16
「あと準備しておく物ありますか?」
「まあそれくらいかね、あとは頼んだよ」
帰りのホームルームが終わり、急いで保健室へと向かった。今日はついに、ヒーロー科の演習試験の日。リカバリーガールは試験会場で待機となるので、その間は私が保健室でお留守番だ。きっと怪我をする人が沢山いるからと、包帯や消毒等の準備を多めにしておく。治癒した後に休憩できるようにと、数台増やしたベッドのシーツを整えながら、幼なじみの彼のことを考えていた。
(出久くんあんまり無理しないといいな…入試や体育祭の時と同じロボットって言ってたけど、どっちの時も酷い怪我してたし)
無個性だった出久くんに突発的に発生した、強力な個性。
まるでオールマイトのようなパワーを持つそれを扱いきれていない頃の彼は、何度も腕を赤紫色に腫らすような酷い怪我をして、包帯をぐるぐる巻きにされていた。
彼の「オールマイトのようなヒーローになりたい」という夢をずっと近くで見てきたからこそ、純粋に応援したい気持ちと、今まで見たことも無いような怪我をする姿や、凶悪ヴィランに遭遇した事実を前に、「ヒーローは命懸け」という事を思い知らされる日々だった。
(本当にすぐ無理するからね……そういえば轟くんは体育祭の時、巨大ロボットのこと一瞬で凍らせてたなあ、今回もきっとすぐ合格しちゃいそう)
見たことも無いような大きなロボットが現れ、体育祭ってナニ?と状況を飲み込めていない時に、凍てつくような空気が流れてきたあと、巨大なそれが氷漬けにされていることに驚いた記憶はまだ新しい。
周りがA組の轟やべぇ…と話していて、あの時保健室に来た人かなんてその時はまだ他人事のように聞いていたのに、今ではすっかり友達なのだから人生どうなるか分からないな、なんて大袈裟に考えていた。
そんな彼らの試験結果を緊張しながら待ちつつも、いつ誰が来てもすぐに対応出来るようにと救急箱を持ち、処置スペースの椅子に腰掛ける。いつもより少しでも自分の個性が役に立てばいいなと願いつつも、出久くん、轟くんや飯田くん、いつも話してくれるA組のみんながあまり怪我なく試験を終えられるといいなと、箱を持つ手に力が入った。
すると、その気持ちが聞こえていたかのようにガラガラと音を立て勢いよく扉が開く。いつの日かと似た音に救急箱を持ったまま立ち上がると、保健室に入ってきたのは、いつもより少しくたびれた様子の彼だった。
「轟くんだ…!お疲れ様!大丈夫!?どこ怪我したの!?試験どうだった?!」
「落ち着け。怪我は大した事ねえし、試験も合格した」
「ええ!すごい!おめでとう!!」
そんな彼の言葉を他所に抑えられない気持ちが溢れて、つい轟くんの手を握りブンブンと揺らしてしまう。ポカンとする彼の表情に一瞬で冷静になり、やばい出久くんの感じで接してしまった…と間違えた距離感を反省する。そして手を離そうとした時、パッと視界に入った腕が少し擦り傷のように赤くなっていることに気付いた。
「轟くん腕赤くない?痛い?」
「ああこれか、多分、相澤先生の捕縛布に捕まった時のだな」
「え…?演習試験ってロボットと戦うんじゃないの!?」
「昨年まではそうだったらしいが、今年は2対1で先生と戦う形式だった」
そんなの普通科の私にだって、ロボットの比にならないくらい難しい試験だということは分かる。固まる私を他所に、緑谷は確かオールマイトだったな、と彼は言葉を続けた。オールマイト…?オールマイトって、あのオールマイトだよね?と自問自答を繰り返す。そんなの絶対、1番難しい相手だ。なんたって日本のナンバーワンヒーローを相手にするのだから。出久くんのオールマイトに憧れる気持ちが、逆に重荷となってしまうのではないかと心配な気持ちがじわじわと溢れていく。
「失礼しますわ」
凛とした鈴の音のような声が、耳の奥から響く嫌な心臓の音を掻き消す。無意識に握り締めていた両手を開きパッと顔を上げると、そこには艶やかな黒髪にモデルさんのように長い手足、綺麗な顔立ちが特徴的な彼女が立っていた。
「百ちゃん!」
「まあ!今日の保健係の方は祐佳さんでしたのね」
そう言ってきゅっと口角を上げて笑う彼女の顔は、やっぱりどれだけ見ていても見飽きることが無いくらい美しくて、先程までの張り詰めた気持ちをふわふわと解いてくれる。どこか怪我した?と聞くと、膝に少々…と言うので確認したところ、そこには血が滲んでいた。百ちゃんに傷を残しておく訳にはいかない!と、轟くんと一瞬に処置スペースの椅子に座ってもらう。並んで座る2人を見て、その顔の良さに眩しい…と言うと、揃って何の事だと言わんばかりの顔をしていた。
「はい、おしまい!もう痛くない…?」
「ああ、何ともねえ、ありがとな」
「ありがとうございます!もうどこを怪我していたかも分からなくなってしまいましたわ!」
個性を使ったことで少しだけ怠くなった体も、2人の笑った顔を見れば気にならなかった。そういえば他のヒーロー科生徒が来ていないという事は、2人はペアだったという事だろうか。
また次の波に備えて救急箱を整理しながらそう尋ねると、揃って頷いてくれる。倍率の高いヒーロー科に4人しかいない推薦入学者のうちの2人、そんなペア最強すぎない!?と言うと、百ちゃんは眉を下げて私は何もしてませんわ…むしろ轟さんに迷惑をかけてばかりで…と俯いてしまった。そんな落ち込ませるつもりはなかったのに。私が慌てて彼女を励す言葉を選ぶよりも早く、轟くんが口を開いた。
「そんな事ねえだろ、最後はお前の作戦があったから合格出来たんだ」
だから自信持て、と結ぶ彼の言葉は、共に戦ったからこそかけられる厚みを持っていて、私は引き下がる。その言葉が魔法のように、顔を上げた百ちゃんの瞳には少しだけ涙らしい光の影が溜まっていて、それはキラキラと揺れていた。
いえ轟さんが協力して下さったからです!とどこまでも謙虚な彼女に、神様はこの子に何物与えるつもりだとか考えるフリをして、私は同じ夢を追いかける者同士にしか分からない感覚のようなものに少し圧倒されていた。
もう綺麗に整っている救急箱をまだ片付けているかのように指先を動かしていると、再び勢い良く扉が開く。体いてえー!と肩を押さえながら入ってきた上鳴くんと三奈ちゃん、そのあとも続けて試験が終わった皆が続々と保健室に入って来た。空気が弾むように賑やかになる、今の私には丁度いい。私は綺麗に並べた包帯や消毒を指先で再び取り出して、保健係としてみんなの手当にまわった。
*
「頑張った…」
やりきった気持ちとは裏腹に、肩に伸し掛る重力さえも感じるほど体は疲れていた。この個性ともう15年以上共に歩んできたけれど、未だに自分のセーフティーラインはよく分かっていない。でも小さいながらもあの人数の傷を治したのに、しゃがむ程度で収まってるという事は、今日の調子はまあまあ上出来だと思った。
しかし、問題がある。
私の幼なじみの顔をまだ見ていない。今日は一緒に帰る約束をしていて、私は頑張った彼に肉まんを買ってあげるつもりなのだ。出久くんに限って先に帰るなんて事は無いし、ましてやオールマイト相手に無傷なんて事も有り得ないだろう。
(出久くんどうしたんだろ…かつきくんも見てないし…)
いつもより力の入らない膝に手をついて立ち上がる。すっかり散らかってしまった備品を整理しようと棚を開けると、廊下からかすかに機械音が響いてくる。それは多分、聞き覚えのある、恐らく救助ロボットの走行音だ。きっと出久くんだと思うと同時に、救助ロボットが必要なほど大怪我なのかという不安がよぎる。私は散らかった机から必要そうな医療キットを手に取った。
「ニメイ ウンパン ジュウショウ」
「あんた本当に加減知らないね!もう少し強く打ってたら取り返しのつかん事になってたよ!」
そうリカバリーガールに怒られ、大きな背中を縮こまらせながら保健係に入ってきたのは、彼の大好きなナンバーワンヒーロー、オールマイトだった。
そして救助ロボットに連れられてきたのは、やっぱり出久くんとかつきくん。2人ともリカバリーガールの治癒後なのか目立った怪我はないものの、体力を消耗した反動か眠っていて、しばらく目覚める様子は無かった。
「リカバリーガール!出久くんとかつきくん、大丈夫なんですか…!」
「もう治癒で怪我は治ってるよ。ただ怪我が酷かった分、体力の消耗が激しいみたいでしばらくは目覚めそうにないね。」
体に問題は無いと分かり、安堵なのか拭いきれない心配の気持ちか、目頭が熱くなっていく。出久くんは私が泣いていると、いつだって駆けつけて背中をさすってくれて。そんな優しい彼の夢の前に、私の心配する気持ちが重荷になるのが嫌で、出久くんがずっと憧れていた雄英高校ヒーロー科の進学が決まってから、私は彼の前では泣かないと決めていた。
「私、2人の着替えと荷物を取ってきます」
そんな涙を誤魔化すように保健室を飛び出す。今にも溢れそうだった透明なそれは、廊下を歩く私の頬を伝いポタリと水滴を残した。私はそんなものは無かったと自分に言い聞かせるように、ジャケットの裾で残った涙を拭う。決めた覚悟は何処へやら、すぐに泣いてしまう自分の弱さに鬱々とした。このままでは完全に悪循環だ。
(しっかりしなくちゃ…)
そう自らの頬を叩き、A組の教室へと向かう。2人分の荷物持てるかな、1回置いてまた来た方がいいかな、なんて思案しながら無駄に広い校舎を歩き進め、教室の近くまで来ると、かすかに中から声がした。
A組の皆はかなり前に保健室から帰って行ったので、誰が残っているんだろうと不思議に思いながら、大きすぎる扉から覗く。すると、そこに座っていたのは眩しいくらいの美男美女、すなわち百ちゃんと轟くんだった。
「きっとあそこで私がこう立ち回っていましたら…」
「いや、八百万は何でも自分のせいに考えすぎだろ。あそこは…」
扉越しにかすかにしか聞こえないが、どうやら2人は今日の演習試験の反省会をしている様子だった。保健室でもそんなような会話をしていたのに、教室に戻っても今日の反省や今後の改善点を話し合っている。どこまでも真面目で努力家な2人の姿は、夕方の柔らかい日差しを受けてより一層輝いていて、まるで別世界の人達のように感じられた。
邪魔をしないように静かに入って出ていこうとした時、部活の途中なのか、ヒラリと揺れるユニフォームとラケットを持った女子生徒2人が通りがかる。
「わぁ〜轟くんと八百万さんだ!あの2人さ、推薦なんでしょ?」
「そうそう、おまけに美男美女、ほんとお似合いだよね〜てかもうああやって放課後に2人でいるってことは、付き合ってるんじゃない?」
確かに〜と笑うその甲高い声が頭に響いてくる。誰と誰が付き合ってるとか、そんな噂いつもなら耳を傾けることも無いのに、轟くんと八百万さんという名前が出されてどうしてか受け止めてしまった。だって目の前で2人並ぶ姿を見ていれば、誰だってお似合いな2人だと思うだろう。
どうしてか1歩が踏み出せなくて、来た道を戻り、空き教室にふらりと入る。普段だれにも使われていないそこは冷たく静まり返っていた。私は窓際の後列にある席に座り、机につっ伏す。あの女の子達の話を聞いた時、まくし立てるように自分に言い訳をする気持ちはどこからやって来たのか全く分からなかった。
「轟くんの事になると分からなくなっちゃう…」
独り言が冷たい空気に溶けていく。胸の内は、まるで鉛を吊るされたように、とても重くて痛い。そして疲れた体も伴い、段々と瞼が重くなっていく。こんなとこで寝ちゃダメだと働く理性とは裏腹に、意識はどんどん遠のいていった。
2022/02/21