってきて後悔しても、私はそのとき正しいと思ったことを行動しよう。
これが私の考える正義かな。

…それじゃあ、君は正義≠どう考える??ーーー

ーーー……。ーーー

ーーー考え続ければいいよ。
心を、頭を、精神を壊さない程度に。
疲れたらリフレッシュして現実逃避したっていい。
それは逃げじゃない。
そう思わない??ーーー

ーーー…そう、思います。ーーー

そう頷く輝利哉に笑みを浮かべながら、隣のかなたからの質問にも答えていく。

ーーー人間とは?だったかな?
難しいこと考えるね…人か…。ーーー

ーーー人間とは犠牲がなくては生を謳歌できぬ獣の名だ。≠ニ書いてあったので。ーーー

ーーーなるほどね…。
例えば、そうだね。
幸せ≠ニいう感情とか顕著かな。
私が好きな作曲家さんの、言葉で
「「幸福」とはそれを享受する本人の意思とは関係なく、ごく身近にそれと同様、或いはそれ以上の不幸を生み出す。世界はそういったアルゴリズムでできている。」っていうのがあってね…。
そりゃそうだよね。
誰かが勝てば、誰かは負ける。
引き分けになって、ああよかったと思える場面は少ない。
じゃあ、不幸をなくせばいい、みんな幸せにと願ったのが、今回の主人公。
でも、そんなことはありえない。
幸福≠感じるには不幸≠ェ必要だから。
最悪な不幸を無くしたとしても、また新たに不幸は現れる。
この二つの必要十分条件は一致しているし、表裏一体だ。
表がなきゃ裏はない。
裏があるなら表はある。
不幸≠消せたとしても、同時に幸福≠熄チえるだろう。
じゃあ、自分が幸せになるためには、誰かが不幸にならなければならない。
ほら、犠牲が出ただろう??ーーー

ーーーでは、自分自身が不幸になれば相手は幸せになれるということですか?ーーー

ーーーあー…難しい問題だね。
その問いは成り立たないんだ。
人間の感情はみんな同じじゃないから。
例えば、そうだなぁ…。
くいなちゃんは、どんなことしている時が幸せを感じるかな??ーーー

ーーーわたしは…、家族みんなで暮らせること、好きなものを食べれること、外に自由に遊べることとかです。ーーー

ーーーおおー!お揃いのものもあったね。
そうだなぁ…わたしの幸せと違うのは…両親とは一緒に暮らしたくないっていうところかな…。
誰かが思っている幸せがその人に当てはまるとは限らないっていうのが感情の難点なんだなぁ。

例えば…ありえないけど、私と私の友人達と兄が恐ろしい人たちに捕まったとしよう。
誰かが死≠受け入れた時解放するという条件だったので私ご自分を掻っ切り死≠受け入れたことによって、私以外全員解放されたとしよう。

私はそれを彼等が幸福≠ノなれると信じてやった。
友人達の家族はきっと安心するだろうね。
これはきっと幸せだ。
兄も友人達も別段死にたいとか思っているはずじゃないから生きていることに幸せを感じると思う。


だけど、
もし、彼等が

自分の死より他人の生のが大事だったら

あっという間にそれが逆転する。

ね?大変でしょう??

それにね、心の物差しが一人一人違うからね…。
たとえ同じ状況が違う人間に起こったとしても感じ方が違うんだ。
汚い言葉で大変申し訳ないけど…友人に死ね≠ニノリで言われて、私はいらないんだと心を病んで最悪死んじゃう子もいる。
反対に、この子はそういう子なんだと区切りをつけて、新しい友人を見つける子もいるだろうし、おまえがな!≠チて言い返して笑い合ってる子もいる。

この些細な感情の大きさの違いとか、幸福の対象の違いが悲劇を生むことある。

人間は幸福のアルゴリズム、対象の違い≠知ってる。
だけど理解してない。
だからこそ繰り返すんだよ。

ほら、もうこれだけで不幸≠ニいう犠牲があった。
さっきの言葉は、犠牲≠ニいう観点から人間を語った言葉なんだよ。ーーー

ーーー…人はむずかしいですね。ーーー

ーーーこんなこと語ってるとね、おまえはどの目線なんだとか、私人間じゃないですみたいなこと思ってるのって言われるんだけどそうじゃないんだよね。
まあ、それは置いといて。

うん。
人間はどんな行動もできる。
どこかのテロのように、一度に人を大勢殺すような私たちが思う悪、人でなしのような行動も。
理想を、綺麗事を、真実にしようと行動しつづけるような人もいる。

だからこそ、人間は愚かで醜く…しかしながら美しいなんていう矛盾の言葉が生まれる。

そうだな…私が彼風に言うとするなら…
人間っていうのは、高度な感情を、思考が身についたことによって矛盾だらけになってしまった獣…かな。ーーー


息子達が彼女と話す会話に、探し求めいた答えのかけらが見えた気がした。
息苦しいこの人生に、酸素が送り込まれたようだった。



まあ、難しく考えなくていいんじゃないかな?と笑いながら別の話を息子達と繰り広げる彼女に時間を告げる。
息子達も心なしかスッキリしたような…話し足りないような顔をしている。
その不満げな顔を見た彼女は、また会う約束を取り付けていた。

表の要件を伝えた後、近いので歩いて帰りますと送迎を断り帰っていく彼女を見送る。





「父上」



「憂いは晴れましたか」


普段お父さんと呼ぶ息子が昔の私を呼ぶ。

うん、もう十分だ。

私が自分≠ニして歩いていける、その始まりを告げる日に今日はなるだろう。

「私は…僕は晴れました。
鬼舞辻≠憎む心があっても、今の僕として真っさらに生きていいんだと。」

「…そうだね。
わかっていたつもりで理解していなかったかな、私は。」

3人を抱き寄せ頭を撫でる。
あの頃とは違う、さらりとした短い毛と長い髪の毛が指をすり抜けた。

「さあ、家に帰ろう。
お母さんが家でご飯を作って待っててくれてる」


夜の街がライトで包まれてから学園から出ていく車には、何時もより楽しげな声が響いていた。


 

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