17
50分ほど経っただろうか、日が傾き初めている。保健室へ行った後、期末での立ち回りについて八百万と振り返っていたらこんな時間になっていた。ピアノのレッスンがあると八百万は急いで帰って行き、いつも賑やかな教室には俺だけが佇んでいる。
明日の予習に必要な教材を鞄に入れていく。最後に手に取ったそれは英語の教材で、なんとなくあいつの顔が思い浮かんだ。
勉強会をしている時、分からない問題があると眉間に皺を寄せて、頬を膨らませるのが前田の癖だった。そんな時どこが分かんねえんだって声を掛けると、待ってましたと言わんばかりの輝いた顔をして、いつも俺に質問をしてくる。分かりやすいやつだなと思った。
そういえば、保健室から出る間際、パッと見た前田の顔は少し疲れた様子だったことを思い出す。 あいつの個性は使い過ぎた場合、その反動が自分に返ってくるものだ。俺の個性も同じように、結局使える限度があるという事は、その線引きは自分でするしかない。だから心配だった、少し息をつくような様子だったあいつのことが。
「あ!!轟くん!!」
そう思い返しながら、重さの増した鞄を肩にかけ帰ろうとした時、焦ったような緑谷の声が響く。対オールマイトの試験はやはり他より苛烈になり、救助ロボットに運ばれる様子を見ていた為、もう大丈夫なのかと尋ねると、緑谷は矢継ぎ早に言葉を続けた。
「あ、うん、僕は大丈夫なんだけど、祐佳ちゃんどこにいるか知らない?僕とかっちゃんの荷物を取りに行ってから戻ってきてないらしくて…」
荷物は席に置いてあったからまだ校内にいるはずなんだけど、慌てる様子の緑谷の言葉は最後までよく耳に入ってこなかった。嫌な予感が当たった、個性の使いすぎでどこかで倒れているかものかもしれない、悪い方向に膨らんでいく思考を落ち着かせる。そして肩にかけた鞄を机の上に放り投げた。
「とりあえず手分けして校内探すぞ」
何故あの時、保健室を出る時、気付いていたのに声を掛けなかったのか。いやあいつの事だ、大丈夫か?なんて聞いたくらいじゃ、全然大丈夫だよ、なんて言いながら笑うだろ。ちゃんと休めくらい言えたはずだ、そんな後悔ばかりが止めどなく溢れ出していく。俺は演習試験で何を学んだのか、自分に対する苛立ちばかりが募っていった。
*
俺はこの階で、緑谷は1つ上の階を探すことになった。無駄に広いこの校舎がこれほど煩わしく感じる事は無い。隣のB組の教室から始まり、一つ一つの教室を確認していく。確かにC組の前田の席には、あいつがお気に入りだと言っていたうさぎのストラップが着いた鞄が置いてあった。出久くんがお土産にくれたんだ、そう嬉しそうに話す顔がやけに鮮明に思い出される。気持ちばかり焦り、またひとつ空き教室の扉を開けるが、そこは冷たい空気で満ちていた。
(どこにいるんだ……)
自分に苛立つ気持ちを投げつけるように、荒々しく扉を閉める。その音が静まり返った廊下に響いて、嫌に耳障りだった。苛立っても仕方ないだろと自分に言い聞かせながら顔を上げると、2つ先の空き教室が目に入る。誰にも使われていないであろうその教室の扉は、微かながらも空いていた。
そこに確信に近いものを感じ駆け出す。
勢い良く扉を開けると、窓際の後列にある席に座り、机に伏せるあいつの姿があった。
「おい前田!!前田!!」
目をつぶり、一定のリズムで上下する肩を揺する。寝ている様子の前田に、こんな所で何してたんだとか、聞きたいことは山ほどあったが、そんな事よりもただその姿に安堵した。
もう一度名前を呼ぶと、ピクリと肩が揺れる。そしてまだ眠そうに薄く目を開き、小さくうなりながら体を起こした。
おいしっかりしろ、そう声を掛けるとまだ眠たげな顔をこちらへ向ける。
「え………え!?轟くん!?」
意識が覚醒し始めたかのか、状況を飲み込んだ前田は大きく目を見開き、酷く焦った様子だった。一先ず緑谷に連絡をしておく。するとすぐに既読がついて、どこにいたの!?とこちらも焦った様子で、この空き教室にいたと返信をした。
緑谷が探してたぞと言うと、前田は申し訳なさそうに、心配かけてごめんね…と頭を下げる。いつもより遠慮気味なその姿は余計に小さく感じた。
「何でこんなとこで寝てたんだ」
「えっと…その…あの、個性使いすぎたのか身体が怠くて」
少し視線をさまよわせながら話す前田は、もう大丈夫だから出久くんのとこ行こうか、そう続けて焦ったように立ち上がる。しかし、1歩踏み出そうとしたところでその姿がぐらりと傾き、咄嗟に肩を支えた。
「こんなふらついてんのに全然大丈夫じゃねえだろ」
「わ!ごめん…!本当にもう全然元気だよ、多分寝起きだからふらついちゃっただけ」
そう笑顔の貼り付けられた顔は何時もより少し弱々しく、やはり予想した答えが返ってきた。優しいというのは、間違いなくこいつの長所だ。ただそれは自分を蔑ろにしていい理由にはならない。個性を使い過ぎた反動が自分に返ってくる以上、自分をもっと大切にしろ。そんな感情がふつふつと湧き上がる。
「お前、個性使いすぎだろ。そんなフラフラになるまで個性使うのもうやめろよ。」
ふらつきひとつにしてもこれがもし誰もいない帰り道だったら、ましてや階段だったら、もっと大事になっている。自分の限界値を見極めてやるのは自分だけだ、それを分かって欲しかった。
そう伝えていると前田は徐々に顔を俯かせていく。気分が悪くなったのかと思い、おい大丈夫かと顔を覗き込むと、その目には今にも溢れそうなほど涙が滲んでいた。
「そんなに…そんなに怒らなくてもいいじゃん…」
その言葉を皮切りに、ボロボロと大粒の涙を流す。多分、いや確実に、俺が泣かせた。そんなつもりは無かったと後でならいくらでも言えるだろう、しかし本当にそんなつもりは無かった。そんな事を考えている間にも、その目からは涙がこぼれる。
「悪い、ただ心配だった」
正直にそう伝えれば、前田は顔を上げ、驚いたようにこちらを見る。濡れた頬とは対照的に、その目からの涙は止まっていた。そしてばつが悪そうに視線を泳がしたあと、ジャケットの裾で涙を拭い、申し訳なさそうに口を開く。
「いきなり泣いてごめ……」
「祐佳ちゃん!!!!」
前田の声に被さるように、別の声が響いた。心配そうな顔をしてこちらに駆け寄る緑谷は、余程走ったのか、額にはじわりと汗が滲んでいる。祐佳ちゃんどこかで倒れてるのかと思った、何ともなくて良かった、少し息を切らしながらそう話す表情は、前田の無事な姿を見て安堵しているようだった。
「全然大丈夫だよ、ただちょっと疲れちゃって、心配かけてごめんね」
「本当に大丈夫?歩くの辛ければ、僕が背負って帰るよ?」
祐佳もうそんな小さくないって!と前田は笑っていたが、どうやら緑谷は本気で言っていたようで、本当に大丈夫だからとまた笑いながら宥められていた。
こうして2人で話す姿を見ていて、何となく、こいつらだけの空気のようなものを感じる。長い時間を共に過ごしてきたやつらだけの会話の雰囲気。それは俺と緑谷にも、俺と前田にも、無いものだと思った。
そして同時に、心の奥に焼き付くような感覚が存在する。苛立ちとも焦りとも違うそれは、初めて感じるものだった。
2022/02/25 蛇足:祐佳が泣いたのは轟百もやもやでメンタルしんでるところに強く怒られたからです、いつものメンタルなら泣いてない場面