「アオキさん…!」


「…自分になにか」



腹は満たされて、食堂の敷地から出ようとすると、珍しく大きな声で引き止められた。
少し振り返り、誰かとよく見れば店員のナマエさん。



「あの…さっきは、助けていただきありがとうございました」




深々と頭を下げてお礼を言う彼女。
何のことかと思ったが、おそらく少し前に起きた出来事の話だろう。



「自分が、見ていて不快だっただけです」


「え…?」


「あれではせっかくの飯が不味くなりますので」



いつものように店に入って、自分がよく座る席に向かおうとした時。
ナマエさんと客の1人が、何やら揉めているように見えたのだ。
普段の彼女は、ここで仕事をしている時、笑顔を絶やすことがない。
誰に対しても分け隔てなく、笑顔で接する。
けれどその時だけは、仕事中の彼女には決して似合わない、とても嫌そうな顔をしていた。
だから、何かあったんだと思った。
彼女の近くに行くとやはり自分の読みは正しかったらしく、タチの悪い酔っ払いにしつこく絡まれているところだった。



「それでも、私は嬉しかったです…」



ナマエさんは俯きながら、そう小さく呟いた。
その時の彼女は、白くて艶のある頬が赤く綺麗に染まっていた。
そんな彼女の見たこともない表情に、なぜか心がざわざわと騒いで収まらない。



「そうですか、貴女のお役に立てたなら何よりです」



また来ます、と表情1つ変えないようにして、夜が更けるチャンプルタウンに姿を消すようにその場から去った。
きっとこのまま彼女の側にいるのは、自分にとって良くない。
早く立ち去って、少し冷静になった方がいい。
それが最良の判断だと思った。











「はあ…」



家に帰って、リビングのソファにどっかりと座る。
留守番をしていたオドリドリが構ってほしくて肩に乗ってきたが、今はあまりそんな気分になれなかった。
いつもと少し違う自分の様子をみたオドリドリは、元気がないと思ったのだろう。
肩でぴょんぴょん跳ねたと思えば、元気付けようと電気をぱちぱちさせる。
気持ちはありがたく受け取って、オドリドリを自分の肩からそっと下ろした。
ソファの背もたれに頭を預けて目を閉じると、ナマエさんが酔っ払った客に絡まれていた時の情景が鮮明に浮かんでくる。
知らない男がべたべたと彼女に触って、彼女の手を取って、鼻先が触れそうなほど顔を近付けてくる。
そんなの、男なら誰だって不快だ。
飯が不味くなるどころではない。
あの時の光景を改めて思い出すと、なぜか今でも不愉快な感情がふつふつと湧いてくる。
だが、そのような感情が湧き起こるということは、きっと。



「ナマエさんを、好きになってしまったから…」



その言葉を口にすると、また心の奥が騒ぎ出す。
彼女は、行きつけの店の店員。
自分は、ただの客。
初めは、いつも笑顔で迎えてくれて、よく気が利くいい子だと思っていた。
店の看板娘として、人気者なのも頷けた。
そして、そこになんの気持ちもないと、思っていた。
けれど、今日自分が抱いた感情を考えると、そんな単純なものではないことくらいわかる。
それでも口にしたその気持ちは、ただの気のせいだと思いたい。
心配そうに自分を見上げるオドリドリに、どうしたものですかね、と囁くように話しかける。
オドリドリは自分の頬にそっと羽を添えると、寂しそうに鳴いた。




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