02

ざわざわと、木々の擦れる音がする。ちちち、と小鳥の鳴き声が聞こえる。高い枝葉の隙間からは青い空が顔を覗かせていた。
自然の緑に囲まれたこの地は、フィローネの森。


(今日はどこまで行こう)


すぐに戻ると言った手前、遠出をするわけにはいかない。キュイ族の誰かには会えるだろうかと、森をさくさく歩く。森をさまようこと小一時間。森の動物達には遭遇するものの、誰かに出会うことはなかった。


(あてが外れちゃったみたい)


とはいえ、森を見て回るだけでも様々な発見が出来て楽しい。それは、木になる鮮やかな実であったり、森を吹き抜ける風だったり、どこからか聞こえてくる動物の鳴き声だったり。
特に今日は、珍しい青い鳥の羽を拾うことが出来た。フェンはそれを片手ににこやかな笑顔で頷いた。


「これを見つけられただけでも良しとしようかな」


「それで満足とはお前も大概暇人だよね」


突然割り込んできた背後からの声に、フェンは飛び上がらんばかりに驚いた。「ひぇっ?!」と奇声に近い悲鳴を上げればくつりと喉を鳴らす音が聞こえる。こんな笑い方をする人はフェンの知り合いの中で一人しかいない。
振り向けば、案の定見知った顔があった。白い髪に怪しげな黒い瞳を持つ、妖艶な雰囲気持つ男――ギラヒム。数年前に出会ったのだが、当時から外見が全く変わっていない。


「おっ、驚かせないでください……! どうして心臓に悪い登場の仕方しかしてくれないんですか」


「そちらが勝手に驚いているだけじゃないか、フェン」


なぜだかギラヒムはフェンの反応を見て楽しんでいる。それは以前からずっと変わっておらず、毎回ギラヒムに会うたび心臓の悪い思いをしているフェンなのであった。


「まさか森でもギラヒムさまに会うとは……」


「ワタシでは不服だとでも? ずいぶん生意気を言うようになったじゃないか」


「そんなことは言ってないんですけど……って、いたたた痛い痛い! 耳が千切れちゃいますよ!!」


仕置きとばかりにぐい、と耳を引っ張られた。かなり横暴な仕打ちにフェンは若干涙目になる。


「どうしてここにいるんですか。ギラヒムさま、この森はあまり好きではないんでしょう」


「やれやれ、君が森ばかりうろついているから、このワタシがわざわざ来てあげたのに追い出そうとでも言うのかい」


こちらが森に来てくれと頼んだ覚えはないのだが。しかし言ったところで聞いてくれるとも思えないのでひとまず黙っておく。


「実に哀しい。ワタシの慈悲深く寛大な心が傷付いてしまったよ。どうしてくれるんだい」


そういうところがむしろ狭量だと、そう言えたらどんなに良いことか。しかし、そんな生意気な口を聞けばどんな仕打ちをされるか、たまったものではないが。


「……。えっと、ごめんなさい?」


どうして自分が謝っているんだろう。フェンは途方に暮れた。
ギラヒムの身勝手過ぎる言動は今に始まったことではなく、そして最早慣れてしまったのもあり、自分に非がなくとも謝ることに抵抗がなくなってしまっていた。そんなことでは駄目だと、叱咤する自分も確かにいたが、諦めの方が勝ってしまっている。
この人はこういう人だから、どうしようもないのだ、と。
全く落ち度のないフェンが仕方なく謝ると、ギラヒムは不満げにふん、と鼻をならす。


「何だね、その誠意の欠片も感じられない謝罪は。本当に悪いと思っているなら、靴を舐めるくらいのことはしてもらいたいものだよ」


「…………」


ギラヒムは理不尽で、傲慢で、ナルシストで、ものすごくサドだった。しかも変態だ。
出会ってすぐに気付いたことであるが、未だにその言動に慣れることはない。


「勘弁してください。後生ですから。それよりもギラヒムさま、」


……いや、残念なことに、少し慣れてしまっているかもしれない。
何の抵抗もなく「ギラヒムさま」と呼べてしまうことにも物悲しさを覚える。


「今日は早めに戻るって言ってきたんです。なので、ご用件があるならお早めに……」


「フェン、約束とは破るためにあるものだと思わないかい?」


「思わないです」


「実は今日は君に頼み事があってね」


自分で話を振ったくせに、フェンの言葉は軽く黙殺された。
ギラヒムが強引に話を進めるのは、何があっても逃がしてはくれないという意味に等しい。しかし、諦めの悪いフェンはそそくさと逃げるタイミングを見計らった。


「そうだったんですね。ではすみませんがそれはまた後日に、ということで……」


「まぁ待ちたまえ」


退散しようと後ろ姿を見せれば、がしっと肩を掴まれた。こうなったらもう逃げられない。
内心ため息をつき、今回はどこまで付き合わされるのだろうと諦めの境地でギラヒムを見上げる。全てを飲み込む闇のような瞳と目が合った。


「ギラヒムさま……“頼み事”なんて言いますけど、私に選択肢をくれたことなんてありましたっけ」


「お前に拒否権なんてあると思っていたのか?」


それはそれは愉快そうな顔をして、自己中の極みとも言える言葉を吐く。


「さぁ、今回も頼んだよ案内人。ワタシを目的の場所まで連れて行っておくれ。もちろん、最短の距離と時間でね」


ギラヒムはいつも、妙な場所に行きたがる。それは、砂漠に埋もれた船であったり、森の奥の遺跡であったり、火山の山頂であったり。
今日は一体、どんな厄介な場所に連れて行かされることだろう。
仕方ない、とフェンはギラヒムに向けていた背中ごと振り返る。


「当然です。私はクロワ族ですからね。どこだろうと、お望みの場所までお連れしてみせますよ」


大地を愛したクロワ族。その意思と知恵を受け継ぐフェンには、世界の果てから果てまでの地図が頭の中に入っている。
――いつか、空から戻ってきた人々にこの地上を案内出来るように。
ギラヒムがなぜフェンにあらゆる場所の案内をさせるのかは分からない。聞いてみても教えてはくれなかった。
だが、世界最後のクロワ族として、役目を果たせるのなら何でもやるつもりだ。
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