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「あ、あのね、夕さん」
 安室が完全に消えたのを確認して、コナンは片桐をしゃがませる。誰に聞かれているか分からない。できるなら片桐の耳にのみ留めたいのだ。
「安室さんのこと、どう思う?」
 片桐の笑みは変わらない。
「…江戸川クンは面白いことを訊くね。どうしてそんなことを?」
「実は安室さん、ゼロって言葉に反応したんだ。昔のあだながゼロらしくて」
「――――“ゼロ”?」
 その時。
 ふわり、と。片桐の糸目が、薄っすらと開いた。薄桃色の唇は弧を描いたまま。だが目を開けたという行為だけで、笑みが崩れ去ったような錯覚を受けた。笑っているけど笑っていない。初めて見た彼女の瞳は、薄氷のようだった。
「ど、どうしたの夕さん…」
「ああいや済まない。ゼロね、ゼロ。それで?」
「うん、もう一つ」

『へぇー、毛利先生の奥さん、急性虫垂炎だったんですか…』
『ああ…焦って損したぜ…』
『でも盲腸だからって侮ると危ないらしいですよ…』

 事件が起こる前にした毛利と安室の会話に、胸がざわめく。
「どう思う?」
「…江戸川クン」
 いつの間にか糸目に戻っていた。変わらない笑みを讃える片桐は、何を考えているのか汲み取ることができない。
「取り敢えずこのことは忘れたまえ」
「えっ…」
「まあ安心するといい。君にとって、彼は悪い奴ではないだろう」
 ただ――――。
「あまり場を散らかすと思わぬところから噛みつかれるかもしれない…好奇心は程々にしておきたまえ」
 それは単なる親切心からの忠告か、それとも。
 言い知れぬ不安がコナンを襲う。何も言えずにいると、片桐がコナンの小さな背を押した。
「もう帰りたまえ。二人がこちらを見ているよ」
 片桐が指差したところを見ると、蘭が手を振っていた。隣にいる毛利は気怠そうに煙草を吹かしている。早く戻らなければどやされるだろう。「バイバイ夕さん」「気をつけて帰りたまえ」手を振れば、いつも通り片桐は振り返してくれた。それに何故かコナンは安心した。